Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

マルクス・ガブリエル

2013-09-30 21:59:33 | 異形の滓
なぜ「世界」が存在しないのか

様々な事柄(事象、自分の心身も含む)を認識(精神、意識等)する存在に対して、その存在を離れて認識する存在(自分自身)により客観視し、更に「その存在を離れて認識する存在」が果てしなく続く考え方がありますが、その先には「神」が宿っていると考えます。

様々な事柄(事象、自分の心身も含む)を認識(精神、意識等)する存在により、自分自身を客観視する認識(精神、意識等)は、果てしなく続く営為ではなく、自分自身を客観視する認識(精神、意識等)の質そのものに負うものであり、それ以上でも以下でもありません。

朝日新聞「論座」が2008.9.1に休刊(10月号)し、論調の一部を継承する意図で2008.10より「GLOBE」が朝日新聞に月2回折り込まれています。
「Culture」欄には、世界各都市のベストセラーが紹介されており、単に野次馬的に読んでいます、この島国の和書ベストセラーに興味がないのに。

9月15日のGLOBE(119号)「Culture」欄は、ミュンヘン在住の美濃口坦(翻訳家兼ライター)によるドイツのベストセラー(Der Spiegel紙ノンフィクション部門)が紹介されています。
第6位にボン大学の独哲学者マルクス・ガブリエル教授(33)の『Warum es die Welt nicht gibt』(直訳「世界は何故ないのか」)がランクインしています。

美濃口坦は『「世界」は存在できるのか』として超簡略なアウトラインを紹介しています。

『古代ギリシャ以来、哲学者がその存在を前提としてきた「世界」を、ガブリエルは、個々の事象をすべて収容できる巨大テントにたとえる。テント全体を見ようとする人は外に出なければいけない。外に出た途端、今までのテントと、それを外で眺めている人を収容できるもっと大きなテント(=世界)の想定が必要になる。こうして少し前まで「世界」とされていたものも、ただのテント(=個別の事象)に転落。これが「世界」が存在できない理由だそうだ。』(抜粋)

邦訳されていませんので誤謬を承知の上でメモをすれば、導入部に書きましたように様々な事柄(事象、自分の心身も含む)を収容している巨大テントが仮にあってもその外に人は出られません(テントの「内」と「外」は位置ではなく妄念です。)、ましてや巨大テントそのものは存在せず(このことを「世界」とするのなら、「世界」は存在しません。)、ただ、様々な事柄(事象、自分の心身も含む)の認識(精神、意識等)の質そのものを自問自答し続けることであり、そのことにより様々な事柄(事象、自分の心身も含む)は、具体的に存在すると言えます。

なお、Der Spiegel紙の書評では『ガブリエル教授の業績は「世界」の存在を否定しても、個々の事象の存在を意味と関連させて肯定する点にある』と。

*ちょっと乱暴なメモになってしまいました。


GLOBE(119号)より

グラビア美少女時代

先日本屋で物色していると一冊の新書が目に留まり、表紙の「綾瀬はるか」の写真が妙に印象的なため購入しました。


「グラビア美少女時代」(細野晋司他 集英社新書)

無名の少女たちの写真表現を切り口に「グラビア」、「アイドル」、「メディア」、「グラビア印刷」、「写真」等について論じられており、単に時間潰しのつもりが読み耽ってしまいました。

彼女のお気に入りの一葉(右側の写真)です。


同書126Pより


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