Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

労働の否定 その3

2009-04-25 08:15:36 | 異形の滓
混乱のメドゥーサ 蛇足その3

「自己実現」という言葉が時々用いられていますが、素人騙し風に「自分本来の能力・可能性を発揮し、公私の営みにおいて自己の成長を図る」とか記述すれば、多くの人々の共感・同意を得ると思います。
単に自分の遺伝子的形質を解き放し、自分を変化させることを表現しているにすぎません、つまり、何も語っていないのです。

進化、発展、成長などの言葉が持つ「良いイメージ」が、肯定の幻想を与えているに過ぎません。
「自明のこと」として、ここから生起し他者に語られることには内容がないのですが、本人自ら認識せず発語してしまいます。

「自己実現」については、ブラック・ソルジャー氏に揶揄されていましたが、僕自身も人生訓とかビジネス書等の類か、ユング心理学(分析心理学)の「自己実現の過程」の借景の上での思考なのか、理解しかねているところです。

3回に渡って書いてきましたが、長くなりますので端折ります。

「自己」の、「事実存在」を、「同一性」を等、つまり「存在」に連なる事柄を語ることが求められます。

「デコポン」に外化されている事柄は、主義者の政治的現前性は役割を終えたことを逆説的に書かれているとも読めます。



マルクス読みでない門外漢の僕は、マルクス読みの方々が、しなやかに、したたかに「マルクス」を考察しつづけることは、信仰と化した「神左翼」に堕落しないためにも否定できないと考えます。

娘思いの親馬鹿が「共同幻想論」を文庫化したと考えますが、単行本には無い次のフレーズを手元に置きたく、昔日に購入しました。

「何に増して国家とは性なのだと、国家は白昼に突発する幻想化された性なのだと予言した。」(共同幻想論 解説 中上健次332Pより 角川文庫)

果てしない深淵のところの、星雲のひとつなのでしょう。
晴走雨読氏の次なる展開を期待しているところです。


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