読書ノートNo.15
「はじめに」その1
本編「はじめに」は、本稿『読書ノートNo.18「はじめに」その4』に向かって収束しています。
「それ自体で存在するものを認識によって意識のもとに獲得しようとすることが、そもそものはじめから矛盾に満ちた試みであり、すでにして認識と絶対的なものとのあいだにきっぱりとした境界線が引かれている、ということになる。51P」
認識の様々なあり方が、絶対的なもの=絶対知を認識するための「媒体」であると、言わんとしていると読みました。
「意味は周知のところだといい、だれでもその概念がわかっている、と称することは、概念をきちんと提示するという肝心な作業をおこたるための口実にしかなっていないようなのだ。54P」
「自明の理」とかの発語を思い起こせば、内省の欠落したコミュニケーションの、なんと満ち溢れていることか。
「魂が、その本性にしたがって設置された宿駅さながらに、さまざまな魂の形態を順々にめぐり歩き、精神へと純化を遂げていく道程の形をとる。55P」
「魂」の語彙は、拒絶してしまいます、原典ではどのような語彙なのか確認したくなります。
愛犬との散歩、ハマナスの実の赤が飛び込んできました。
「はじめに」その1
本編「はじめに」は、本稿『読書ノートNo.18「はじめに」その4』に向かって収束しています。
「それ自体で存在するものを認識によって意識のもとに獲得しようとすることが、そもそものはじめから矛盾に満ちた試みであり、すでにして認識と絶対的なものとのあいだにきっぱりとした境界線が引かれている、ということになる。51P」
認識の様々なあり方が、絶対的なもの=絶対知を認識するための「媒体」であると、言わんとしていると読みました。
「意味は周知のところだといい、だれでもその概念がわかっている、と称することは、概念をきちんと提示するという肝心な作業をおこたるための口実にしかなっていないようなのだ。54P」
「自明の理」とかの発語を思い起こせば、内省の欠落したコミュニケーションの、なんと満ち溢れていることか。
「魂が、その本性にしたがって設置された宿駅さながらに、さまざまな魂の形態を順々にめぐり歩き、精神へと純化を遂げていく道程の形をとる。55P」
「魂」の語彙は、拒絶してしまいます、原典ではどのような語彙なのか確認したくなります。
愛犬との散歩、ハマナスの実の赤が飛び込んできました。
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