書道家Syuunの忘れ物

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小説「坂の上の雲」を読み直す・その7 詳細3

2010-01-03 12:12:57 | 映画、書評など
小説「坂の上の雲」を読み直す・その7 詳細3

反日プロパガンダと化したNHKスペシャルドラマ

12月27日(日)放映第5回、留学生

NHK版の「坂の上の雲」、さらっと見流しすと何も感じない様だが、後に何か残るいやらしい毒の入ったプロパガンダ映像である。
その毒とは、全て小説からではなくNHKの創作と言うべき挿入で、かなり不自然である。
少なくとも司馬遼太郎原作「坂の上の雲」と言うのなら、司馬史観に沿った構成をするなり、小説から飛び出すNHK的「蛇足」というものは排除すると言うのが筋というもの。
又、「坂の上の雲」という母屋を借りて、その中でこそこそNHK版の日清日露史観やら、反米、親中国、親朝鮮、韓国、親ロシアという思想をちらつかせるのは反則である。
だから、「坂の上の雲」の筋に沿って行くと、小説を読んでいる人ならその不自然さというのは鼻に付くものである。
そんなNHK版「坂の上の雲」を好意的に見ている視聴者というのは、反司馬史観という価値観を持っている人達は別として、ほぼ小説「坂の上の雲」を読んでいない人達である。
そう言う、人達に対して司馬遼太郎が書いている「坂の上の雲」と言う、母屋の下の洗脳はかなり効果があった様である。

NHKは、プロジェクトJAPAN スペシャルドラマ「坂の上の雲」と称しているとおり、
「プロジェクトJAPAN・アジアの一等国」と同じ感性を貫き通している。
だから、「アジアの一等国「台湾編」」でその批判に対して、NHK的思想を挿入しているにも拘わらず、史実を調べて実際そうであったなどと「木で鼻を括った」回答をしていたのと全く変わらない。
その後、その嘘はばれて釈明していたが、それだから今回も同じようなことをしている。

NHK版で沿って言うと、秋山好古が帰宅したシーンなど多分余りの違いに驚くと言うものである。
その前のシーンに広瀬大尉が、写真館で正装と裸の写真を撮り、そこに居合わせた秋山真之が同じく裸の写真を撮るというのは全くの捏造であった。
これでは秋山真之というのは、単に付和雷同型の頭筋肉の体育会系である。
米国留学の小説のシーンでも分かるように、小説「坂の上の雲」では他人の意見をそのまま取り入れず、全て真之の中で消化して新しい考え方を構築する人物。
即ち、「学校秀才」ではなく「謎解き秀才」という世界中探しても中々見つからない天才である。
実際、「謎解き秀才」である証拠を「坂の上の雲」で書かれている。
書かれているのは、同郷の後輩竹内重利に
「これが過去4年間の海軍兵学校の試験問題だ」という部分。
写真館で正装と裸の写真に戻ると、小説では、広瀬大尉が(駆逐艦・水雷艇)「盤城」航海長の時で、秋山真之は報知艦「八重山」分隊長だから逢うはずがない。
そして、真之は同様なことをしたとは書いていない。
秋山真之という人物は眼光鋭く、近寄りがたい人物であったと「坂の上の雲」には書かれている。
「広瀬さんは顔がいかつくて武張ったひとだったが、知り合ってみるとたいそうやさしかった。逆に秋山さんは顔はそれほどでもないが、肝から電気が出ているようで、おそろしくて近づきにくい感じがした。」(目次「渡米」)
だから、頭脳よりも体力勝負という感じの広瀬大尉とは、そもそも違いすぎる。
二人で一軒家を借りて同宿したのは、
秋山真之、明治29年11月軍令部出仕
広瀬大尉、明治30年3月盤城航海長より軍令部出仕
そして、明治30年6月26日米国留学発令だから精々3-4ヶ月の話である。
日曜日に広瀬大尉と秋山真之が揃って、松山の親戚から餅が届いたからそれを食べに行ったのはこの間。
そこに、NHK版では秋山好古(陸軍騎兵中佐・乗馬学校長)が帰ってきて、子供を抱き上げるシーンや、広瀬と真之と話をするシーンなどは小説にはないフィクションを挿入している。
こんなフィクションを挿入していると言う事は、NHK的価値観以外には、余り調査していないと言う事が分かる。
何故なら、秋山好古は公休にしか帰ってこないのは当たり前の上、子供と接することはほとんど皆無だったという。
「好古は無欠勤主義であり、また医者嫌いでもあったことから、家に居るのは公休日だけであった。その公休日も来客対応で過ごすことが多く、まれに暇な時でも座敷に独座して読書をするか庭を眺めて黙想するかで、子供はもちろん夫人といえども室内へ入ることはあまり許されなかった。このように、好古は家庭内で家族と接する機会が少ない生活をおくっていた」(引用・「春や昔」・坂の上の雲のファンサイト)

さて、NHKが「反米」という価値観をこっそり出した秋山真之の渡米のシーンは先としてその前に、「根岸」という項目を設けて正岡子規に反戦演説をさせている。
そして、広瀬大尉のロシア生活の大笑いはまたあとに書く。
小説では同じく「根岸」という目次はあるものの子規の日清戦争中(明治27-28年)と過去のエピソードであって、二年も後の明治30年ではない。

このシーンを小説から飛び、飛びで、抜き出してみると
翌朝、真之は、子規を見舞って当分のわかれを告げるべく根岸へ行った。
(どうも気がすすまぬ)
‥‥中略‥‥
真之は、枕頭にすわった。
「痛むのじゃ」と子規は真之を見上げた。
「そんなにお痛みか」と真之はのぞき込んだ。
「穴があいているのよ」
子規は、ひどく優しげな表情をしていた。
‥‥中略‥‥
絵?」
枕頭に。絵が置いてある。
「その絵を、なんの絵と見たら?」と子規はいった。
‥‥中略‥‥
「海軍といえばイギリスかと思うたが、アメリカにも海軍はあるのか」
「ペリーの名をお忘れか」
「ああ、そうじゃ。アメリカの海軍というのは、強いか」
「イギリスという別格をのぞけば、フランス、ドイツ、ロシア、それにアメリカ、ほぼ同じようなものかな」
やがて子規は熱が出てきたのか、
「あしはもうねむるぞな」
といったため、真之はふとんのすそをたたいてやった。そのあとそっと立ちあがり、やがて正岡家を辞去した。

正岡子規は「結核性の脊髄炎」で寝たきりになっている。
それが、NHK版「坂の上の雲」では、起きて熱弁を奮っていいるのである。

子規、「日本人はな猿まねの民族といすわれておるが」
    「外国に行ってもひくつになってはいかんぞな」
    「西洋とても模倣を繰り返して、ようやく猿まねがおわったとこや」
    「イギリスもフランスもドイツもまねしおる、ぬすみおうて文明を作り上げた」
    「西洋は15世紀にそれをやって、日本は19世紀にそれをやっただけという違いや」
    「アメリカはそういう連中の吹きだまりや」
    「猿まねがどこが悪い、日本人‥‥」
    ‥‥中略‥‥
真之「そういう国をほろぼしてはならん」
子規「国が滅びるということは文化が滅びると言う事じゃ」

このシーンは、ほとばしるように病気で寝たきりの筈の子規が真之に説教する。
今回も何やら悲壮感のある暗いシーンになった。
またもや、子規は「NHKかと言いたくなるような言いぐさである。」
そして、不思議なことにこのシーンも秋山真之という人物を普通のそこいらにいる「小人」に見えるように描いている不思議さがある。
尚、「西洋は15世紀にそれをやって」というのはどういう意味だか理解しかねる。
何故なら、15世紀の欧州はスペイン、ポルトガルの大航海時代でまだ混沌とした時代。
しかも地中海はヴェネツィア帝国(共和国)、日本では室町時代。
説明して欲しいものだ。

後に述べる米国留学シーンも含めて、秋山真之というのはどう見ても賢く見えない。
秋山真之の感じというのは、「職人」であって、非常によく似ているのがあの大リーガーの「イチロー」である。
イチローの感じのストイックな秋山真之とするなら、NHK版「坂の上の雲」の真之は馬鹿すぎて辻褄が合わない。
只、イチローと秋山真之の違いと言えば、秋山真之は小男で驚くほど気が強く、どちらかと言うと暗闇からで出来たような人物である。
その上「格好が悪いことが嫌い」という目立ちたがり屋の人物で、考えてみればどう考えても泥臭い陸軍より海軍の方が「格好がよい」。
又、取っつきは悪いが話し出すと止まらない。器用貧乏で、子煩悩、多分女性には不思議ともてた。要するにB型人間??様な雰囲気である。
ちなみに六星占術では、土星人(+)、六白金星。
これ以上書くと、「坂の上の雲」と離れてしまうので置くとして、何やらNHK版の「坂の上の雲」とは一線を隔すようだ。

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