書道家Syuunの忘れ物

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子供の進学と昔の勉強法との違いに戸惑う  スパムコメント訂正

2009-02-03 23:59:58 | syuun の不思議な少年時代
子供の進学と昔の勉強法との違いに戸惑う

2月になって動き出した事の一つに子供の進学がある。
中学生となるとすると、もう学校訪問という案内が出回って、授業から部活までを見て中学校生活の予定を立てる。
こんなことは、自分の頃などにはなかった。
何故なら中学校へ行けば「進学、受験」ということばかりだったからだ。
戦後のベビーブーマー直下の世代としては、部活などやっていると「進学出来ないぞ」と脅されたものだった。
実際は、バレーボールの選手をやっていて学年(約540人中)で時として、成績一桁の人物(その後、工学博士)もいたから実際はどうなのか分からない。
今は、「部活」は必修での様で、それも目立った成績を残せないと良い内申書にならない‥‥高校に受からないと言うのだから困ったものだ。
しかし、それで矛盾するのは、そんな程度の部活では大学へ行くのには全く関係ないという事だ。
小生の兄の時代では、時代をもっと遡るからTV以前、ラジオの時代だ。
それで当時「電気部」というクラブがあって、十数人の弱小クラブは、兄(部長)が受験で退部する頃には50人超の大組織(最終的には掌握不可)になったという。
こんなものは、受験には関係無い時代だった。
昔を見れば、高校受験は内申書などあって無きがごとしの試験一本勝負だった。
それで、大方の受験合格範囲というものを決められて、最終的には滑り止めを受験合格して上で、本人の希望でトップ校を受けた生徒がいた。
だから純粋にトップ校不合格というのは、極めてまれだった。
それで、当時の我がクラスでは前高には5人受験で全員合格。前女は6人受けて4人合格。絶対受かると思われた1人が落ちて、落ちると思われた1人が合格。
その後は、トップの女子学生2人は医者と教師になったし、落ちて滑り止めで止まった1人は、当時の前女でも学年50番以内でないと入れないと言われた大学に入り今は教師をしている。要するに中学時代の成績そのままになった。
今ならはあり得ないだろう。
そんな部活の苦労をしなくても良いと言うのなら、中高一貫の公立校がある。
いわゆる実験校という部類で、来期で創立6年目‥要するに試験で受かった全生徒が揃う。
元になった高校というのは、今は廃校の憂き目だが理系進学が叫ばれていた頃に全国に理数科という特別進学クラス(昭和43年群馬県で初めての理数科を設置)が作られた県立高校(平成21年3月閉校)だった。
その第一期生は、前高、高高よりも偏差値(当時はなし)が高かったが、前橋から進学した話は聞かなかった。それが、石油ショックと共に理数系ブームが去ると閑古鳥が鳴き始め、普通科と変わらなくなって、実は前高、高高よりも完全にランク落ちの高校であるが故に事実上消滅した。
HPを見たら、18年度まで生徒を募集して、21年3月に卒業して廃校だった。
何やら英語教育を重視していた高校のようだが、歴史が浅くて(昭和38年創立)知名度が無い高校というのはあまり行きたくないものだ。
今年の四月から中央中等教育学校という実験校へ完全に生まれ変わるが、何やら難しい問題もあるのかなと思うものだ。
それは私立の中高一貫校とは全く違う成り立ちと組織構成というもの。
私立中高一貫校は、中学1年から高校の授業のようなカリキュラムを組んで、高校1年か2年で全授業終わらせるのがお決まりになっている。
ラサールみたいに成績順に席が決まるというえげつないところもあるからかなり厳しい。ところが、公立校はそうはいかない。
但し、受験がない分妙な勉強に強いられないが、結局予備校に通ってダブルスクールを強いられることになる。それでも普通の公立中学よりまだマシというものかも知れない。
一番の問題というのは、進学率というもの。
ここ3年の大学進学率の推移で、希望者が激減する可能性がある。
初期の適正試験は、小論文重視であったために、数学が特に弱いという噂がある。
そんな試験が3年続き、近年は突如一般の中高一貫校並程度の試験になった。
そして、小論文は今やオマケの順番づけというものだ。
多分採点は、適正試験I全問正解+αを予備合格ラインとして、それ以下は適正試験IIを採点しない可能性がある。要するに、適正試験I重視。
書道の審査でも、国家試験の審査でも数値という客観的なものが出ないものは、早めに合格と不合格を選別するというのは常識だ。
入試試験だから最終的には全部採点するとしても、適正試験I重視なら適正試験IIを採点してそちらが満点でも関係ないと言うものだろう。
それが試験の現実というものだ。

さて、その昔小生の頃は、群馬大学の附属中学が中学校から50人程度募集していたから、ここが「お受験」だった。
実際、東大合格者、有名大学医学部進学者の何人かは間違いなく附属中学出身者だった
しかし、ベビーブーマー世代が卒業していった後、優秀な子供ばかり集まり教育実習校として相応しくないという理由だか、小学校からのみの募集になった。
それで、現在前橋、高崎からの「お受験」は群馬県立中央中等教育学校と言う事になる。
今のところ、前橋、高崎の小学校から1人程度しか受からない高難度の学校(受験倍率約5倍‥開校時約10倍)なのだが、小学校の成績優秀者が全て受験しないところがミソ。

要するに、卒業すれば新設校であるし、母体となった群馬県立中央高校も2番手の高校であるからだ。
廃校‥‥又は発展的廃校もあり得るし、群馬県立中央中等教育学校のステータスは「元の中央高校ね」と言うものだからだ。
それで、高校は伝統高へと言う話しも聞く。

それにしても、「東大合格生のノートはかならず美しい」という本の話を聞いて、「なぜ」と思ったのは、大分古い人間だと言う事を思い知らされるものだった。
何故なら、昔は再び開いてみるノートなどあまりなかった。
高校時代、英語で100点しか取らなかった秀才のノートには落書きしか書いて無かったし(全て頭の中)、第一サブノートなど作っている暇がなかった。
それが、今の学生はノートを作る。
要するに予備校や塾で教えられた受験テクニックのノートというものだろう。
昔、前高ではまともに教える教師はいなくて、雑談で授業は終わり試験範囲は、開いてもいない教科書のページを言うだけ。
教えていないところは(全て教えていないが)、自分で勉強してくださいだ。
昔、今のような塾があったなら、楽だった。
その教師がその後高校の校長になった。
その下で、数学教師をしていたのが当時の同級生というのは皮肉なものだ。
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中央中等教育学校の関係者と思われる 人から コメントをいただいたので紹介する。
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(一部修正してあります。)

公立中高一貫校も、バリバリ先取り学習(高3までの内容を高2までに終わらす)をします。
「中央中等」もそうですよ。
ちなみに、中央中等の一期生の模試の平均偏差値で、高高(高崎高校)をわずかながら上回り、前高(前橋高校)に次ぐ2位になっているようです。
進学実績も期待できそうです。
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この書き込みは、あるところからの調査の結果「香蘭女学校(東京都品川区・中高一貫校)」生徒と見られる「スパム書き込み」でした。
但し、香蘭女学校の生徒というらしいと言う事にしておきます。
改めて、お詫びします。

結果は、来年分かると思いますけどね。

しかし、中央中等は今高二までで、今の高三は中央高校の生徒。
高二で大学の模試などやるのかなと思ったりもする。
そして、前高、高高も一学年は、320人程度で、昔から下位三分の一は「三流校並」と言われているところ。
それから見ると、中央中等は低すぎやしないか。
少なくとも、前高、高高よりもダントツに高くないと釣り合わない筈なのだが。
こんな疑問がある。
そして、中高一貫の私立高校並みの授業と言うが、私立校は「公然の秘密」としてやっているので、高校の授業を中学でしてはならないのが決まり。
別の言い方をすれば、中学でやる授業を終えて高校の授業を補講でする分には関係ないというもの。
公立校がどこまでやれるのかと言うものがあると同時に、受験校として「制度設計」されていないという部分があることは、群大の附属中学と同じ矛盾がある。