Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

発掘!あるある大事典

2007-01-24 18:38:43 | 未分類
私の朝食は、ご飯、汁、ベーコンエッグ、野菜と納豆が定番です。スーパーの日配品のコーナーに納豆が無く、「TV放送・・・」の張り紙が。
彼女は「せいぜい2週間の話だね。」と。

「発掘!あるある大事典」の捏造について、フジテレビは関西テレビが主役がごとき報道をしています。

フジテレビは、放送法、(社)日本民間放送連盟放送基準、(株)フジテレビジョン番組基準が定める公共性を損ねていますが、他人事のような姿勢をとっています。

自社が定めた「(株)フジテレビジョン番組基準」は、いったい何なのか。

昨日、「パワー・フォー・リビング Powerforliving」において書きましたように、メディアには強い公共性が求められていますが、フジテレビは、「~視聴者ならびに関係者の方々に深くお詫びいたします。」(フジテレビHPより)と無責任な対応をしています。

(株)フジテレビジョンは、代表取締役会長日枝久と代表取締役社長村上光一との責任を明確にし、視聴者に詫びるべきです。

放送直後の朝食に、納豆はありませんでした。

「私の納豆を返せ!日枝会長!」



*公共性については「活私開公」の理念で書いています。




パワー・フォー・リビング Powerforliving

2007-01-23 19:01:23 | 未分類
中央アカイ新聞に北海道日ハムのヒルマン監督を広告塔とした全面広告が載り、先日、久米小百合(くめ さゆり〈久保田早紀〉)を広告塔とした全面広告が載りました。

(久保田 早紀は「異邦人」で売れましたが、いつの間にか宗教(キリスト教)音楽の活動をしていました。)

パワー・フォー・リビング Powerforliving について、- アーサーS・デモス財団のHPの文章を読んでも要領を得ません。

フランスでカルトとされたナンミョウカルト学会と同様、この財団はドイツでカルトと認定されている様です。キリスト教の異端なんでしょうね。

マスコミを利用した布教は、禁止すべきと考えています。公共の福祉にとって有害だと考えています。(*放送法第1条)

TVでもアーサーS・デモス財団のCMが流されているようですが既成宗教とナンミョウカルト学会など新興宗教に関係なく禁止すべきです。

私的に気に入っているCMソングがあります。
商いに行く車中で流れる「走れ、走れ、いすゞのトラック」のフレーズです。



*放送法(目的)
第1条 この法律は、左に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
1.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
2.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
3.放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

伊吹文明文部科学大臣

2007-01-22 20:33:38 | 未分類
発言内容とやっている事があまりにも違いすぎる。
それが親だったり、教師だったり、メディアだったり、友人だったり。

子どもに自意識が芽生える頃の感性には、鋭いものがあります。
存在の形にならない不安を抱えながら、「大人は汚い。」、「大人はずるい。」、「ああはならない。」、「ずるがしこくやるが勝ち。」、「止む得ないことは、やってもいいんだ。」等の規範が刷り込まれます。

このような視点を欠落したまま、今の子ども達の有様を、教育の現場の責任にすり替えても、子どもの感性を騙す事はできません。

この国の悲惨さは、教育(家庭、学校、社会)の範たるべき伊吹文明文部科学大臣の有様です。
子どもたちに反面教師として理解させようとでも考えているのでしょうか。
伊吹文明文部科学大臣あなたに、教育を語る資格は一切ありません。

今の教育が荒廃している原因は、伊吹文明文部科学大臣あなたです、と言っても過言ではありません。
伊吹文明文部科学大臣あなたみたいな人が、今日の教育の荒廃をもたらしたのです。





自己差異性 その2

2007-01-21 19:09:39 | 酔生夢死
彼の商いが休みの日には、明るいときに散歩をします。
でも、この頃の彼の休みの日は、別の商い、不動産屋みたいなことをしています。
彼女も「不動産屋」みたいと言っています。
彼の商いは、何をしているのか分かりません。

向かいのMたんと、久々に会いました。
これから家族みんなで、N温泉に行くとのこと。
三兄弟が皆、失恋したとか。

でもMたんは、僕のことを怖がっています。
ラブラドールに噛まれたことがあるとか。
Mたんは、ドクター課程終えたのかな・・・


 僕とHALとの距離です。

酔生夢死とは関係無く

自己差異性 その2

自己の認識(評価)は、様々な要素(身体的、精神的)により構築できますが、他者による自己の認識(評価)とのギャップを知ることにより、自己を改めて認識(評価)しなおす行為が行なわれます。

所謂、他者の認識(評価)のフィードバックをする訳ですが、陥りやすいまたは忘れがちなのは、フィードバックを受け入れるのか、またフィードバックには正帰還と負帰還とがあり、悪質なものと良質なものがあります。フィードバックすることが、すべて良いことではありません。

本人にとってどちらが意味あるのかが了知できなければなりませんが、自己の中に他者の視点を設けての判断となります。

発火点

2007-01-20 14:41:45 | 酔生夢死
酔生夢死とは関係無く  

「違和(不快)」の入り口へ その1

『何から』の「違和(不快)」、『何へ』の「違和(不快)」なのかは、「酔生夢死とは関係無く」は、この一点に収束するための荒い(2006.10.17「カワウソの尾」にも書きました。)メモです。
この為、位相をずらして別の視点で矛盾する書き方をしている事柄もあります。

「意味するところ」と「意味されるところ」が、言語学からの相対主義(現代思想の原点)の発火点となっているが、「意味するところ」と「意味されるところ」とは表裏一体であると考えることもできます。
これらの相対主義の思索が「内」とすると「外」は?


ここは僕のスペースでないのかな。ワンワン!

「自己差異性」の語彙について

「自同律」、「自己同一性」に対する概念として、「自異律」、「自己相違性」などの語彙を考えたのですが、語感から「自己差異性」を選択したものです。

2007.1.12に、この語彙は「造語」した旨を書きましたが、ネット上でこの語彙を用いている方がいましたので、( )内の「造語です。」の部分を削除します。