ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

第7回・中沢けい「入江を越えて」その⑧

2016-06-03 | 戦後短篇小説再発見
 ヒロイン苑枝の相手役である広野稔(みのる)は、まさに名は体をあらわすというやつで、「実」にゆかりの深い名前を持っている。ゆかりが深いどころか、むしろ「実」そのものというべきか。現代小説には珍しいほど分かりやすいネーミングといっていいかもしれない。
 学校の帰り、このところいつも正門で待ち受けている稔を避けて、苑枝は裏門へと向かう。苑枝が彼のことを重荷に感じているくだりは前回すでに紹介したが、もういちど引用しておこう。

 最近、稔は毎日、待っている。最初の頃は苑枝の顔を見ると稔は嬉しそうな微笑を浮かべた。苑江は、その顔を見て、ひょっとすると自宅でバイクをみがいている時にも、同じような笑みをもらしているのではないかと考えた。稔の笑みが苑江を息苦しくさせる。

 「最初の頃は…………嬉しそうな微笑を浮かべた」とある。つまり、ここ二三日はぜんぜん嬉しそうな顔ではないということだろう。気の毒な稔くんの、鬱屈した仏頂面が目に浮かんでくるようだ。
 また、「自宅でバイクをみがいている時にも、同じような笑みをもらしているのではないか」とは、苑枝がひとりの女性としてでなく、さながら愛玩物として見られてるように感じているということか。どちらも切り詰められた的確な表現といえる。

 見慣れていたはずの、刈り込まれた槙(まき)の生垣にも実が付いているのを、二学期になって気づいた。槙の丸い緑の実をむしり取りながら、あの晩のことは、と苑枝は思う。…………(略)………… 苑枝はあの晩は夢だ、寝ぼけていたのだと言われても、信じられる。…………(略)………… 同じ景色は二度と眺めることはできないのかもしれない。無理に出かけていけば、まるで別なものに出会って、記憶に形作られていた眺めを粉々に砕いてしまうに違いない。

 「一炊の夢」とでもいうか、苑枝にとって、あの晩のことはもう追想の対象にすぎない。思春期の娘らしいセンチメンタリズムといったところだけれど、しかし稔のほうはそれでは収まらぬわけで、いちおうはそれなりの関係を取り結んだのだから、本当は、苑枝もひとりで自己完結してちゃあいかんのである。自分の気持ちが萎えちゃったからあとは知りませーんではなくて、相手の気持ちと折り合いながら、何らかの始末をつけられるよう最低限の配慮をしてやる必要がある。しかしそれは大人の理屈であって、ここでそれを言っても詮無いことで、これは青春小説なのであり、「そういうことができない」ことこそがまさにこの短篇の主題なのである。
 それはそれとして、ここで「丸い緑の実」があらわれたことにご注目されたい。稔と「実」との重ね合わせは、あの初体験の日の朝、駅前でふたりが落ち合った時から始まっているのだが、その翌朝のキャンプ場で、苑枝は炊事場の側に立っている樹木に目を向け、それが槙の樹であり、稔があのときポケットに入れていたのが槙の実だったことを知ったのだ。
 その槙の樹が校庭にもあって、同じ丸い緑の実を付けている。苑枝が二学期になって初めてそれに気がついたのは、もちろん、夏休みにあの一件があったからである。今日また彼女はその樹を改めて目にとめ、「あの晩」の記憶がよみがえるままに、その実を毟り取るのだが、小説の文法(ルール)からいえば、ここで「実」があらわれたからには、とうぜん、引きつづいて稔その人が作中に召喚されねばならない。すなわち、次のシーンで稔が彼女の(そして読者の)前に姿を見せるのはテクスト上の必然なのである。

 正面で待っているかもしれないと回った裏門の門柱に、所在無げに稔は寄りかかっていた。掌に残る槙の実を、ころがしながらしばし眺めた苑枝は、稔の前を黙って通り過ぎる決心をした。キャンプ場も、入江にかかった鉄橋も、現実にあるものかどうか判断つきかねるのに、稔だけは苑枝の後から付いて来る。…………(略)…………



 なぜ今日に限って稔は裏門で待っていたのか、どうして彼女がこちらから帰るのがわかったのか、という問いかけは、ミステリー小説ならばおおいに重要になってくるけれど、純文学、とくにこのばあいは意味を持たない。槙の生垣に「実」が付いていて、それを苑枝が毟り取ったから、としか言いようがない。テクスト論的にはそれが正解となる。
 このあたりからラストまでは残すところ4ページ弱だが、それがあまりに緊密かつ濃密なので、正直なところ、どこをどう抜粋すればいいのかよく分からない。それに、じつはぼくにもきちんと掴みきれないところがある。すこし困っているのだが、とりあえず見ていこう。
 このラスト部分において、前面に迫(せ)り上がってくるのは「言葉」というモティーフである。稔の身体の内に閉ざされ、出口を探して駆け巡っているおびただしい量の言葉。間の抜けたものでもいいから、とにかく何か話し出せないかと、苑枝がけんめいに探りつづける言葉。しかしそれらはいずれも形にはならない。形にならない言葉をそれぞれの身体のなかに充満させたまま、ふたりは陰気な(そして傍から見ればやや滑稽な?)鬼ごっこのように前と後ろを歩き続ける。黙々と前をいく苑枝。黙々とそれを追う稔。
 追いかけるのは稔のほうだが、苑枝にしても、けしてすっぱり片付いているわけではない。それは彼女が自宅に向かわず、あえて人気(ひとけ)の少ない小高い山地の方へと足を運んだことからもわかる。気持ちが縺れて断ち切れないのはどちらも同じなのである。ただ、彼女は必ずしも稔を嫌悪してはいないにせよ、彼の存在そのものに対し、まるで囲繞されるかのような息苦しさを覚えているのは確かだ。そのことは繰り返し強調される。
 ねちねちと前後に並んで歩きつつ、ここでまたちょっと時間が交錯して、改行なしで「数日前」のできごとが挿入される。こんな感じだ。

 …………(略)………… 何がしたいのとたずねた時、稔がそんなことがしたいんじゃないんだと声を荒げたのは、数日前だった。苑枝にとって稔の答えはまったくの見当はずれだった。それに、稔がしたくないといっても、たぶん苑枝はちがう。彼女自身がそう感じていた。



 恥ずかしながら、ぼくにはここのくだりが掴めない。ぼかした言い方ではますます混乱するので露骨にいうが、「そんなこと」とはセックスだろう。その答について、「まったくの見当はずれ」だと苑枝が思ったというのは、わかる。しかしそれでは、「それに、稔がしたくないといっても、たぶん苑枝はちがう。彼女自身がそう感じていた。」というのは一体何なのか。苑枝はセックスのことなんて考えてもいなかったので「まったくの見当はずれ」だと思ったのだとぼくは読んだのだけれど、「稔がしたくないといっても、たぶん苑枝はちがう。」だったら、苑枝はやっぱり「そんなこと」すなわちセックスをしたいって話になっちまうじゃないか。文章のつながりからしても、彼女の心情からしても、このくだりは掴めない。
 あるいは苑枝は、恋人としての稔は(なんか知らんが息苦しいので)要らないけれども、自己愛の延長としてのセックスの相手としてならば欲しいんだろうか……そういった感じならばわからぬでもない気もするが、しかしそれはずいぶん複雑な心情だから、たかだか2行ばかしで済ませてしまっていいことではあるまい。いくらなんでも、もうすこし言葉を費やして書き込んでおきたいところだ。
 完成度の高い作品だけど、ここのくだりに関してだけは、ヒロイン苑枝の混乱ぶりを作者が御しきれていない印象を受ける。ただ、小説ってものにはたいてい何ヶ所かこういう淀みないし歪みみたいなものがあって、それが往々にして作品の奥行きを増していることがある。精密機械を組み立てるくらいの注意を払って作られながらも、どこかでそれを超え出ていくというか……。もちろん、精密機械を組み立てるくらいの注意を払って作られてることが大前提なので、もともとが杜撰であったら、何ヶ所かの淀みも歪みもへちまもない。淀みと歪みだらけならば、それはもはや淀みでも歪みでもない。全編がただのごみ屑というだけである。


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