それが今回の「正論」だ。
結論から言えば、池内先生は、未だに「社会主義」を推し進めることにご執心のようだ。
‥ということになる。
まず大学生の娘さんのバイトの件が出てくる。
単純労働の「1日2時間、1週間毎日働いて1万円そこそこにしかならず、『バイト料が安い』と文句を言っている」
‥‥と言うところから来て、
「まだバイトだからガマンができるけれど、派遣や請負の人だって同じような待遇だよ。」と続く。
しかし、これは習熟労働と単純労働の差を理解していないのではないか、と疑いたくなる事なのだ。
大学生のバイトでも家庭教師なら時間5,000円(?)だって不思議はない。
当然、派遣社員でも高額日給の人もいる。
それが需要と供給の関係というのは経済の基本だ。
又、「大企業は潤っても、中小企業や個人事業主は業績が回復していないか、デフレ時代のままの低価格を押し付けられているためだろう。好景気といわれながら、中小企業の倒産が相次いでいるのがその証拠である。」
いまさらこんな認識を言われても「唖然」とするばかりである。
ことは、中国から安い良質な品物が大量に輸入される事に尽きる。
だから大企業も「中国景気」で業績を回復した。
そして、中国との価格競争に勝てない企業は倒産し、付加価値をつけるか、海外進出で急場をしのいだ。
それと「商品が安いのだから生活は楽になるはずなのに、そうはならなかった。」というのはデフレの根本的な特徴だ。
デフレになれば、借金は変わらないのに、賃金は下がるから生活は楽にならないのだ。
こんな事は、一般常識だ。
大学の高名な先生がこんなことを言うなよ。
「フリーターといえば、かつては会社に縛られない自由な生き方を選ぶ若者を意味したが、今や定職に就けずにアルバイトで食いつないでいる失業者予備軍のことを意味するようになった。」
「もっと多数の人々を正社員として雇用し、仕事の量に応じて労働時間を互いにシェアしていく、そんなシステムをさまざまに工夫し、安心して働ける職場環境をつくっていくことこそが(特に大企業に)求められている。」
全くその通りなのだが、今就職市場は売り手市場と言っているが実際は異なる。
就職試験には、採用には一つの高いハードルがあるのだ。
それは適性試験という高いハードルだ。
学歴社会が崩壊して「人物本位」と言うことになったのだが、実は色々な適性試験が採用の前に行われている。
有名大学出身者だけを選んでいた時代の代わりに、この選別によって人事担当者の責任逃れをしているのだ。
これは、大学の優劣、学力に一切関係がない。
それで不可となれば門前払いなのだ。
ニート・フリーターが発生しているというのは、この門前払いにあっているからだ。
だから中々お金のかかる正社員など採用しないのだよ。
「仕事の量に応じて労働時間を互いにシェア」などこの適性試験に合格しないものは、企業側にとっても夢の話だろう。
そして、何故か目立つことは、
「政府の施策も、企業(法人)減税や高所得者の累進税制の緩和など大企業や富裕者を優遇し、年金負担や医療費などを引き上げて低所得者には厳しい。格差が大きくなる一方といえる。」
「金持ち優遇でますます肥え太る一握りの富裕層と低賃金でこき使われる疲労困憊(こんぱい)した多数の貧困層、そのような格差社会が露骨に姿を現しているのだ。それは、近視眼的には経済の状況を回復させるかもしれないが、長期的には国家を衰微させることにしかならないだろう。」
‥‥又、格差社会と来るが、格差社会は「習熟労働と単純労働の差」から来る。
即ち、自助努力、自己責任になってしまう。
それで結局詰まるところ、「金持ちから」金を取れ議論に展開する。
日本の税制は、世界水準から見て企業も個人も最高水準の税制であることをご存じないのか。‥‥これ常識だろう。
今、消費税の増税が叫ばれている。
しかし、見本とする高額間接税の欧州が、景気がよいとはとんと話に聞かない。
不況でも、社会保障が充実しているから働かないという報道ばかりだ。
そして、相続税がゼロに近く、収入は低いといえども皆立派な家に住み「資産持ち」である。
20年も経ったら立て直すチープな日本の家屋とは大違いだ。
そして傑作なのは、最後の
「冷戦が終わって独り勝ちのように見える資本主義だが、人間を大事にしない風潮が続くと、いずれ破綻(はたん)してしまうのは必定だろう。経済学には素人の私だから見当違いかもしれないけれど、確かに資本主義の腐朽が進んでいるのは確かなようである」
「人間を大事にしない風潮」
「確かに資本主義の腐朽が進んでいる」
という言葉に象徴されるであろう。
中国やロシアを見てみればよく分かるではないか。
社会主義、特に「結果の平等を求める」と考えられる池内先生は、資本主義社会が嫌いなのは判る。
しかし、本来の資本主義社会を謳歌し、「習熟労働」の利点を最大限に利用して、高額所得者と思われる人物にこんな事を言われるのは少々腹が立つというものだ。