昨日の京都は、曇天であった。光も乏しかったので、とくに感慨もなく普通に散歩していた。訪れる観光客がどこが欲の皮が突っ張ったように見えてくる、というのはこちらの精神状態の悪さなのか。ここ何日か寒かったので、桜の開花も足踏み状態だ。
名古屋に通い出してから10年以上は経つ。その間に随分京都の街は歩いてきたので、最近食傷気味である。つまりこの街に飽きた、といっても今はこの街に住んでいるのだから飽きたどころではないのだが。
私は、そんなに撮影に熱を上げているわけではないが、人と同じような方向にレンズを向けて漫然と撮っていると観光写真になってしまう。それで、おっ、これではいけないと、思って視界を変えることになる。ある程度こちらが意識の上で身構えることを要求されるのかもしれない。最も被写体は時間を加味すれば限りなく多いのだから、身構えるといっても、そんなに難しいことではない。
等と思いながら、昨日は夕方何時もの散歩コースを歩いていた。もちろん少し遠出をすれば、いくらでも被写体はあるだろうけど、でかけませんね。むしろ散歩の道すがら、という意識の方を尊重したいですね。
京都市・三寧坂,2010年3月31日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4,ISO640,カラーモードF2.
名古屋に通い出してから10年以上は経つ。その間に随分京都の街は歩いてきたので、最近食傷気味である。つまりこの街に飽きた、といっても今はこの街に住んでいるのだから飽きたどころではないのだが。
私は、そんなに撮影に熱を上げているわけではないが、人と同じような方向にレンズを向けて漫然と撮っていると観光写真になってしまう。それで、おっ、これではいけないと、思って視界を変えることになる。ある程度こちらが意識の上で身構えることを要求されるのかもしれない。最も被写体は時間を加味すれば限りなく多いのだから、身構えるといっても、そんなに難しいことではない。
等と思いながら、昨日は夕方何時もの散歩コースを歩いていた。もちろん少し遠出をすれば、いくらでも被写体はあるだろうけど、でかけませんね。むしろ散歩の道すがら、という意識の方を尊重したいですね。
京都市・三寧坂,2010年3月31日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4,ISO640,カラーモードF2.