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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

京都暮らし272. 国立国語研究所からの依頼

2010年04月02日 | Kyoto city
 先日国立国語研究所から、私が執筆した論評をコーバス整備計画で採用したいので、著作者の許可が欲しいという要請が来た。コーパスというのは、明治から現代に至る日本語の言語データベースKOTONOHAを構築しようという壮大な試みである。
 その主旨をWEBサイトで探ると、『私たちの生きているこの時代に生産され、流通している「現代」日本語の実態を、何らかの基準に基づいてバランスよく反映した形で記録する必要があります。そのようなコーパスのことを、現代日本語の書き言葉均衡コーパスと呼ぶことにしましょう。』とある。現代語でも1億語を収集しようというものだ。
 もちろん私はこれに著作者として快諾した。以後現代書き言葉の一つとしてテータベース化され、公開され、そして恥ずかしいことに将来においても、論述分野における平成の書き言葉の記録の一つとして残され、後生の研究者達の資料となるだろう。
 私自身は、美術系の学部の出身だから、特に言葉について勉強した経験は少ない。振り返ってみて勉強になったと思うのは、プロデュース企業でコンセプトワークをしていた頃だろう。ここで、この上司から物事の概念の構造というものをみっちり勉強させられた。こうした知の蓄積が、その後の学術論文の論述的な執筆に反映している。その他に文章を書くと言う訓練は、世間よりは早い時期から使用していたインターネットのメールなどである。このブログも文章の練習に多いに貢献してきたと思われる。
 だから私の場合は、現代語で普通の文章が書けるということは、日々の訓練或いは多くの執筆機会によるものである。それがあってようやく普通の現代の文章で論述できるわけである。そうした多くの訓練や機会を伴わなければ、赤ん坊の叫び声に等しいのである。言葉は、誰でもが使える汎用性があっても、練習するなど書き慣れなければ、相手に伝わる文章にはならない。そこに言葉或いはコミュニケーションの奥義があるのだろう。

京都市・清水寺,2010年3月31日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4,ISO400カラーモードF2.
コメント
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