貨幣は、人が考え出した最高の機能であり、最悪の観念と考えています。
貨幣を是認した思索に対しては、批判的になります。
単なる地域通貨についても同様です。
ただ、減価貨幣は楽しい考え方だと思います。
貨幣を否定したところからの「生産様式」、「交換様式」を基底としない(出来ない)、「共有様式」の社会の在り方があり得るのではと妄念するところがあります。
共有地(コモンズ)は、自然に対しての関係性は、オープンアクセスしない限りコモンズの悲劇は起こり難いと考えます。
何千年という長い年月を経た、人の知恵そのものです。
共有地と共有地の境界は、関係性そのものです。
共有そのものは、総有、合有、共有の三つの形態とすることができますが、この三つがそれぞれ独立しているのではなく、共同体内でスルリと入れ替わる特質を持っています。
「物」に限定せず、行為、言語、関係等に「共有」そのものの構造を持たせることが出来ます。
本来持っている?
僕自身嫌悪感を持つ「相互扶助」は、一つの共有様式と捉えなおすことで、嫌悪感を払拭できる可能性があります。
また、共同体と共同体との物の「交換」は、商品、貨幣への論考とは別に、一つの共有様式と捉えなおすことができます。
いくつかの「共有様式」が考えられます。
以前にメモしました「寄生」は、「共有様式」のひとつと言えます。
この地球を何回も購入できる札束の量を抱える金融資本は、自ら交換価値を棄損しています。このことは、未来への絶望的な担保なのでしょうか。
メモしてから、若干の誤謬があることに気付きましたが、後日に訂正します。(確認したい資料が、埋もれて見つかりません。)
貨幣を是認した思索に対しては、批判的になります。
単なる地域通貨についても同様です。
ただ、減価貨幣は楽しい考え方だと思います。
貨幣を否定したところからの「生産様式」、「交換様式」を基底としない(出来ない)、「共有様式」の社会の在り方があり得るのではと妄念するところがあります。
共有地(コモンズ)は、自然に対しての関係性は、オープンアクセスしない限りコモンズの悲劇は起こり難いと考えます。
何千年という長い年月を経た、人の知恵そのものです。
共有地と共有地の境界は、関係性そのものです。
共有そのものは、総有、合有、共有の三つの形態とすることができますが、この三つがそれぞれ独立しているのではなく、共同体内でスルリと入れ替わる特質を持っています。
「物」に限定せず、行為、言語、関係等に「共有」そのものの構造を持たせることが出来ます。
本来持っている?
僕自身嫌悪感を持つ「相互扶助」は、一つの共有様式と捉えなおすことで、嫌悪感を払拭できる可能性があります。
また、共同体と共同体との物の「交換」は、商品、貨幣への論考とは別に、一つの共有様式と捉えなおすことができます。
いくつかの「共有様式」が考えられます。
以前にメモしました「寄生」は、「共有様式」のひとつと言えます。
この地球を何回も購入できる札束の量を抱える金融資本は、自ら交換価値を棄損しています。このことは、未来への絶望的な担保なのでしょうか。
メモしてから、若干の誤謬があることに気付きましたが、後日に訂正します。(確認したい資料が、埋もれて見つかりません。)
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