ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

期間限定記事・第164回芥川賞発表まぢか

2021-01-20 | 純文学って何?


 今回の芥川龍之介賞、候補作は以下のとおり。


宇佐見りん「推し、燃ゆ」(『文藝』2020年秋季号/河出書房新社)初
尾崎世界観「母影」(『新潮』2020年12月号/新潮社)初
木崎みつ子「コンジュジ」(『すばる』2020年11月号/集英社)初
砂川文次「小隊」(『文學界』2020年9月号/文藝春秋)2回目
乗代雄介「旅する練習」(『群像』2020年12月号/講談社)2回目


 毎回ぼくが参考にさせて貰っている「西日本新聞」の文化部記者による座談会は、今回なぜか大学の先生お二人による対談書評となっていた。おおよその雰囲気はわかったものの、すこし物足りなかったので(失礼)、さらにネットを探したところ、決定版ともいうべきサイトを発見。




QJWEB クイック・ジャパン・ウェブ
https://qjweb.jp/feature/46167/





 ライター・書評家の杉江松恋、翻訳家(日→独、独→日)・通訳・よろず物書き業のマライ・メントライン(ドイツ人/女性)両氏による書評。こちらも対談形式だが、紙幅に余裕があるのでボリュームたっぷり。この記事を読めば5本の候補作について大体のところがわかる。
 ほかのサイトもざっと拝見したのだが、宇佐見りん「推し、燃ゆ」の評判がすこぶる良い。最有力といっていいかと思う。
 例えばこちら

R ea l Sound
第164回芥川賞は誰が受賞する? 書評家・倉本さおりが予想
https://realsound.jp/book/2021/01/post-693465.html





 この記事の中で倉本さんは、
「2010年代の芥川賞は30代~40代の、もはや中堅と呼ばれていてもおかしくなさそうな顔ぶれが集まることが多かった印象ですが、ここ数年はばらつきがあり、“新人”のイメージが強い書き手の選出が目立ちます。例えば今回でいえば、宇佐見さん、木崎さん、砂川さんの3名が90年代生まれ。同日に発表された直木賞は、全員が初ノミネート作家です。これは単純に話題性で選んでいるということではなく、同時代の感覚を切り出せるような作家が求められている結果なんじゃないかと思います。」
 と述べておられる。
 このことは、上記の記事の中でマライさんが、
「特に若い世代の書き手の「才気爆発」ぶりが印象に残りました。翻って言えば、批評界を含む読者の側が、従前の読み方のままでいいのか?という問題を突きつけられているようにも感じます。自分自身、候補作に「すごい!」と感じても、そのポテンシャルを果たしてどこまで汲み取れたのか、不安なのが正直なところです。
(……中略……)いま文芸業界は、そもそも「狭義」の文芸的な枠組をはみ出す作品の価値を捉え切れて(あるいは、うまく紹介し切れて)いない気がします。これは各文化ジャンルのタコツボ化やその中での情報過多といった要因により、ある意味仕方ない、一朝一夕ではどうにもならない話ではあるけれど、(……中略……)業界横断的で強力な審美眼・分析力を持つタイプの別ジャンル有識者の見解の掘り起こしによって、そのへんはある程度対応できるのかもしれない。そして文芸(eminus注・ここははっきり「純文学」といったほうがいいかと思う)の価値や定義そのものの拡大や、市場(eminus注・もちろん、純文学全般の売り上げのことである)の盛り上げを図れるのかもしれない、という感触を得ました。逆に、業界特化的な有識者の単機能っぽい見解を持ってきちゃうと、マズいかもしれない。
これは今後の文化的プロモーション全体に当てはまる話のように思えます……その結果、我々は候補作の順位づけに、より一層苦悩することになるでしょうけど(笑)。」
 と述べておられることとも密接につながってくるだろう。




 今回ノミネートされている尾崎世界観(ロックバンド「クリープハイプ」)、さらに直木賞のほうの候補者・加藤シゲアキ(アイドルグループ「NEWS」)といった異業種作家の方々についても(ちなみに直木賞では2017年に「SEKAI NO OWARI」の藤崎彩織も候補になっている)、けしてたんなる商業主義ってことではなく、倉本さんやマライさんが指摘する文脈において捉えるべきだろう。「純文学」もまた、サブカルはもとより、SNSなどの影響を受けて、否応なしに変質しつつあるわけだ(それでもなお「純」を名乗り続けられるか否かは議論の分かれるところかと思うが)。








 



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