婆さんが行く

婆さんの食卓とワンコ

全米日系人博物館(本館)

2010-12-02 13:43:59 | Weblog
アメリカン・タペストリー
2010年11月13~2011年4月17日まで

明治時代の一世の渡米から現在にいたるまでの日系社会の歴史を紹介しておりました。

一緒に海を渡ってきたトランク





〔収容所〕
真珠湾攻撃の後
家も仕事も何もかも剥奪されて馬小屋へ


*日本人が他国の人のように群れる集まるが希薄なのはこの収容所生活で何もかも失ったからかもしれませんね。

〔フイッシャーマン〕
「懐かしいなぁ 船から飛び込んでよく遊んだものよ」


この博物館につれてきていただいた方は、よくよくうかがったら日系2世でした。
ジーンズをはいて身のこなしも運転も上手だったため実年齢より若く思っていました。
84才には驚いた!
集合写真の中に懐かしい方々をたくさん見つけて感激していましたよ。




先生に引率された大学生の皆さんがけっこう多かったのですが(日本人の顔はなし)
はっと気づいた時は、その方は、生徒さんにかこまれて質問されていました。

帰り道 すぐそばのリトルトウキョウの中で熱々の今川焼きを食べました。

表現できないがなんだか変な気分



     木製パレット屋のつぶやき

全米日系人博物館(お寺)

2010-12-02 11:06:43 | Weblog
アメリカのフラートンに住んでいる生母が通うカラオケ教室は、外見はまったく日本人なのだがほとんど英語しかわからないお年寄り(失礼!80歳前後が多いのです)ばかりであった。
しかし歌うものは、演歌
はてな!?と首をかしげた。
手にしていた歌詞カードをのぞくと ローマ字だった。

そんなことから昨年からかな!?『nikkei』という言葉に興味をもつようになりました。
日本に帰ってから概要を知りたくて読んだ小説『二つの祖国』山崎豊子作
この本は、いっきにいろんなことを教えてくれました。

好奇心旺盛な私は、
JAPANESE AMERICAN NATIONAL MUSEUM
まっしぐらでした。




ちょうど11月から来年4月までお寺が公開されていました。


少し日本人っぽい方がお寺を説明してくださった。
全部 英語だった。
えーーー!困惑 必死で聞いたがわからないことのほうが多かった。



少し落ち込む
今後は、ぜひ日本語でも説明してくださいと 悪あがきまでした。

英語を勉強する?
いいえ 老化で耳が遠くなっているような気がしますので もうむずかしいかもしれません。


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恵まれない犬に愛の手を!

2010-12-01 11:58:33 | Weblog
帰国時 機内に持ち込んだ小さなスーツケースの中には愛犬『くう』へのおみやげだけがあった。
絶対着せないぞって思っていた洋服、おもちゃ


アメリカは犬大国といわれるだけあってあちらこちらの家庭でいろんな犬にあった。
意外だったのは、「レスキューから譲って頂いたのよ」という方々が多かった。
犬は、生まれて4年だったり6年だったり・・ 
飼い主は、高齢の方が多く どうやら自分がめんどうを見られる年数を考慮しているようだった。
実は、私 生後3ヶ月から育てるよりは成犬がいいなってため息ついたときもありました。
一年になるまでは、外出もままならなかった。
しかしレスキューって!?やはりレスキューかな?自問自答していたら
「この犬は、赤ちゃんをうませるだけの犬だったそうよ。そんなわけではないだろうが部屋のはじっこや机の下でじっとしていて おもちゃで遊ぶことも知らないの」
「この犬は、6歳になるのに お手もお座りもできなかったのよ」
虐待や放置 いろんな問題の犬がいるのだが 少しずつ心を開いてくれるそうです。
もしかしたら 安楽死をさせられたかもしれなかった犬達だとわかってあらためて抱きしめました。
日本もわけありの犬のレスキューの制度をもっとアッピールしてもいいよね!
手のかかる赤ちゃん犬じゃないと飼いやすいし・・
問題になるのは、生い立ち? 性格?
でもね人だって様々じゃない?


とにかく成田空港に着いて一刻も早く会いたかったのは『くう』
少しでも早く帰宅する算段をしました。

「ただいま!」

はしゃぎまわる『くう』
〈おみやげの洋服とおもちゃ〉
      ↓

「私をおいてどこに行っていたの?」


その晩 一緒に寝たのはいうまでもありません。


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