書道家Syuunの忘れ物

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連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」を今頃見て‥‥

2010-05-18 22:12:29 | 映画、書評など
連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」を今頃見て‥‥

NHKの番組というのはあまり見ないのだが、ふいと連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」を見てみた。
村井布美枝役の松下奈緒、身長が174cm元々がモデル出身、東京音楽大学音楽学部音楽学科ピアノ専攻出身のピアニストともフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には書かれている。但し、東京音楽大学というのはピアニスト養成ではなくて、音楽教育、音楽学中心だからピアニストではあまり聞いたことがない。
いずれにせよ、背が高くてすらりとして驚くほど綺麗だ。
この1961年頃には、多分あんな緑青の服はなかったのではないかとも思うし、あんな髪型をしていた人は見なかった気がする。
ふつうはみんなマンガ・サザエさんの風景、風袋と言うのがあの頃である。
1961年(昭和36年)と言えば、あの60年安保の翌年で騒然としていたかと思えば、60年安保などどこへ行ったのかと言うほど綺麗さっぱりになくなっていた。
但し、国会議事堂などの前には今で言う機動隊とバリケードが設置されて物々しい警戒だった。
時は、三年後に迫った東京オリンピックに走り出していたのだし、モノクロテレビが一般家庭で普及するのは、皇太子殿下(現天皇)御成婚ではなく東京オリンピックの直前である。
そして、主役の松下奈緒が着ている服などは当時は、オーダーメードかそうでなければ、布地を買って自分で作った。
お茶を出すシーンがあって、金縁(?)の湯飲み茶碗?
あんな豪華なものは無かったし、派手な色の服も皆無だった。

さて、「ゲゲゲの女房」を見て、何か本当のことを隠しているのか、または脚本家が知らないのかなと言う部分がある。
それは、その時代の背景というものではないか。
だから、2010/05/18で父親の飯田源兵衛が新婚家庭に来て怒り出すと言うシーン。
親の反対を押し切って恋愛結婚をしたのではなく、見合い結婚の筈。
ふつう見合い結婚なら事情も分かっているから、そんなことはならないのが普通だろう。
そして、見合いから数日で結婚する。
昭和36年と言えば、戦後16年、独立から9年、世の中もだいぶ収まってきた頃である。
その頃の結婚事情とはどんなものだったのかと言えば、女性の結婚難はまだ続いていたのではないかと言う頃である。
戦争で、その時代の男性が激減して昭和30年頃は、結婚出来ればよい方だった。
そして、結婚に失敗すれば何の手当ても職もなかった時代というのがその頃である。
この主人公の「ゲゲゲの女房」というのは、そう言う時代にわざわざ東京まで出てきて結婚すると言うものの、身長が高い。
結婚難の上、高身長、当時の言葉で「おおおんな」であれば、もらってくれるなら何でもよかった時代でもあった筈である。
実際、旦那となる「ゲゲゲの女房」の番組での村井茂は、実際には妻の布美枝が気に入らなかったという話である。
当時の女性というのは、全て背水の陣でもって生活を切り盛りして、最後に小説の副題にもなった「人生は、終わりよければすべてよし」と切り抜けてしまう。

今は、男性が幼児化してどうにもならない事もあるが、結婚に失敗しても多少の政府からの援助や、働き場所がある。
しかし、昔、離婚とその後の生活はすべて自己責任でなければならなかった時代、女性は今、男女参画を叫ぶ女性闘士よりも何倍もしぶとく、人生を生き抜いたのだと思わせるものがある。
そして、水木しげる氏には障害者というハンディ、そしてその妻の武良布枝氏には「大女」と言うハンディが、その人物の強さを増し、その大きさを支えたのではないかと思ったりもする。

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