中学の同窓会、聞くところによると翌日同窓会をやり直したクラスがあったという。
随分仲の良い人たちが、そのクラスに集まったものだと思う。
小生など、置いてきぼりを食らって、二次会も出なかったのだから‥‥
実は、そのクラスは一中12クラス中随一の進学率を誇ったクラスだった。
詳細は忘れたが、当時の県下随一と言われた超難関校に過半近く入学したクラスだったはず。
我がクラスは、全部で9名だった。男5、女4‥‥当然女は女子校の方の、中山恭子元内閣参与の後輩。
当時の、ナンバースクールでも五中くらいだと、生徒数200人で学年全部精々一クラス分男5、女5がもいれば多い方だ。
普通の中学だと、学年で1.2番でないと無理だった。
実は、その難関校へ行ってもダメになるというのは、いずれのところも同じ。
特に、女子の場合今と受験制度が違った内申書関係なしの試験「一発勝負」の頃。
受かるはずの人が落ちたり、又合格したりした人が続出した。
地元密着型の女性の場合、「県立M女子校」に入るか否かは一生の人生に関わったから、「一発」の幸運を狙った学生も多かった。
そして、運良く「一発」が当たって入学した女子学生に待っていたものは、空虚な学生生活だった。
誰もが、異口同音に言うことは、この手の女子高生が塾(当時は私塾が一般的)にきて、5月を迎えると、5月病よろしく「おかしくなる」という。
その「おかしくなる」というのは、何を言っても「ボーっ」とし始めることだ。
その何とは、ほとんど勉強のことだが、入学2ヶ月で学校について行けなくなる。
そして、3年間「ボーと」過ごして卒業だ。
これでは、高校特に進学校に行った何の意味がない。
この「ボーっと」三年間進学校で過ごした女性は、何故か今回の同窓会には出てこなかった。
卒業と同時に結婚して、子供を産んで離婚して…‥という人もいる。
一方、遠くへお嫁に行って同窓会に一回も出たことがないという「劣等感」に苛まれたらしい女性もいる。
我がクラスは、散々だ。
当時の女子校で地元国立の教育学部に入学出来る学生は、トップクラスだ。
確か、教育学部の教授によると例外なく内申書の成績は「A」だそうだ。
その後、義務の教師になることが難しくなって、東大とかの志向になったが、近年はトップは医学部志向だ。
まあいずれにせよ、そのクラスは、高校でもそこそこ良い成績を取って(?)名前の知れた大学に進み、そこそこ似合った人物と結婚したと言うことだろう。
一方、、「一発」の幸運に漏れてしまった女性は、色々だった。
美女系の人は、東京で良い人を探し幸運を掴んだ人もいたが、大方はクラス会にも出でこれなかった部類入る。
単なる受験で悲喜こもごもになるのは、あくまでも地元に住んでいるからなのだろう。
何処の地域でも同じようなものだが。
なんと言っても地元のM高校出身者は、結婚に当たって、M女子校又は、同格以上のT女子校出身者以外は、恋人、妻としては認めないというのは間違いのない事実であった。
さて、またまた
小生の「清心幼稚園」時代の続き‥‥‥ ‥
12月も押し迫った年末の終業式の日。
「黒田(園長)先生が呼んでいる」と言うので、園長の居間の玄関ガラス戸を開ける。
障子が少し開いている隙間から、例のごとく園児がショートケーキをほおばっているのがみえる。
すると、黒田先生がこっちへ来いと手招きする。
スノコの上に上がれと言う。
すると、コタツに入っていた見知った園児がここまで来いと手招き。
ところが、黒田先生はスノコまでだと言うのである。
そして、よい子だねと言いながら、あまり高そうでない少しの煎餅とミカン1個をくれて直ぐに帰れという‥‥
何故この様なのかは、二年時にいつもコタツに入っていた知り合いの園児が種明かしをした。
しかし、それまではこの前怒られたばかりだから、全く狐につままれたようなものだった。
年明け、新年が始まり‥‥
この頃昼は弁当だったが、「飯」の部分はアルマイトの弁当箱に入れて電気炉か何かで暖めていた。
この部分は、妙に親切な幼稚園だったが、相も変わらぬ園生活だ。
3月「アカイ先生」が退職するという話を聞いた。
実は、「アカイ先生は、寿退職だった。」
ところが、結婚披露宴の席で二階から転げ落ちて亡くなったという妙な亡くなり方だった。
母は、葬式に行ったが詳しいことは分からない。
そして、その新姓が「アカイ」だった。
元々教わった時の旧姓は、何故か忘れてしまった。
そして、4月には新しい先生が来ると言うことだった。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
4月の始業式。
庭に生徒が並び、クラス分け。
父兄(現在は保護者)のうちほとんど母親が、整列した後ろから見守ると言うのが毎日のスタイルだ。
ところがクラス分けされた我がクラスには先生が来ない。
それでも黒田先生は、「寄付をお願いします」のようないつもの演説をぶっている。
するとやおら、ノーメイクに近い地味な顔をした若い女性が玄関から走りで出来てクラス担任となった。
名前「黒田先生」‥‥黒田園長のお嫁さん??
誰だったのでしょう。
しかも、さかなの死んだ目をしていた先生だった。
キラキラしていた目、母親の目をしていた「アカイ先生」とは大違いだった。
そして、黒田園長は、クラス11人のうち6人ほどを前から順番に並べ、ここからここまでの園児を見なさい‥‥と厳命する。
ほかの園児は見なくてもよろしい。
そして、その後黒田先生は、小生などの5人を無視して教室へ誘導する。
しかも、先生と話しかけてても返事もしないという「恐ろしいほどの」ものだっだ。
この黒田先生、元々先生の免許など持っていなかったから、しばらくすると園児の母親から今で言う「ブーイング」。
園長は、来月には新しい先生が来る予定です。
‥‥とその批判は逃げ切ったのであった。
以下 つづく