溶け行く民主党、日本の政治のバカバカしさ
ここのところ、今の民主党政権に関して余り書かなかった。
書かなかったのは、馬鹿馬鹿しくて批判する気にもなれなかったからだ。
取りざたされる代表戦は何時も同じ顔ぶればかりで、もう国民から見れば「ゲップ」が出そうである。
一方、民主党の若手と言われる人達は自己保身ばかりを気にしている人達のように思える。
あの日韓併合百年を記念しての「菅談話」の閣議決定。
不都合とか、話がなかったと言いながら署名する国務大臣はそんなことを言う資格はない。
閣議の署名を拒否して罷免されるのが怖くてという単なる自己保身の賜である。
あの村山談話の時の自民党の閣僚も同じだから、自民党のリベラルと民主党とは全く同じと言う事になる。
昨年の夏、自己の利権や官僚の走狗となっていたと思われていた自民党は下野した。その理由は、何とか現状の閉塞感から脱したいと言うことであったはずだ。
しかし、民主党が政権を取った途端に全く違う日本解体の議論が出来た事に対して、大間違いをしたと感じたのがこの一年である。
それで、参議院選挙で修正を余儀なくしたはずなのに、国民の民意を無視して居直り密室で種々なことを行う。
この民主主義的な議論を無視するという独裁主義というのは、民社党が民主主義政党ではなく「民主集中政党」である事を示している。
それは、先の国民の議論を無視して密室で決められた「菅談話」。
国賓待遇で何のために日本に来たのが不明な「金賢姫元北朝鮮工作員」の対応。
朝鮮学校への高校授業料無償化適用に対して「文部科学省の非公開の専門家会議」という国民にも知らせない不透明な組織を利用して、議論を封殺して文部科学大臣は知らぬ存ぜぬ。
「文部科学省の非公開の専門家会議」とは何なのか、どう考えても国民の総意の議論は見えてこない密室でのやりたい放題である。
今の民主党の政権というのは今更言ってもしかだかないが、テーブルの上の皿をひっくり返して、こんなものは要らないと言ったものの、片付けることさえ出来ない政権であると言うことである。
それどころか、デーブルの上の顔はにこやかにしていても、テーブルの下で隣の美貌の女性の手を握ったり、さすったりと言う感じではないか。
それで都合が悪くなれば、その美人とトンずらして「金は払っておけよ、片付けておけよ」と国民にツケを廻す。
今の民主党というのは、閣僚は自己の大臣でいる時間を長くしたいという保身に奔り、代表戦では国民のためではなく単なる身内の政争に明け暮れる。
東国原知事ではないが、民主党の代表戦が終わったら総選挙をやり直せと誰も言いたくなるだろう。
しかし、100%そんなことは無い。
なぜなら、今の民主党は国民のための政党ではなく、民主党のための政党であるからである。
そして、リベラル色から抜けられない自民党は、こんど総選挙をしたとしても政権を取れないと言うのとは、参議院選挙から見ても明らかだろう。
溶け行く民主党というのは国民目から見て明らかだが、自民党のリベラルというのも民主党との対比で余計鮮明になると言うのは皮肉なものだ。
そして、公明党はもはや自民党に隠れた保守政党という被り物が取れて、左派政党と言うのが国民の目から見て明らかになったのも同じく皮肉なものなのである。