書道家Syuunの忘れ物

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syuun風「アグネス・ラムの時代」その1a

2007-02-20 23:21:27 | 雑感・どうでも良いこと

「昭和という時代のアイドルビジネスの舞台裏」

アグネス・ラムというのは、第一次石油ショックの直後に日本に現れた20歳のハワイ出身のモデルである。‥‥1975年・昭和50年。
そして、この1975年というのは芸能界でいろいろな出来事が起こった年でもある。
はっきり言えば、反・浅田美代子現象である。

浅田美代子と言えば、今ではれっきとした女優さんだが元々はスーパーアイドルだった。
東京女学館高等部2年在学中の1972年夏、街頭でスカウトされて芸能界入りする。
この芸能界入りは、家族は大反対だったという。
ところが、浅田美代子本人が勝手に退学届けを出して高校を止めてきてしまったから‥‥仕方がないと言うことだったと言われている。

金ボタンのブレザーにミニスカート、そして金具のついたブーツの浅田美代子。
当時のアイドルに比べてどれほど可愛かったか。
同じ頃デビューしたのは、巨乳の「ノーテンキな(当時でも巨乳はバカの象徴だった)」18歳の水沢アキだった。
後年、水沢アキ本人が暴露しているとおり、18歳の「お中元・お歳暮」の「抱かれる女」になっていた。
この単なる「可愛い子」アイドルだった浅田美代子は、ドラマ「時間ですよ」の新人オーディションに何故か合格してあっという間にスーパーアイドルになってしまう。
そして、歌手デビューしたのが「赤い風船」だった。
「1年で50万枚近くを売り上げオリコンの年間セールス10位の大ヒット(この年の新人歌手のシングルでは最大のヒット)となり、1973年の日本レコード大賞で新人賞を受賞する。」
浅田美代子の歌は最低だった。
音程もバラバラ、気持ち悪いの一言だったが只「可愛い」の一語でなんでも許された。但し、歌はひどかったが、バックのアレンジは最高だったね。
ここで飛び出すのがNHKオーディション。
即ち、大人気の浅田美代子をNHKは出演せざるおえない事態になったのだ。

「また当時NHKに歌手として出演するためには局のオーディションに合格する必要があったが、通常1~2回で済むところ、彼女は5回目でようやく合格した。」
とあるが、10回程度ではなかったかと記憶するで合格。
その後10回目で合格ではみっともないと言うことで、事務所が5回と言うことにした。

では何故落ちたのかというと、歌い始めて歌詞を間違えてか歌うのを止めてしまうのだとか。
結局NHKは、途中で止めても最後まで「歌え」と言い渡して合格させたという。
この浅田美代子、東京女学館高等部時代どんな感じの「娘」だったのか?
当時の関係者の伝聞から、いわゆる「クラスに必ず一人いる変人」又は「バカ」という表現につきる。
それは、現在でもその片鱗はよく分かろう。
そして、悠木千帆(樹木希林)が一番心配していたのが、浅田美代子が男を知らない「処女」だったと‥‥何かで言っていた。
浅田美代子以後に、西城秀樹の妹(役)として募集して芸能界入りしたアイドル。
愛知の友人の話では、学生時代「彼氏」がいて充分「男」は知っていたというから浅田美代子の例は珍しかった様なのだ。
確かに、「私の城下町」でデビューした有名歌手は、デビュー前後に山梨で二回アウスをしていたと‥‥山梨出身の友人。
20歳で「コーヒーショップで」で歌手デビューした元FM愛知のDJは、高校時代の松坂では「男性問題で」有名な存在だったとか‥‥松坂出身の友人の話。
だから皆、芸能界にテビューするアイドルというのは「男性に関しては」結構強者揃いだったわけだ。
結局、「時間ですよ」に出演している間は未成年・悠木千帆の監視下にあって、何と言うこともなく過ぎたのである。
そして、降板後が例のとなりのお姉さんが「天知真理」だ。


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