Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日124. 復興と復旧

2017年12月11日 | Kyoto city

  さてGoogle mapを見ながら、京都市内の古そうな瓦屋根の一群を探し、それからようやくコースの概略を思いつく。さしあたり京阪丸太町で降りて古い街並みを下がれば、お寺も多いし、あの路地を活かした旅館もあるし、三条駅から大和大路通を下がれば祇園の進々堂か寺町のお多福珈琲だし、河原町通だったら六曜社だ、といった具合に公共交通機関で出かけ歩いて都心にたどり着くこと、古い珈琲屋があることが散歩の条件といってもよいかな。京都は、そんな散歩コースが幾重にも組み立てられるのが魅力なのだろう。

 都市とは本来そうした生活の歴史の積み重ねと多様な空間とが長い時間をかけて形成された複雑系の世界なのだが、日本の都市の大半は戦災で一度そうした複雑系都市の世界をご破算にし、道は広くまっすぐに、建物はコンクリートで、といった具合に都市計画の知識で復興させたから、つまらない街が多いというのが現在の姿だ。

 復興というのは、前の状態よりよくすること、復旧というのは前の状態と同じところへ戻すこと、という概念の違いがある。これまで戦後日本がやってきたのは、そして今も東北大震災後におこなっているのは復興である。コミュニティや経営や人間関係といった前の状態をすべてご破算にして都市計画の理論などに沿って都市を再整備するというわけだ。

 ヨーロッパの戦災都市などをみると、それらは明らかに復旧なのである。前の状態に戻したわけである。だからコミュニティも生活も歴史の蓄積も多様な空間も前の状態を継続していることになる。

 復興がよいのか復旧がよいのかが都市再整備の分かれ目である。日本人は前の状態よりよくするのだから復興という考え方を暗黙の内に信奉しているが、それまで蓄積された生活の歴史や蓄積、錯綜する面白い空間まですべてご破算にして新しくつくるというのが復興である。そこまでしてよいのだろうかという疑問が私にはある。

 京都は幸いにして戦災に遭わなかったから、錯綜した歴史や多様な空間が残されている。だから街を歩く面白さがある。ヨーロッパの都市を引き合いに出すまでもなく、都市とは本来そういうコミュニティ・生活・歴史・空間の複雑系が同居する複雑系の世界であることを日本人は完全に忘れてしまったのだろうか。

 そんな複雑系都市の魅力は、ニューヨークにもパリにもローマにもある。だから多くの日本人がこうした街を徘徊しWEBなどで絶賛している。しかし住んでもいない他所の都市を褒めてもあまり意味があることではない。それよりかは、自分の住んでいるところをよくしろよといいたいが、すでに張りポテ現代建築位ではしゃいでいるし満足しているようだから時遅しなのだろう。

 つまり復興ではなく復旧でよいとする考え方も当然ありえる。私ならば、時には復旧でよいのではないですかという場合もあると考えている。その方が長い時間をかけて形成されてきたコミュニティや歴史や生活の蓄積を継続し多様な空間の複雑さが残り都市が面白くなるからだ。現に火災で焼失した大阪市の法善寺横町は復旧によって街を再生させている。

 

京都市裏寺町通

EOS1Ds Mark3.EF16-35mm,F2.8,L USM

ISO250, 焦点距離35mm,露出補正0,f/11,1/400

 

 

 

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