書道家Syuunの忘れ物

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人権国家を裁いた東京裁判の不合理

2007-06-20 21:52:21 | 新聞社説・正論・主張を読み解く

近年、戦後の呪縛が解けてきたのと同時に、日本が戦争に巻き込まれていった様子が解明されてきた。
日米戦争もパールハーバーが熱い戦争の始まりと言う。
しかし、既にフライングタイガー(空軍)という名前で米国の現役軍人が身分を隠して、国民党軍に参加していたことは明らかである。
その上、武器弾薬の補給物資の供給で中々戦闘は終わらず、開戦後の悪名高いインパール作戦も元々国民党軍への補給路を断つ作戦だった。

中国において、日本は条約によって中国に軍事部隊を駐屯させていた。
これを攻撃して、国民党軍と戦わせ、疲弊したところで武装解除した日本軍、又ソ連軍の膨大な武器弾薬で勝利したのは、ゲリラの八路軍である。
張作霖爆死事件もソ連の関与が濃厚にもなってきている。

そして、日本軍というのは、欧米の軍隊に比べて、非常綺麗な戦いをした。
しかも、政治体制は天皇制とはいうものの、事実上の象徴天皇制であり、少なくとも欧州並みの民主主義国家であった。

一方、当時米国は民主主義国家と表面上繕っているが、民主主義は白人の米国市民にだけ適用される不平等国家であった。
しかも、日本を攻撃したMacArthurの父親に到っては、Philippinesを植民地するとき何十万人というPhilippines人を虐殺すると言う事を平気でやっていた。
米国の歴史は、Indianの虐殺、抹殺だけではなく、Alaska原住民の抹殺も含めて自慢できる国民性ではない。
だから、少数民族の抹殺は、ドイツだけの専売特許ではなかった。

Philippinesの総督の息子として育ったMacArthurは、日本を自らの植民地にしようとした事は、Philippines憲法を元にして、国際法違反の日本国憲法を作ったことから分かる。
それが破綻したのは、朝鮮戦争であったが、米国が日本との戦争を正当化しようとしたのが、東京裁判である。
よく、ドイツのNuremberg(ニュールンベルグ)裁判と比較される。
Nurembergは、Naziの発祥地でありドイツの裁判はNazi(ナチス)を裁いたもので、ドイツは裁かれなかったことは、Berlin裁判で無かったことから解る。
ドイツはナチスについては謝罪もし、日本の保証に比べ何十分の一という程度の保証であるが、国家に対してではなく個人に対して保証している。
だから、ドイツ国家として謝罪したことはない。
一方、日本は日本国家が裁かれた。
従って、保証は国家レベルであって保証は兆の単位であるのは、ドイツと比較して不合理を否めない。

そして、東京裁判というのが茶番劇のリンチであることは、東京裁判の結果絞首刑が行われた後急速に批判が高まり、以後裁判が続けられなくなったことからも解る。

東京裁判が今までと違ったことは国家が裁かれたことで、東京裁判以前にも、以後にもこの様な例はない。
その上、東条英機スターリンやレーニンの様に虐殺を支持したことはなく、戦争指導者と言うだけである。
その上、総理大臣、陸軍大臣、参謀総長まで兼任したが、海軍が言うことを聞かず、戦争指導が行き詰まったと嘆いていたはずである。
この不合理さを隠すために、行われたのが「日本は独裁国家」であり、国家に値しない国であるというプロパガンダだ。

「従軍慰安婦」問題も、根っこはその部分にある。
しかも、戦後の教育は戦前は「悪」というステレオタイプの教育をして、実情を決して教えなかった。
だから、学校の先生の言うことを良く聞いて学んだ優等生ほど、戦後教育に洗脳されたという笑えない話がある。

そして、55年体制が崩壊する頃になってやっと、杉原千畝の話が出てきた。
それはなぜか、杉原千畝が事実上引退して、ソ連の脅威にならなくなったからである。
しかし、杉原千畝のユダヤ人に対する業績は、日本という国家の一員である杉原ではなく、常に日本と切り離して扱うという事は、NHKを中心として展開された議論だ。
なぜなら、戦前の日本が政策としてユダヤ人保護をしていたことが分かっては、米国としては都合が悪いし又、左翼人士としては、戦前へのマインドコントロールが解ける心配がある。

だから、昭和13年(1938年)3月8日の20000人のユダヤ人救出に係わる、ハルピン特務機関長・樋口少将の事は、ひた隠しにされた。
なおも都合が悪かったのは、黙認したのが関東軍参謀長東條英機中将(陸士17期 <wbr>昭和12年3月1日~昭和13年5月30日)であり、救援列車を出して救出したのが戦犯の満鉄総裁の松岡洋右。

そして、このことがなければ、杉原千畝の業績もなかった。
杉原千畝の話によれば、ある時何百人ものユダヤ人が領事館を取り巻いていたというのだ。
だから、杉原は実際のところ官僚としての仕事を忠実にこなしたに過ぎない。

戦前、戦後のマインドコントロールは、実はもっと昔に解けている。
しかし、解けていないように装っている、又事実を知っていながら間違いを指摘しない人々が沢山いる。
この人達は、日本の戦後を作ってきた人たちなのだが、何というモラルの欠如だろう。

そのモラル欠如は、戦後体制で利益を得た人物が沢山いる証拠だ。

現在この有名な人々が、鬼籍にはいるまでマインドコントロールが解けない振りをするというのは、いささか限界が来ているのではないだろうか。

【正論】小堀桂一郎 装ひを新たにしたパール判事の言葉

「理性」の機能を活性化させよ

 ≪顕彰碑に生花の華やぎ≫

 平成17年6月25日付の本欄で筆者は靖國神社の遊就館旧正面玄関左傍(かたわ)らにラダ・ビノード・パール博士の顕彰碑が建立された次第とその意義について一筆してゐるが、今回はその後日談ともいふべき或る事項を報告させて頂く。

 この碑の建立はその屋外建造物としての意匠・様式について、又その内面的意義について、竣工当初から関係者達の期待を上廻る好評を博してゐた。それは顕彰碑であつて(故にその碑文も「頌(しょう)」といふ標題を有してゐる)決して追悼的意味を帯びた記念碑ではないのだが、一寸(ちょっと)した勘違ひといふより或る自然の感情の発露がさうさせるのであらうか、公開以来碑の前に参観者達の捧げゆく花束が跡を絶たず、神社側でも感謝と同時にその処遇に困惑もし、献花用の花立てを2基設置して供花を受け入れることにした。

 石碑ではあるが現代の技術を活用した見事な寫真版の博士の肖像の前に、今や常に鮮やかな生花が供へられてゐて石畳ばかりの四辺にふしぎな華やぎを添へてゐる。そして、別に統計を取つたわけではない、神社参拝の度に筆者個人が得る印象によつての話なのだが、この碑の前に長い時間佇(たたず)んでゐる参拝客の中に外国人の占める割合が近年特に高くなつてゐる様である。

 ≪刻まれた結語の一句≫

 遊就館内部の歴史的説明に関して、昨年夏に一部のアメリカ知識人の間から疑問と不満の聲(こえ)が寄せられ、我が国の内部に又定石通り外からの非難に即座に迎合し同調する知識人が現れ、言論人に於ける操持(そうじ)の難しさについて考へさせられるといふ椿事(ちんじ)があつたこと、まだ記憶から去つてゐない。幸ひにしてパール博士の碑については、それが参拝者達の熱い関心の的になるといふ事態への不満の聲は少なくとも筆者の耳に入つてはゐない。むしろ建碑事業の精神的効果は徐々に顕著になりつつあることが種々の現象から確認できるのである。

 この碑の前面、博士の肖像の左手に『パール判決書』の第7部「勧告」から、かの有名な結語の一句が刻まれてあり、且(か)つその英語原文は碑の裏面に掲げられてあつたのだが、碑の結構に対する遠慮もあつてか、単なる見過ごしか、碑の裏に廻つてその英文を読む人は稀(まれ)にしかゐないといふのが現状であつた。その事態に気がついた建立者側が、此の度、その英語原文を碑面の表側、博士の肖像の下部の余白に掲示し直すことを着想し、5月末日にその改装作業が竣工した。

 同時に碑文である「頌」についてもその英訳文を作成し、これはさすがに碑面に印刷するだけの余白はない故に、表裏対訳の形をとつた散らしを碑の前の石の台に積んで置き、観覧者が自由に何枚でも持ち帰ることのできる設備(その石の台は建碑当初からあつた)を整へた。

 日本語の文章を読めないままにこの碑の前に佇む外国人参観者達が最も広く共有してゐる外国の言語といへばやはり英語であらうから、パール博士自身の言葉とその事蹟とを神社の参拝客に多く知らしめるための方便として此の度取られた措置は十分に有意義であらう。

 ≪四行詩にも似た典雅さ≫

 そしてその「有名な」判決書の結語であるが、その原文自体をここに引くのは控へておくが、筆者が改めて氣がついたのは、この結語は原典では散文のはずでありながら、それは恰(あたか)も頭韻をふんだ自由韻律の四行詩にも似た典雅な形式をとつてゐる、といふことである。既に定訳であり、又名訳の称に値すると思ふその国語訳に、今わづかに四行詩らしい成形を施して引いてみると以下の如くである。

 「時」が熱狂と偏見とを、やはらげた暁には/「理性」が虚偽から、その仮面を剥ぎとつた暁には/「正義」の女神は、その時こそ、その秤を平衡に保ちながら/過去の賞罰の多くに、その所を変へることを要求するであらう

 これはまことに力強い豫言(よげん)である。この豫言にいふ「時」は、所詮「復讐(ふくしゅう)の情念」に他ならぬ欧米の旧連合国の「熱狂」を和らげることまでくらゐは成したであらう。然し「理性」は被占領下の日本に於いて不条理に構築されてしまつた数々の「虚偽」の仮面を残りなく剥ぎ取るだけの修正作業をまだ成し得てゐない。今我々が為すべき急務は、「理性」の仕事の成就を手を拱(こまぬ)いて待つことではなく、自らが意志を以て働きかけて「理性」の機能を活性化させることである。衆目の注視するあの碑面に、パール判事の勧告の原文を銘として掲げたのは、我々の斯様(かよう)な決意表明の一型式であると見做すことにしたい。(こぼり・けいいちろう=東京大学名誉教授)