書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

Pentax K10Dの印象

2006-12-02 23:11:53 | 日記

ペンタックスK10Dの印象

11/30日、待望のPentaxK10Dが発売された。予約注文の人は、29日に手にしていたようだ。K100Dの時、発売を前倒しにしたために買えなかった人が続出したためか、予約を入れたことが多かった様だ。
但し、一人で何カ所も予約しているから、発売日近くになって買えたという例もあったようだ。
さて、K10Dは、ポイント1.5倍還元セールと謳ったヤマダ電機に展示してあった。当然対象品。
K10Dを手にして思うことは、前評判の良さが膨らんでいたためか‥‥「普通のカメラ」じゃん。と言う第一印象である。
特に思うのは*istDを持ったときのような感動がない。
シャッターを切れば、K100Dのような「品のないもの」と違って小気味よいところもあるが、*istDの金属的な快音、ニコンに比べれば比較にならない。
設定ダイヤルも、背面のボタン設定も*istDの延長線上の感じだし、近年のカメラの標準的なスタイルとしか見えない。
近年SONYのα100の評判は下落する一方だか、鎧を被ったようなα100に比べれば取りあえず合格点??しかし、何かもう少し質感が欲しかった。
D200とまでは行かなくてもである。
いろいろ掲示板を見てみると、デジ一眼は「初」という例に当たる、こういう人たちに遭うと何でも「良い★★★★★」になってしまうので注意が必要である。
PENTAXも*istDから見るとK100D以降は、AFはより正確になりレンズによるAF不具合も解消されている。
だから、レリーズを押しさえすれば「綺麗に写る」というコンパクトデジカメ化している。
実際、普通そんな風に使うのが一般的だろう。そんな案件から見ると、K10Dは出来すぎの部分も多い、只運動会などには少しはまともに写るかも知れない。

いずれにせよ、カメラは道具であるから撮影してナンポである。
カメラ雑誌は絶賛するが、K100Dから見ると作例は、全体に地味な色調だ。設定でK100Dになる感じではあるが、もう一押し、背中を押してくれなければ取りあえずK100Dで良いかな?と思ってしまう。
今回Li-ion電池設定になっていると言うが、これが旧コニ・ミノが使っていた電池と同じとは驚く。
旧ミノルタユーザーは驚喜してPentaxに移行するかは疑問だが、小生などのユーザーは買い増し、買い換えが少なくて済むのは有難い。
それにしても、SONYは、電池の形式を変更してしまうと言うのは誤算だろう。‥ユーザーは納得しないものな。
Pentax関連の掲示板もよく見ると、「買った」という報告はあるが、買った価格も、そして使用レポートも未だあまり出ていない。
K100Dも多分流通在庫のみにして、春にはK200Dというサプライズを起こすかも知れないPentax。(推定ロードマップ)そうなると600万画素でもいいじゃん。
‥‥と言うことになるかも知れない。
推定ロードマップは、K10Dの実発売予測‥‥当たり。その他多数の予測を当ている。まあ、生産時期が推定できるからね。


川崎白雲先生に関して、O先生からのお葉書

2006-12-02 16:22:36 | ちまたの噂・雑記事

この10月川崎白雲・伊藤神谷先生の遺墨展について、10/6版のブログで紹介させていただいた。当時、ブログの駆け出しで只思いついたことを書き散らかした関係もあって、今読み返すと少々書きすぎた面もある。ブロクというのは、本来日記の様なのだか、だんだん変身してくるのには驚きである。
さて、先日遺墨展主催者の団体である、G社の代表であるO先生から「礼状」のお葉書を頂いた。全く持って恐縮至極である。
正式なご紹介ではなく、勝手に書き込んでいるわけで、いろいろと独断が入り交じっているから尚更である。
しかし、この遺墨展というのには、少し前の香川峰雲生誕100年の遺墨展に続くショックを与えるものであったことは間違いない事実である。
作品は、伝統的な臨書から創作、近代詩文、大字書、前衛的な作品と考えられる作風は全て書きつくしている。それも完璧に、かつ先鋭的にである。
現在の書家の作風の方がずぅ~~~と保守的なのは、どういう事なのだろうか。
だからハッキリ言えば、我々としては製作意欲がなくなってしまう様なもの。
下手をすれば全ての作品は二番煎じと取られかねない‥‥と考えてしまう新しい取り組み。
兎に角先人達は、多大な勉強と冒険を全てやった‥‥やってしまった‥と言うことである。

昔、聞いた話で‥‥師匠が冒険した様な作品を作ったとき、弟子は「これだ!!」と思ってその方向に走ってしまう。
それが大体あらぬ方向ばかりだから挫折して、先祖返りする。
そうして、元の黙阿弥。