Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

共・有時試論 補遺その14

2012-01-26 06:48:10 | 異形の滓
フェーズ( Phase) その1

日常生活の中では多くの物語が語られていますが、そのうちのひとつの物語が語られると、ほかの多くの物語は言葉を失います。

言葉を失いますので確認はできませんが、生活の中でもつれ(語られる物語の断裂)が現われることから、同時にめり込み続けていることが伺えます。

一つのことが語られる(思惟)ことは、多くの他の語られないこと(思惟)が生起します。
常に語られなかった事柄の果ては何なのかに好奇心があり続けます。
覗き見たいと常に考えていますが、夢想に絡め取られ続けます。

他の方には、意味不明、戯言、難解、寝言等であり、日々の生活にとって糠に釘の言説として溢れています。
当人にとっては、信仰にも似た(信仰そのもの?)位相として日常生活にあります。

問そのものが体をなさない、成り立たない領域が背後にあります。

例えば「□□□」について様々な考え方が表象されていますが、そのひとつを知り自分なりに落とし込むことは、自分のひとつの物語が紡ぎだされるだけのことです。
 「□□□」について用意されていた他の物語は、言葉が与えられないだけのことでありながら紡ぎ続けられます。

ですから、十人いますと十の物語が語られますが(十人十色)、たったひとつの思惟であることが分かります。「□□□」には、関心のある事柄の言葉、「愛、搾取、悲哀、生死、資本、労働、精神、階級、存在・・・・」を入れることが出来ますので。

これと異なって、十の物語を一つの物語とすることは、ファシズムでありまたは信仰です。



* * *

昨年の夏から書き続けてちょうど40回となりました。
あと何回分は書きあげているのですが、年も代わりましたことからちょっと中断します。

日常生活の中から、例えば喜怒哀楽の肉汁のような発語が必要なのですが、どんどん切り捨てているところがあり、自分ながら不本意を覚えています。

「共・有時試論 その26」でも書きました一行をメモして中断します。

在るは、問うても問わなくとも在る。

つづく

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