今日は寒かったそうですね。
「そうですね」と言うのは、福井では7℃あったのでそれほどではなかったです。東京は日中は2℃、最高気温を記録したのは夜中だったそうですから、どんどん寒くなっていったようです。雪も降ったそうです。
TBSの夕方の報道番組では、3人のキャスターが「本格的な雪」と連呼していました。芝生にうっすら、車の屋根に1センチほども積もったそうです。で、「本格的な雪」だそうです。主観もありますが、3人が続けて言っていましたから、TBSの基準なのでしょうか。
昨夜、世界ノルディックで複合団体で日本チームが金メダルを取りました。
私は好きなので、毎晩見るか、録画して翌日観ています。中継(録画)は、深夜の0時10分からあります。で、昨日は0時10分から1時まではクロスカントリー女子リレーがあり、10分ニュースを挟んで1時10分から複合団体の中継がありました。
私は0時ごろからBS1を観ていました。そして、中継の始まる直前、ニュースの最後にアナウンサーが
「ニュースが入りました。世界ノルディックの複合団体で日本チームが金メダルを取りました」と報じました。
固まってしまいました。「これから観るんだよ。なんで、結果言っちゃうの!」
こういうのはよくあります。五輪中継でも、多チャンネルで中継がされているときなど、バレーボールを見ていたら、「北島康介金メダル」というテロップが流れます。これって緊急報道する必要があるんでしょうか。ニュースバリューがあり、速報性を重んじれば、当然の行為かもしれません。どうなのでしょう?
で、NHKにメールで問い合わせました。話が横道に逸れますが、この問い合わせメールの欄て、どの局も隅っこに小さくあるだけですよね。
メールの内容は、上記のような説明と、これから中継する直前に、結果を言ってしまっていいものか?もう少し配慮がほしいというような内容です。
まあ、聞き流されるだけだとは思ったんですけどね。
下記のものが、その回答です。
==============================================================
いつもNHKの番組やニュースをご覧いただき、ありがとうございます。
また、このたびはご意見をお寄せいただきまして、誠にありがとうございます。
お問い合わせの件についてご連絡いたします。
スポーツの結果がこれから見ようとする前にわかってしまったら、興味も半減してしまうというご意見は、しばしばいただくご意見です。
しかしながら、○○様も『当然と言えば当然』とおっしゃっていますようにニュースとしてお伝えするには時間が経ってからお伝えすることはニュースの意味がなさなくなります。ニュースは文字通りnewsですから、その価値を損ねないようにお伝えすることを基本と考えています。
何卒、ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
今後とも、NHKをご支援いただけますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。
NHK視聴者コールセンター
※ 本メールアドレスは送信専用のため返信はできません。
お問い合わせは所定のメールフォームからお願いします。
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/index.html
===================================================================
予想通りの回答でした。
私のような不満の意見は時々あるが、最新のニュースを届けるのが最重要事項なので、スポーツ中継を楽しもうとするものの気持ちなんかどうでもいいという回答です。
しかも、回答に対する反論は、また、所定のメールフォームを使えです。面倒なので反論する気も起こりにくいです。メール内容も残しにくいですし。
さて、これを書く少し前に、フジテレビ開局50年で50年間の歌謡曲?を総ざらいで放送していました(現在もやっています)。なんか、最近こんなのばっかりだなと思いつつ、ちらちら見て楽しんでいます。
80年代の松田聖子やジャニーズや中森明菜などが流れると、当時を思いだしてしまいます。でも、70年代も感慨が深いです。特に山口百恵は特別です。私とは年上なので、それほど夢中になったことはないのですが、私の中では存在感は一番です。
ご存知のように山口百恵は森昌子、桜田淳子(1973年2月デビュー)と並んで「花の中3トリオ」と呼ばれていました。二人とはややデビューが最後だった(1973年5月)せいか、デビュー当時はそれほど目立っていませんでした。
森昌子の歌唱力とタワシ頭、桜田淳子のエンジェルハット+花が咲くような明るさ(デビュー曲は『天使も夢見る』で、『私の青い鳥』は3曲目)に比べて、どこか日陰で咲いているような印象でした。
森昌子は演歌路線だったので、桜田淳子と比べられることが多かったです。山口百恵が脚光を浴び始めたのは2曲目の『青い果実』で「あ~なたが望むならわたし何をされてもいいわ~♪」なんて歌詞、中学生ですから、当時としてはとても過激だったんではないでしょうか。
そして、次の年の夏(1974年6月)、5曲目の『ひと夏の経験』で大ブレークします。この曲で、一気に桜田淳子を追い抜いた感がありました。それでも、桜田淳子もその後『はじめての出来事』(1974年12月)『ひとり歩き』(1975年3月)『十七の夏』(1975年6月)とヒット曲を連発し、並走します。さらに次の年の『夏にご用心』(1976年5月)で一歩リードした感じがありました。
ところが、翌月6月『横須賀ストーリー』の大ヒット。この後、桜田淳子も検討しましたが、両者の距離は徐々に開いていきました。その原因として、桜田淳子の「元気で明るい」というキャラだけでの限界があったようです。
さて、山口百恵の初期のヒット曲『ひと夏の経験』の冒頭の歌詞、
「あ~な~たにお~ん~なの子ぉのいちばん~たいせつな~ものをあげるわ~♪」
とあるのですが、当時私は
「女の子の一番大切なものって、なんだろう?」
なんて思っていました。うぶでしたね。
「そうですね」と言うのは、福井では7℃あったのでそれほどではなかったです。東京は日中は2℃、最高気温を記録したのは夜中だったそうですから、どんどん寒くなっていったようです。雪も降ったそうです。
TBSの夕方の報道番組では、3人のキャスターが「本格的な雪」と連呼していました。芝生にうっすら、車の屋根に1センチほども積もったそうです。で、「本格的な雪」だそうです。主観もありますが、3人が続けて言っていましたから、TBSの基準なのでしょうか。
昨夜、世界ノルディックで複合団体で日本チームが金メダルを取りました。
私は好きなので、毎晩見るか、録画して翌日観ています。中継(録画)は、深夜の0時10分からあります。で、昨日は0時10分から1時まではクロスカントリー女子リレーがあり、10分ニュースを挟んで1時10分から複合団体の中継がありました。
私は0時ごろからBS1を観ていました。そして、中継の始まる直前、ニュースの最後にアナウンサーが
「ニュースが入りました。世界ノルディックの複合団体で日本チームが金メダルを取りました」と報じました。
固まってしまいました。「これから観るんだよ。なんで、結果言っちゃうの!」
こういうのはよくあります。五輪中継でも、多チャンネルで中継がされているときなど、バレーボールを見ていたら、「北島康介金メダル」というテロップが流れます。これって緊急報道する必要があるんでしょうか。ニュースバリューがあり、速報性を重んじれば、当然の行為かもしれません。どうなのでしょう?
で、NHKにメールで問い合わせました。話が横道に逸れますが、この問い合わせメールの欄て、どの局も隅っこに小さくあるだけですよね。
メールの内容は、上記のような説明と、これから中継する直前に、結果を言ってしまっていいものか?もう少し配慮がほしいというような内容です。
まあ、聞き流されるだけだとは思ったんですけどね。
下記のものが、その回答です。
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いつもNHKの番組やニュースをご覧いただき、ありがとうございます。
また、このたびはご意見をお寄せいただきまして、誠にありがとうございます。
お問い合わせの件についてご連絡いたします。
スポーツの結果がこれから見ようとする前にわかってしまったら、興味も半減してしまうというご意見は、しばしばいただくご意見です。
しかしながら、○○様も『当然と言えば当然』とおっしゃっていますようにニュースとしてお伝えするには時間が経ってからお伝えすることはニュースの意味がなさなくなります。ニュースは文字通りnewsですから、その価値を損ねないようにお伝えすることを基本と考えています。
何卒、ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
今後とも、NHKをご支援いただけますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。
NHK視聴者コールセンター
※ 本メールアドレスは送信専用のため返信はできません。
お問い合わせは所定のメールフォームからお願いします。
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/index.html
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予想通りの回答でした。
私のような不満の意見は時々あるが、最新のニュースを届けるのが最重要事項なので、スポーツ中継を楽しもうとするものの気持ちなんかどうでもいいという回答です。
しかも、回答に対する反論は、また、所定のメールフォームを使えです。面倒なので反論する気も起こりにくいです。メール内容も残しにくいですし。
さて、これを書く少し前に、フジテレビ開局50年で50年間の歌謡曲?を総ざらいで放送していました(現在もやっています)。なんか、最近こんなのばっかりだなと思いつつ、ちらちら見て楽しんでいます。
80年代の松田聖子やジャニーズや中森明菜などが流れると、当時を思いだしてしまいます。でも、70年代も感慨が深いです。特に山口百恵は特別です。私とは年上なので、それほど夢中になったことはないのですが、私の中では存在感は一番です。
ご存知のように山口百恵は森昌子、桜田淳子(1973年2月デビュー)と並んで「花の中3トリオ」と呼ばれていました。二人とはややデビューが最後だった(1973年5月)せいか、デビュー当時はそれほど目立っていませんでした。
森昌子の歌唱力とタワシ頭、桜田淳子のエンジェルハット+花が咲くような明るさ(デビュー曲は『天使も夢見る』で、『私の青い鳥』は3曲目)に比べて、どこか日陰で咲いているような印象でした。
森昌子は演歌路線だったので、桜田淳子と比べられることが多かったです。山口百恵が脚光を浴び始めたのは2曲目の『青い果実』で「あ~なたが望むならわたし何をされてもいいわ~♪」なんて歌詞、中学生ですから、当時としてはとても過激だったんではないでしょうか。
そして、次の年の夏(1974年6月)、5曲目の『ひと夏の経験』で大ブレークします。この曲で、一気に桜田淳子を追い抜いた感がありました。それでも、桜田淳子もその後『はじめての出来事』(1974年12月)『ひとり歩き』(1975年3月)『十七の夏』(1975年6月)とヒット曲を連発し、並走します。さらに次の年の『夏にご用心』(1976年5月)で一歩リードした感じがありました。
ところが、翌月6月『横須賀ストーリー』の大ヒット。この後、桜田淳子も検討しましたが、両者の距離は徐々に開いていきました。その原因として、桜田淳子の「元気で明るい」というキャラだけでの限界があったようです。
さて、山口百恵の初期のヒット曲『ひと夏の経験』の冒頭の歌詞、
「あ~な~たにお~ん~なの子ぉのいちばん~たいせつな~ものをあげるわ~♪」
とあるのですが、当時私は
「女の子の一番大切なものって、なんだろう?」
なんて思っていました。うぶでしたね。