Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

皮膚感覚

2014-09-23 09:42:48 | 異形の滓

今朝の散歩、一回り小さくなった愛犬は、ゆっくりと周囲を見渡しつつ道端のにおいを確認し、時々躓き、時々よろめき、時々僕を振り返りながらの散歩でした。

愛犬の仕草の一部始終は、僕が認識するのではなく、愛犬に僕が認識させられていることを思い起こさせます。

早朝の秋冷の大気、昇った朝日は柔らかな温もりを感じさせます。


秋分の朝日の柔らかな温もりは、僕が感じるのではなく、僕が感じさせられていることを思い起こさせます。 


僕の皮膚感覚として例えば、芝居といえば、能楽、狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃などではなく、巨大テント内の異時空に、いわゆるサブカルの類に心身を委ねていました。(伝統芸能を云々言えるような素養すらありません。)

8月からNHK Eテレで『ニッポン戦後サブカルチャー史』が放送されており、第三回は『劇画とナンセンスの時代~「カムイ伝」と「天才バカボン」』でした。

白土三平の「カムイ伝」は通読していません、当時、全共闘時代のバイブルとか言われていましたが、時々買ったり友人の部屋の『ガロ』を読むぐらいのものでした。(そのうち読み通そうと思っていますが。)
第一部では「村落コミューン」の期待、絶望、希望、悲惨等が、「差別問題」、「階級認識」、「唯物史観」、「権力構造」等を通して描かれいます。(同氏の「忍者武芸帳」は同じテーマですが、分かりやすく展開されています。)

当時、「差別問題」、「階級認識」、「唯物史観」、「権力構造」等は、「問題意識(問題化)」として自ら考えていた、と何の疑問もありませんでした。
後になって、自らの「問題意識(問題化)」として、例えば「カムイ伝」、「学生運動」、「テント小屋」、「1968年」等の『サブカル』の一端が、考えることを強いていた(考えさせられる)ことに気付きました、いかに、幼稚で未熟であったことか。

写真は同番組より(白土三平の本は引っ張り出せませんでした。)

ですから、「類的存在」の概念がありますが、視座を「他の人」と「自分」との関係による、自ら認識(考える)する事柄ではなく、認識(考える)させられる事柄です。


また、「他の人」だけではなく、早朝のゆったりした愛犬との散歩、季節の移ろい、様々な出来事、身の回りにある物、書籍、映像等により感じさせられたり、考えさせられたりしています。

そのようにして「類的存在」の概念を考えさせられますが、これが困難、難解、そして怠惰が待ち受けています。

*写真、緊張感なく貼り付けていることがバレていますね。

 


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