布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

カワウソの碑と手賀沼干拓

2008-08-12 | その他
お盆が間もなくやってきますね。さて、河童のモデルといわれているのが、魚とりの名人のカワウソで、昔、とはいっても江戸時代には手賀沼にもいたようですね。その証拠に、カワウソの供養塔が市内箕輪地区の間(あい)の坂にあります。この近くには、手賀沼のハスの群生地(写真)もありますよ。
さて、この碑をよく見ると、表には、祭獺之制底と記されているが、祭獺とはカワウソで、制底とは、お墓のことらしいなので、それで、この碑がカワウソの供養塔とわかります。この碑の左右には、文化14年(1817)8月13日の日付が彫ってある。
さらに、この塔身の右側には、右松戸道 箕輪邑施主廣瀬佐惣治と、そして左には、左わかしらか道と記され、道しるべともなっている。
伝承によれば、この碑は、広瀬の二男が手賀沼で捕まえたカワウソを殺したせいかどうかわからないが、二男も死んだので、カワウソを葬ったところにこの供養塔を建てたといわれている。上記に書いたように、道しるべと一体の供養塔というのは、しかも動物の供養塔といったいというのは、全国的にみても珍しいとのこと。
そのカワウソも手賀沼から絶えて、久しい。でも、お盆の時期くらいには、この碑をみて手賀沼にカワウソがいたことを思い出すのも悪くないのではーー。
一方、この自然豊かな手賀沼は、人々の食の確保のため、江戸時代より、干拓が幕府により精力的に押し進められていくのである。この手賀沼干拓にもかかわった商人たちの一人が、私がこのブログでよく紹介する相島芸術文化村の井上家です。井上家には、江戸時代からの長い手賀沼干拓の歴史がありますが、9月に、この手賀沼干拓とは何んだったかについての講演会が開催されます。場所は、平成19年の暮れに登録有形文化財に登録されました同村の月光倉で行われるようです。では、早速、以下にその概要を紹介します。
開催日時    平成20年9月20日(土)  午後1:00~3:00
開催場所    相島芸術文化村・井上家の月光倉
演  題     手賀沼干拓とは何か?
          ~江戸商人と地元民~
講  師     中村 勝氏
定  員     先着60名(要予約)
参加費      1,000円 (お茶菓つき)
申込先と     相島芸術文化村
問い合せ     (電)04-7189-2864 (FAX)04-7189-5700
          定休日: 水曜 ・ 木曜
その他      駐車場あり
干拓以前の手賀沼の面積は1,180ヘクタールほどありましたが、1958年農林省と契約して干拓事業を開始、干拓面積530ヘクタールが出来て、1968年干拓工事完了時点には、650ヘクタールになってしまったようです。その後更に、宅地、道路、水辺公園、遊歩道等の造成により50ヘクタール減少して現在は約600ヘクタールと推定されています。
なお、相島は8月11日から22日まで夏休みですが、伝統文化こども貝絵・貝合せ夏休み教室(8月17日)は開館とのこと。
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