書道家Syuunの忘れ物

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卒業アルバムと共に保存する一区切りのフォトブック

2011-06-16 23:24:07 | デジカメ関係
卒業アルバムと共に保存する一区切りのフォトブック

ここのところ年に何冊かフォトブックで写真を残すことにしている。
フォトブック デザイン簡単作成タイプ」「フォトブックスクエア
それは、その区切りまでのお気に入りの写真をパソコンに保存してある中から記念として選び出すのである。なぜそうなったのかというと、何時も手元に置いてある卒業アルバムに起因することが多い。



別の言い方をすれば、フォトブックの一冊一冊がその時の記念アルバムというわけである。その卒業アルバムも小学校の時の写真から高校まで、余り印象が変わらない人がほとんどである。中学校のアルバムは余り見る事も無いのだが、4-5年前に学年単位で同窓会をやったことがあった。
クラス単位の同窓会というのは、小、中学校でしているから別に目新しいものではない。しかし、学年単位となると卒業以来初めてという人がほとんどで実際は、紹介してもらわないと誰だか分からないくらいである。
特に女性は、写真に写っている彼女は誰だろうと散々聞いても誰も分からない事すらある。
クラス単位の同窓会というのはそれなりにやったというのは、同窓会の幹事を誰もする人がいなかったから自分で幹事になって開催したからである。


トートバッグ

やりたいことがあったら、自ら率先してやれというのは学生時代に学んだ勉強とは関係のない成果であった。
「寧為鶏口無為牛後」(寧ろ鶏口と為るも牛後と為る無かれ)とはいうものの、鶏口、鶏頭ばかりで、「牛口」「牛頭」になったことがないのが癪の種でもある。
そんなことで、高校の同窓会も卒業後20年(実際はもう少し)を記して同窓会をやったことがある。その同窓会に卒業アルバムを持ってきた人物もいたのだが、所詮男子校だから男ばかり。
そんなところに集まってくる卒業生というのは、功なり挙げた鼻高々な人物ばかりとはいうものの、卒業直下に集まってきた良い大学に進学出来た卒業生とは来る人物が違う。
荒井由美・ユーミンの「卒業写真」とは実際違った厳しい世界がそこに展開する。
そして、その高校の卒業写真を今現実の世界として見れば「ズ~ん」と三次元で前に出で来るように感じる人もいれば、依然として二次元の平面だけで終わってしまった人物もいる。



実は、そういう卒業アルバム、卒業写真の全く別の世界を見ることが最近あった。
それは、女子校の卒業アルバムである。
そこには、今では良いオバサンになってしまったはずの初々しい女子学生が笑顔(?)で写っている。
正確には、笑顔で卒業アルバムに収まっている女子生徒というのはほとんどいない。
かなり厳しい面構えでの人たちばかりで、小学校から髪型が全然変わっていない人もいる。
その後の彼女たちの様々な歩んだ人生を思えば‥と言うより知っているからこそ笑顔の人と厳しい面構えの人との差というのが増幅する。
そして、その中に小学校の同級生がいた。
小学校の卒業写真を見ると「キューポラのある街」の吉永小百合そのままの女子児童、Mがいる。
写真では、キリリとして目を厳しい面持ちで正面を向いている。彼女は、中学受験をして附属中学に合格し、同じ公立中学に進学しなかった。
その後ろには、同じ附属中学を受験して不合格だったKがぼうっとした姿で写っている。その彼女の女子校の卒業写真の顔は、その美貌は際立つものの何と笑っている。
色気さえ漂うその笑顔が何を意味するのかは分からない、少なくとも中学受験に失敗したKは東大法学部(文I)に現役合格し、Mは大学には進学しなかったはずである。

今仙台に居住するそのM嬢には、小学校同期の同窓会に何度誘ったのか分からない。
最後には、同窓会の通知を寄こすなという文面であった。
人生というのは、色々妙なことがあり卒業アルバム・写真というのは妙なことばかりである。
そして、自分としての毎年の卒業アルバムはこうして毎年フォトブックとして残し、一区切りずつ、つけて行くと言うのも大切なのではないだろうか。

フォトブックを作るのならこんなカメラが欲しい。

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