ぽつお番長の映画日記

映画ライター中村千晶(ぽつお)のショートコラム

モアナ 南海の歓喜

2018-09-14 11:52:13 | ま行

 

ドキュメンタリー、という言葉を生んだ作品。

てか、モアナって男の人の名前なのか!(知らなかった!)

 

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「モアナ 南海の歓喜」69点★★★★

 

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ロバート・フラハティと、妻フランシス・フラハティによる

1926年公開のドキュメンタリー映画。

 

この映画の批評文で、初めて

「ドキュメンタリー」という言葉が使われたそうで

 噂では知っていたけれど、観たことはなかったんです。

 

南太平洋のサモア諸島で暮らす青年モアナと家族の暮らしを追ったもので

もともと公開時には音がついておらず、

その後、当時3歳だった彼らの娘モニカ・フラハティが

50年を経て、現地で聴いた記憶を頼りに音や会話、民謡を録音し

両親の映画に音をつけて再公開した――そうな。

 

 

確かに、これは音があったほうが断然いい。

島の唄、風、海の音、鳥の声――

このサウンドがあってこそ、より

自然とともに生きる、島での暮らしに共振できる。

 

内容も成り立ちも

とても興味深い映画、なんですが

 

しかし、プレス資料にあった金子遊さん(映像作家、批評家)の寄稿を読んで衝撃。

実はフラハティ一家がやってきた1925年ごろのサモア諸島はすでに欧米の手が入り、

「未開の地」ではなかったそう。

(このへん、「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」(18年)を思い返して、なーる!と思った)

で、金子氏は

「フラハティー氏は、キャスティングした現地の人々を使って、

昔ながらのサモアを再現して、本作を撮影した、と理解するのが妥当だろう」と書いている。

 

――ってことは

え、これってもともと厳密に"ドキュメンタリー”じゃないの?

いわば再現映像?

 

ドキュメンタリーの言葉のもとになった、と有名なのに・・・・・・!と衝撃を受けたんですが

それはまた

「ドキュメンタリーの定義とはなんぞや」という問題にもなっていき

おもしろいっちゃ、おもしろいんですよね(笑)

 

日本に置き換えてみても

その土地の風習や工芸品の作り方、暮らしぶりは

完全に失われていたものではなく、失われつつあったもの、なのでしょう。

現に、娘モニカがサモアを再訪し、音を録音したのは1975年。

歌も違和感ないし、風の音も波の音も、変わっていないのだと思う。

 

それらをこういうかたちで残したことには、意味があり、貴重だなと感じるのです。

 

★9/15(土)から岩波ホールで公開。ほか全国順次公開。

「モアナ 南海の歓喜」公式サイト

コメント
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