「中国の大気汚染は国土の4分の1、6億人に影響 環境保護省(産経新聞)」という記事があった。テレビでも散々放映されているとおり、中国の大気汚染には驚くべきものがある。その昔日本でも公害問題がクローズアップされて、マスコミが大騒ぎしたというのが丁度石油ショックの頃である。
その影響でその後理科系離れが進むとともに、新規採用を自粛して企業でのこの世代の凹みが出来、その後の技術革新に支障が出たといわれる。
その大気汚染が問題になる直前の東京オリンピック後、父が単身赴任していた長野市へスキーに行ったことがある。そのとき駅で東京から来た人かどうかというのは、顔を見れば一目でわかった。それはみんな「顔パック」でもしているのかと思うほど「生白い」。特に女性は地方の人のどことなく日焼けした自黒の肌に比べて際立っていた。
そんな東京とはいうものの、多少どんよりとした景色だったが、今の中国の大気汚染とは別物である。
その東京の大気汚染は、それからあっという間に解消して東京の人も地方の人の肌も変わらなくなった。それどころかゴルフ焼けとかいって、より日焼けした人が増えたくらいであった。
その中国の大気汚染の地図を見ると、中国だけではなくインドもかなりひどい。それだけでなく東南アジア全体が大気汚染に見舞われている。
今頃修学旅行も行われているらしい。
中国へ行くのはもってのほかというのはよくわかるが、今修学旅行で良く行くようになった台湾も大気汚染が凄い。
そしてよく見ると沖縄も大気汚染が迫っているように見える。
尖閣諸島の直ぐ側の石垣島は、何とか外れているようにも見えるが別の意味で結構焦臭い。
そういえば、東日本大震災の後の「東京電力福島第1原発事故による放射能汚染」を怖いからと仙台から沖縄・石垣島まで逃げて移住してしまった歌人がいた。
放射能が怖いからと逃げるにしても一番遠いと思われる尖閣諸島間近の石垣島とは驚くのだが、中国の影響は全く恐怖にないようである。尖閣諸島で紛争が起こったら今度は大気汚染も絡んで「東京」まで逃げ帰るのであろうか。
<子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え>(TM)
ところで小生も書団の会長をしているので、雅号を付けてやるということが何回かある。それで散々考えあぐねた上に雅号を付けてやったから、何かお礼でもくれるかと言えば師匠ではないから何も貰ったことはない。
それでも付けてやるのは、東京の展覧会に出品するのには「雅号」が必要だからである。いつぞや白扇書道会での雅号貸与の基準を聞いたことがある。それには競書雑誌で師範の資格を得たらというようなことだったらしい。
但し例外があって、中国へ書団として出向くとき種谷扇舟先生が「雅号がなかったか」と列車の中で気まぐれで付けてしまうこともあったと聞く。
うちの艸玄会での基準は、師匠の横堀艸風先生がどういう基準で雅号を付けたのかは判らない。
これは師匠の気まぐれで、群馬県書道展委員、委嘱作家、一般の区別なく一斉に雅号を与えていたことに出会ったことがある。
そのとき小生は、その選に漏れて雅印も横堀先生に彫ってもらったことはない。
それから代も変わって県展(審査)委員でさえも雅号を持っていなくて、県展委嘱以上は雅号を名乗ると号令を掛けて名乗らせることにした。
それが今は、雅印をある高名な先生に刻してもらうのに際して、あらかじめ雅号を名乗ってしまった方が経費的に安いという安易な選択になった。
特に中央展に出品している作家は、雅号が基本になっていて本名を名乗るのは「かな作家」ぐらいしかいない。
その雅号の付け方というのは、実は決まりがある。
お茶やお花の雅号というのは、流派の文字や先生の雅号の一字と名の一字でという安易なものが多い。
その一方、書道は一般的な雅号の決まりに従って付けることが多い。
横堀艸風先生はどんな風に付けていたかというと、「名」の一字が雅号で使われている文字であればそれを使い、そうでなければ何か違う文字に置き換えて「○風」と付けていた。それで艸玄会では、艸風先生の直弟子でないと「風」は付けられないという「決まり」が何となく出来ている。
それでは柊雲は何故「風」を付けなかったかというと、読み下しの語呂か悪かったからである。
事実、艸風先生が雅号を付けた中に「風」がつかない先生もいて、必ず「風」を付けなければならないという意味でもない。
逆に言えば書団の中で師匠の雅号の一字を取るというのは、当たり前にあるとは言うもの限界がある。
雅号というのは、花鳥風月と建物、住まいから付ける。
そして女性は陰、男性は陽になる。
昔の上級武士が「○○右衛門、○○衛門」と名乗りを付けたのは、騎乗でくぐれる大きな門構えのある屋敷に住んでいたという理由がある。
いずれにせよ長く使って行く雅号なので慎重に考えて行くしかない。