Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

五木 寛之

2007-01-19 23:00:49 | 未分類
21世紀 仏教への旅 インド編  五木 寛之 講談社

80歳のブッダが歩いた、人生最後の400kmを旅し、ブッダの「老い」についての述懐が、実感をともなって胸に響いてくる有様が書かれています。
上巻に著者が木陰で文庫本を読んでいる写真がありますが、多分岩波文庫でしょうね。
講談社文庫ではないことは確かです。

この写真を彼女に見せたところ、「嫌な読者と思われるよ、それにしてもちょっと気遣えばいいのにね。」
結局、購入しませんでした。
ブッタ、仏教には軽薄な興味があり、昔、五木の仏教に係る講演を聞いたことがあり、ちょっと期待したのですが、その後発表された「蓮如」には肩透かしをくらった記憶があります。

熱狂的な五木ファンと頭から否定するアンチ五木の方がいますが、私的には関心の薄い作家です。



 HALは2.6kgをこえました。

不二家

2007-01-15 18:59:01 | 未分類
愛犬は、「ペコちゃんのほっぺ」が大好きです。

私は子供の頃のクリスマスには、枕元に目玉の動く「不二家ミルキー」ガ置かれていました。

この度の不二家の不始末には、がっかりです。
愛犬もがっかりです。ワンワン!

近所の不二家の店舗も閉まっています。
オーナーも先行きに困惑していることでしょう。



ミルキーの巨大缶のぺこちゃんも心なしか絶望感が。

空海の豚丼 その2

2007-01-14 08:56:13 | 未分類
ちょっと一服 その5

自宅を二十数年前に施工したハウスメーカーのモデルハウスに、裏庭に建てる家を買いに行って来ました。
年内にと考えています。

帰りに、「空海」で昼食をとりました。
彼女開口一番、「ジューシー!」と。

髭面のごっついご主人とはじめて会話しました。
お上さんの承諾を得て、写真を撮ったのですが、彼女の携帯は旧世代のため映りが最悪ですのでご了承下さい。



今朝の散歩は、一番降雪が激しい時だったので、他の散歩犬が確認できないため、愛犬をフリーに出来ませんでした。
違った意味で、白い異空間で愛犬との時間を過ごしました。



中東大戦争

2007-01-13 07:14:31 | 中近東
以前にも書きましたように、中東がまもなく戦争に突入しそうです。
中東大戦争になりますとイスラエルが消滅します。

田中宇氏の国際ニュース解説と時事通信の記事からの引用です。抜粋、省略等の文責は私にありますので、不可解な点は原文を読んで下さい。
 *中東ウォッチャーは、いつも戦争が始まる、始まると警鐘を鳴らしますが・・・

チェイニー副大統領は以前から「07年春までにイランを攻撃する」ともらしていた。
チェイニー副大統領は11月にサウジアラビアを訪問し、サウジ王室に「間もなくイランを攻撃するから、その際は支持してくれ」と依頼したと指摘されている。
 ヨルダンのアブドラ国王は先日、日本を訪問した際「来年前半のうちに中東和平を進展させないと、大戦争の惨事が起きる。」
また、「(中東にとって)07年は非常に重要な年である。今後6-7カ月の間に和平が実現しない場合、イスラエルを含む中東全域が、破滅的な結末を迎えることになる。」と述べている。
これらのことからイランとの開戦時期を予測すると、現時点で最も可能性が高いのは07年3月から6月ごろということになる。(2006.12.28国際ニュース解説)

1月7日、イギリスの新聞サンデータイムスは「イスラエルが、戦術核兵器(核バンカーバスター)を使ってイランのウラン濃縮工場を破壊する計画を秘密裏に進めている」と報じた。(2007.01.09国際ニュース解説)

米高官によると、宗派間抗争が頻発しているバグダッドに米軍5個旅団計約1万7500人が新たに投入されるほか、国際テロ組織アルカイダ系武装勢力の拠点となっているアンバル州には2個大隊計4000人程度が追加派遣される。イラク駐留米軍は現在13万人余りで、増強後は15万人を上回る。
 宗派間抗争の激化でイラク情勢が泥沼化する中、議会多数派の民主党は段階的撤退を要求。大規模な増派に反対する姿勢を明確にしており、新戦略をめぐってブッシュ政権と民主党主導議会の激しい攻防が展開されるのは必至だ。(2007.01.11時事通信)

増派の目的は、建前はイラクの治安の安定を目的としていますが、兵力の漸増は兵法上何の効果もありません、この増員兵力はイランへの転戦が目的であり、米軍がイランを攻撃するための増員と考えます。



イスラエルは、消滅に、確実に向かっています。

自己差異性

2007-01-12 23:04:21 | 酔生夢死
酔生夢死と関係無く

 自己差異性 その1

自己同一性の罠を考えるときに、物(者)とその認識による切り口がありますし、存在に対して絶対無の概念が近似値としてあるなど哲学的存在の面と、もうひとつは他者(人、体制)との関係における社会的存在の面があります。

どちらの面から突き詰めて行きましても、自己同一性の違和(不快)を覚えます。その原因を考えていて、自己同一性に対して自己差異性(造語です。意味は字面のとおりです。)の構造を置いてみましたが、気分的に楽な取っ掛かりですが、結論は何ら変わりません。
違和(不快)を覚えます。
「同一」と「差異」とは、突き詰めると「存在」と「絶対無」との関係と同質です。



*極私的な混沌を紡ぎ出していることを前もって断って置きます。
ここで認識論、存在論などのphilosophyの一端を論じる心算はありません。またそのような語るべき知識を持ち合わせていませんし、持つ心算もありません。