ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

「君の名は。」のためのメモ。 奥寺先輩

2016-10-04 | 君の名は。/天気の子/すずめの戸締まり

「君の名は。」のためのメモ 004  奥寺先輩



 奥寺先輩(奥寺ミキ)は、見るからに大人っぽいし、とても世慣れた風情なので、25、6歳くらいかと思っていたら(CVの長澤まさみさんは当時ほぼ29歳)、小説版によると、なんと大学生なのだった。

 初デートのとき、瀧は高2(17歳)だから、せいぜい三つか四つしか変わらない。三葉はじつは瀧より三歳年上なので、瀧を取りまくこのふたり、本当はおおむね同い年ってことになる。

 この三人は、むろん同席することはないけれど、三葉は彼女のことをよく知っており、「あこがれのお姉さんふう女友達」みたいな気分でいる。奥寺先輩も、三葉本人とは面識はないが、ある意味では三葉と親しいといえる。

 現実世界ではありえない、とても不思議な関係だが、「三葉が瀧のからだを借りている」というファンタジックな設定さえ取っ払ってしまえば、わりと青春ドラマにありがちな構図でもある。

 それというのも、じつはこの三人、「三角関係」でもあるからだ。

 三葉が(勝手に)お膳立てした初デートのさい、瀧はどぎまぎするばかりで、会話もはずまず、奥寺先輩はシラケ気味だった。

 表層だけみると、あれは年下の男がうまく相手をエスコートできず、自滅していった図に映るけれど(ぼくにも経験があります)、しかし奥寺先輩くらい聡明で、世間慣れして、コミュニケーション能力の高いひとなら、逆に年下の瀧をリードすることも容易だったはずである。

 けれど彼女は、ぜんぜんそんな気分にならなかった。なぜか。

 デートの終盤、「今日はまるで別人みたいね」と言われるので、「先輩は三葉の入った瀧に興味をもっただけで、男子としての瀧本人に惹かれていたわけではない。」という見方もできるところだが、そうではなくて、奥寺先輩は瀧本人が好きだった。

 これについては、「瀧のルックスはわれわれの想像以上によい。」という案件と、「新海作品の男子は、デフォルトでもてる。」という二つの案件が加味される。シャクにさわるが事実である。

 さらに、飛騨で旅館に泊まった際、「前から気にはなってたけど、最近はますます魅力的に思えて」というような述懐もしていた。最近とは、三葉との「入れ替わり」が始まってから、ということだろう。「入れ替わり」が始まってから、瀧も三葉も、周囲に与える印象が強烈になったのだ。小説版にもそう書かれている。

 奥寺先輩は瀧が好きだった。そう。「惹かれている」とか「興味がある」というレベルではなく、本気で好きになっていた。さもなくばあのあと、司が同行しているとはいえ、強引に旅に付いていったりしない。

 奥寺先輩が初デートの途中で興ざめしたのは、彼女が自ら指摘したとおり、「まえに自分のことを好きだったはずの瀧が、今はべつの女の子を好きになっている。」ことに気づいたせいだ。

 もちろん、三葉のことである。

 瀧じしんは、このときまだ、まったくそれに気づいていない。

 念のためにいうが、これは2016年のできごとである。

 いっぽう三葉は、この日(しかし瀧の時間軸からいえば三年まえ)の朝、「ああ……今日は奥寺先輩とのデートの日だ。ほんとは私が行きたかったけど、しょうがない。瀧くん、うまくやるかなあ……」(このせりふはぼくがいま即興でつくったもので、本編にはない)などと軽い気持ちで考えながら、鏡に向かっていつものように髪を結っているとき、ふいに涙を流す。

 そのとき彼女も、初めて、自分が瀧をものすごく好きになっていたことに気づいたのだった。

 それでもう、矢も楯もたまらず、登校の途中、妹の四葉に言い置いて、制服のまま東京行きの列車に飛び乗る。そして2013年の東京に降り立ち、さんざん迷い歩いたあげく、電車のなかで、14歳、中学2年の瀧に会う。

 三葉には、「わたしたちは、会えば必ず、すぐに互いのことがわかる。」という確信がある。

 それはたしかにそうだったのかもしれないけれど、とはいえ、それは三年まえの世界だから、「入れ替わり」は起っておらず、瀧には彼女のことを知る由もない。

 「誰だ、お前?」と問い返された三葉は、ひどく傷つき、電車から降りる。しかしふたりは、その一瞬、(三葉がリボン代わりにしている)組み紐を取り交わすことだけはできた。

 瀧はその出会いすら忘れていたが、その組み紐を手放すことはしなかった。三年間、ずっと右の手首に巻き続けていた。

 傷心の三葉は糸守町に帰り、祖母の一葉に頼んでばっさり髪を切ってしまう。

 それが、奥寺先輩と瀧とのデートの日、三葉のほうの時間軸(三年まえ)で起ったことだ。

 そして、じつはこれは彗星落下の前日でもあった。

 なお、飛騨のあの辺りから東京まで、日帰りができるのか、という点については、「十分に可能」であるらしい。というか、そういう土地を選んだのだと、新海監督がインタビューで述べている。

 それまでは「はた迷惑な同居人(?)」か「ケンカ友達」くらいの気持で関わっていた瀧に対して、三葉が「思慕」を抱いていたことを自覚せしめた点において、さらに、そのまま列車に飛び乗って、「起こるはずのない三年まえの出会い」までをもを実現せしめた点において、奥寺先輩の存在はたいへん大きい。

 恋心ってのは、往々にして、「ライバル」の出現によって顕在化するものなのだ。

 この作品には、「三人」という人間関係が頻出するが、ある意味で、この「三人」がいちばん重要かもしれない。

 神社の巫女(かむなぎ)たる三葉にたいし、彼女が「寺」の一字をその姓にもっているのも、対称性を際立たせるためのネーミングだろう。さらに「ミキ」に「三樹」という字を当てるなら、対比はますます鮮明になる。

 奥寺先輩と瀧とが行動をともにするシーンで、ぼくの記憶では、画面によく「半月」のイメージがあらわれる。背景の空にぽつんと浮かんでることもあるし、瀧の着ているTシャツの柄になっていたりもする。

 これは、奥寺先輩というひとが、瀧の「片割れ」ではないということを示してるんだろう。彼女といても、瀧の「半分」は満たされないのだ。

 糸守への旅のとちゅう、奥寺先輩(と司)を旅館に置き去りにして、瀧はひとりで「ご神体」へと向かう。そうやって先輩は作品から退場してしまうのだが、ラスト近くで、あらためてその麗しい姿をみせる。

 2021年。瀧は大学四年生でまだ就活中。奥寺先輩は、当然ながらというべきか、社会人(「大手アパレルチェーン」勤務らしい)として順調にやっている様子。「仕事の都合でこっちに来たから」とのことで、ふたりは落ち合って昔のことを語らい、かつてのバイト先(高級イタリア料理店)にて夕食を共にする。

 聡明で優しい先輩には、瀧がまだ「ほんとうに大切なもの」に巡り会えておらず、意識的にか無意識にか、それをずっと探し続けて、つねに渇いているのが見て取れる。

 別れ際、彼女は手をふる。その薬指に光るシックな細い紫の指輪(もちろん婚約指輪だ)は、三葉と瀧とを結ぶ「夕陽の色の組み紐」と鮮かすぎる対照をなして、ぼくは映画館の席で震えたほどだ(テレビサイズではこの感じは伝わらない)。

 君もいつか、ちゃんと、しあわせになりなさい。

 それが奥寺先輩の(この作品における)最後の「言の葉」だ。村上春樹『ノルウェイの森』のラストで、レイコさんが「僕」に告げる最後の言葉とおおむね同じである。

 この場面でもたしか、背景の空には、半月がさりげなく掛かっていたような気がするのだが。



 追記)2018年1月3日に放映されたテレビ版で確認したところ、このシーンの最後に映る月は半月ではなく、きれいな満月だった。ただそれが、交差する電線によって真中から二つに断ち割られていた。半月じゃないのは、この世界が「三葉がぶじに生き延びたほうの世界線」であることを表しているらしい。ただし、まだ瀧と三葉は巡り会えてはいない。だから真ん中で断ち切られているわけだ。まことに細かい演出である。ところで、この「奥寺先輩とのラストデート」の直前、カフェで瀧(および高木)と同席している司の指に、奥寺先輩のものと酷似した婚約指輪がみえた。これは偶然とは思えない。先輩の婚約の相手が司だという説は以前からあって、ぼくは「いやそれはないだろう。」とずっと思っていたのだが、しかし、やっぱりそうだったのか。もともと気が合っていたようだし、旅館にふたりで残されて、ロマンスが生まれたのであろうか。それで5年付き合って、司の就職内定を待って、婚約に踏み切ったということか。やや釈然としない点も残るが、どうもそういうことらしい。





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