世にも不思議なコラム「女性と税金」(読売新聞)その2(2月11日編)
読売新聞に2月10日から掲載されている「女性と税金」という妙な記事がある。
これは、新聞の「くらし・家庭」欄の部分にある記事で、4回に亘って「月野」という署名記事になっている。
第2回は「配偶者控除 足かせにも」・副題「適用枠にらみ就業調整」
第1回「『白色申告』妻への給与ダメ」に続くこの記事も実に不思議な記事なのである。
論調の結論から言えば「配偶者控除の廃止」の増税と言う事に終結する。
しかし、最後に千葉商科大学大学院教授のI氏が言ってる「多様な選択が可能な制度設計が求められている。」という主張も実に曖昧で良く分からないところである。
文脈から見れば「多様な選択が可能な制度設計」とは「配偶者控除の廃止」して主婦もフルタイムでバリバリ働けと言う事だろうと思われる。
こういうところに「現実無視」の無責任、世間知らずの何とやら、が見え隠れすると言うものである。
さて、その内容を順次記載して行くとすると「関東地方の主婦B子さん(45)がパート勤務先」から言われた配偶者控除の適用範囲の年収に押さえるという話。
ここでは、「年収が会社員の夫の扶養控除の範囲を超えそうだからと、12月の給料を翌年に『繰り越す』という提案」を受け入れた経緯が書かれている。
ここでは「時給アップ、残業も勤務日数も収入も増えたところで先の提案を受けた。」とあって、どう考えてもパート販売員の域を超えている。
本来なら、パートではなく「正社員に登用すべき」と書く事例なのだが、この記事ではそうは書かない。
そうして益々妙なのは「B子さんは数年後、『繰り越し』操作を自らやったと会社に責められ、懲戒処分の理由にされてしまった。」と言う事で「裁判で争う・和解」と書いてある。
妙だというのは、パート販売員が経理操作出来るのかと言うことと、雇用契約を結んでいないと思われるパート販売員に「懲戒処分」があるのかと言うことである。
だとすると、書かれていることは事実でないか脚色されているのでは無かろうか。
その特殊例を補うために例によって言い訳を書かれている。
「B子さんのように、勤務実態を操作してまで年収を抑えるのは特異な例だろう。働けるのに働く時間を減らすのが一般的だ。そして、配偶者控除に家計を助けられた、と考える人もいる。」
ところが一転「東京都内の主婦C子さん(55)は長年、娘2人の育児の合間にパートで働いてきた。」というところで妙な話を出す。
それは、「ただ社会人となった娘たちが配偶者控除と関係なく働く姿を見て『働かない方が得、収入が増えると損、という仕組みに疑問を持つようになった』と話す。」と言うところである。
なぜなら、別に「配偶者控除と関係なく働く」というのは過去にも今でも可能なのであって、「配偶者控除の範囲内で働く」というのは少ないパート収入を実質的に高める作業である。
そして、当然のこと高い収入があれば「配偶者控除の範囲内で働く」必要などあり得ない筈である。
「配偶者控除」というのは働き方の多様性を意味するが、「配偶者控除」を受けられない人達からはどう見ても「やっかみ」としか見られない様子が見て取れる。
それは「配偶者控除の廃止、賛成ですか?」と昨年9月上旬に「女性向けのインターネットサイト」の「イー・ウーマン」で先出のI教授が投げかけた質問。
「5日間で1,200人以上が投票し、77%が『廃止に賛成』と答えた。」
「配偶者控除の廃止」というのは前出の様に取りも直さず増税である。
国民として理由もない増税によって、自己の収入が減るとしたら誰だった反対する。それを「賛成」だとするところに又不思議さがあるだろう。
その不思議さに答えるために理由が書かれている。
「(社会維持のためには)まずは女性という働き手を増やすこと」(36歳既婚)
「子どもたちの未来に向けて、(国の)借金を減らして欲しい」(38歳独身)
この説明を読むと何やら虚脱感を覚えるではないか。
「女性という働き手を増やすこと」とはいうものの、中年の女性の「正社員での働き口」というのがどこにあるのか、パートで正社員並みにバリバリ働ける職場がどこにあるのか。
東京ならいざ知らず、地方都市でならどこにも有りはしない。
そうでないというのなら、今の正社員は全てワークシェアリングとして働き口を提供するのか、と言うものではないだろうか。
実際、そんなことは出来ないであろうし、「配偶者控除の範囲内で働く」というのは、パート従業員のワークシェアリングを確保する結果となっている。
だから、以上の事は専業主婦に対する「嫉妬、ねたみ」と言う類で、その「嫉妬、ねたみ」を主張するというのが、学者や言論人という高収入、高学歴で当然職業能力もある、大方「専業主婦」としては失格な人達であることを記憶しておく必要がある。
男女共同参画を企画立案した東大教授は独身であったし、少し前に「家庭の味」を少し知ったと言っているくらい家族というものに対して音痴である。
最後にI教授が
「夫の失業や収入ダウンなどの危機を経験し、能力があるのに女性が103万円を境に働かないことに、多くの人が矛盾を感じているということ」‥‥以下略。
一つ断っておきたいのは、「能力があるのに女性が103万円を境に働かない」のであって、配偶者控除の範囲内で働らかなければ何ら問題がないのである。
あくまでも税と収入との絡みである。
だから、能力があれば働けばよいのであって、この部分に自由選択の余地がある。
それを、配偶者控除を廃止と言う事であれば少ない収入に対して「税が掛かる」と言う事と同じである。
「配偶者控除を廃止」して働けと言う「正社員」と思われる人達というのは、働く女性として「弱者」にあたる「パート従業員」に対して酷い仕打ちをしているようにしか見えない。
そして、パート従業員がドシドシ働くようであれば、「正社員」はリストラの対象になるという妙な巡り合わせが現代のデフレ経済状況にある。
それでも雇用を確保すれば、企業は日本を捨てて海外に出で行くだけの話である。
「配偶者控除の範囲内で働く」パートというのは、何とか日本で雇用を確保して行く安全弁の役目も果たしているのである。
読売新聞に2月10日から掲載されている「女性と税金」という妙な記事がある。
これは、新聞の「くらし・家庭」欄の部分にある記事で、4回に亘って「月野」という署名記事になっている。
第2回は「配偶者控除 足かせにも」・副題「適用枠にらみ就業調整」
第1回「『白色申告』妻への給与ダメ」に続くこの記事も実に不思議な記事なのである。
論調の結論から言えば「配偶者控除の廃止」の増税と言う事に終結する。
しかし、最後に千葉商科大学大学院教授のI氏が言ってる「多様な選択が可能な制度設計が求められている。」という主張も実に曖昧で良く分からないところである。
文脈から見れば「多様な選択が可能な制度設計」とは「配偶者控除の廃止」して主婦もフルタイムでバリバリ働けと言う事だろうと思われる。
こういうところに「現実無視」の無責任、世間知らずの何とやら、が見え隠れすると言うものである。
さて、その内容を順次記載して行くとすると「関東地方の主婦B子さん(45)がパート勤務先」から言われた配偶者控除の適用範囲の年収に押さえるという話。
ここでは、「年収が会社員の夫の扶養控除の範囲を超えそうだからと、12月の給料を翌年に『繰り越す』という提案」を受け入れた経緯が書かれている。
ここでは「時給アップ、残業も勤務日数も収入も増えたところで先の提案を受けた。」とあって、どう考えてもパート販売員の域を超えている。
本来なら、パートではなく「正社員に登用すべき」と書く事例なのだが、この記事ではそうは書かない。
そうして益々妙なのは「B子さんは数年後、『繰り越し』操作を自らやったと会社に責められ、懲戒処分の理由にされてしまった。」と言う事で「裁判で争う・和解」と書いてある。
妙だというのは、パート販売員が経理操作出来るのかと言うことと、雇用契約を結んでいないと思われるパート販売員に「懲戒処分」があるのかと言うことである。
だとすると、書かれていることは事実でないか脚色されているのでは無かろうか。
その特殊例を補うために例によって言い訳を書かれている。
「B子さんのように、勤務実態を操作してまで年収を抑えるのは特異な例だろう。働けるのに働く時間を減らすのが一般的だ。そして、配偶者控除に家計を助けられた、と考える人もいる。」
ところが一転「東京都内の主婦C子さん(55)は長年、娘2人の育児の合間にパートで働いてきた。」というところで妙な話を出す。
それは、「ただ社会人となった娘たちが配偶者控除と関係なく働く姿を見て『働かない方が得、収入が増えると損、という仕組みに疑問を持つようになった』と話す。」と言うところである。
なぜなら、別に「配偶者控除と関係なく働く」というのは過去にも今でも可能なのであって、「配偶者控除の範囲内で働く」というのは少ないパート収入を実質的に高める作業である。
そして、当然のこと高い収入があれば「配偶者控除の範囲内で働く」必要などあり得ない筈である。
「配偶者控除」というのは働き方の多様性を意味するが、「配偶者控除」を受けられない人達からはどう見ても「やっかみ」としか見られない様子が見て取れる。
それは「配偶者控除の廃止、賛成ですか?」と昨年9月上旬に「女性向けのインターネットサイト」の「イー・ウーマン」で先出のI教授が投げかけた質問。
「5日間で1,200人以上が投票し、77%が『廃止に賛成』と答えた。」
「配偶者控除の廃止」というのは前出の様に取りも直さず増税である。
国民として理由もない増税によって、自己の収入が減るとしたら誰だった反対する。それを「賛成」だとするところに又不思議さがあるだろう。
その不思議さに答えるために理由が書かれている。
「(社会維持のためには)まずは女性という働き手を増やすこと」(36歳既婚)
「子どもたちの未来に向けて、(国の)借金を減らして欲しい」(38歳独身)
この説明を読むと何やら虚脱感を覚えるではないか。
「女性という働き手を増やすこと」とはいうものの、中年の女性の「正社員での働き口」というのがどこにあるのか、パートで正社員並みにバリバリ働ける職場がどこにあるのか。
東京ならいざ知らず、地方都市でならどこにも有りはしない。
そうでないというのなら、今の正社員は全てワークシェアリングとして働き口を提供するのか、と言うものではないだろうか。
実際、そんなことは出来ないであろうし、「配偶者控除の範囲内で働く」というのは、パート従業員のワークシェアリングを確保する結果となっている。
だから、以上の事は専業主婦に対する「嫉妬、ねたみ」と言う類で、その「嫉妬、ねたみ」を主張するというのが、学者や言論人という高収入、高学歴で当然職業能力もある、大方「専業主婦」としては失格な人達であることを記憶しておく必要がある。
男女共同参画を企画立案した東大教授は独身であったし、少し前に「家庭の味」を少し知ったと言っているくらい家族というものに対して音痴である。
最後にI教授が
「夫の失業や収入ダウンなどの危機を経験し、能力があるのに女性が103万円を境に働かないことに、多くの人が矛盾を感じているということ」‥‥以下略。
一つ断っておきたいのは、「能力があるのに女性が103万円を境に働かない」のであって、配偶者控除の範囲内で働らかなければ何ら問題がないのである。
あくまでも税と収入との絡みである。
だから、能力があれば働けばよいのであって、この部分に自由選択の余地がある。
それを、配偶者控除を廃止と言う事であれば少ない収入に対して「税が掛かる」と言う事と同じである。
「配偶者控除を廃止」して働けと言う「正社員」と思われる人達というのは、働く女性として「弱者」にあたる「パート従業員」に対して酷い仕打ちをしているようにしか見えない。
そして、パート従業員がドシドシ働くようであれば、「正社員」はリストラの対象になるという妙な巡り合わせが現代のデフレ経済状況にある。
それでも雇用を確保すれば、企業は日本を捨てて海外に出で行くだけの話である。
「配偶者控除の範囲内で働く」パートというのは、何とか日本で雇用を確保して行く安全弁の役目も果たしているのである。