谷村新司と言えば、今や中国の大学の講師か何かで、親中国派のナイーブな人間として有名だ。
谷村新司は「人間みな兄弟」のようなことを常々言っている人物でもある。
昔ながらの日本人で、典型的な博愛主義の日本人だろう。
但し、日本人的な「博愛主義」というのは実は、日本人だけの感覚であることが判っているだろうか。
かの有名な「シュバィッアー」という伝説的な博愛主義者も実は、いろいろと知られていないことがある。
誰でも100%の博愛主義者などいないのが現実だ。
それを100%善意を持って行ってしまうのが日本人だ。
産経新聞によれば、
「アサヒビールなど日本企業3社の日本資本による循環型農場「朝日緑源」(山東省莱陽市)が本格始動した。」
(中国農村、蘇生なるか 日本資本の循環型農場が本格始動 )
とあるように、15億円を投資して中国の農村の再生を目指している。
思えば、「満州」建国以後の満州入植、開拓団もそうであった。
放置された原野を切り開いて、耕地にしたのはその開拓団だ。
まぁその苦労を後から、日本人が肥沃な農地を横取りしたと宣伝されるのだから、死人に口なしだ。
さて、谷村新司は、若い頃米国を無銭旅行したという。
いつ頃か判らないが、少なくとも1ドル300円程度はしていた頃だろう。
そこで、お金がなくなったら、米国の学生がカンパしてくれて、助かったとか、風呂に入れてくれたとかの米国人に助けられたことを吹聴していた。
だから「人間みな兄弟」なのかも知れないが、古き良き時代の「感慨」というものだ。
今ロシアに行けば、3日間で逮捕だろう。
その上、身ぐるみ剥がされて‥‥どうなるか。
何も取りようのない「男」だから無事で済んだものの、女性の場合無事で済んだことは聞いたことがない。
確か台湾に一人旅をした女子大生は無事に戻ってこられなかった。
無事だったのは奇跡に近い。
そういえば、イタリアかどこかで、女子短大生の卒業旅行の話。
5-6人まとめて、連れ去られて日本の週刊誌で大騒ぎになった。
但し、全く不問だった。
多分今年もやられているのだろうな、ヨーロッパで。
けやきウォーク前橋店が正式オープンして一週間が経った。
今回も、ほぼ同時刻にに行ってみた。今回も立体駐車場の方にした。
3階の結構車が出で来た感じがするが「満車」で4階の上げられた。
一週間なのに思ったほど客が多くない。
今回高崎イオンとの違いで大きいのは、高校生などの若い娘が多いと言うことだろう。
前橋駅から500m。
駅から自転車で家に帰る高校生なら至近距離だ。
一方、店の混み用は‥‥‥
オープン当初の高崎イオンに比べたら圧倒的な差だ。
店も高崎イオンの様に一つの通りに連なっているのではなく、輻輳(ふくそう)しているから中々分かりづらいと言うのも確かだ。
店も高崎イオンと同じ店には今回は入らないから、見て歩くと言うこともない。
逆に言えば、ウインドーショッピングではなく事実上の買い物客だと言うことだろう。
しかし、今回広告を出した眼鏡屋は大盛況だった。
この店は、街道沿いに店舗展開している近年隆盛の地元眼鏡店だ。
特徴は、全国展開している「安売りメガネ店」と称するインチキ販売をしないことだろう。
自称「安売りメガネ店」は、セットメガネのレンズが今時使い物にならないような「分厚い旧式の安レンズ」なのだ。
実は、こんなレンズは作っていないのでは‥‥と思われるものがセットだから、上乗せして結局高いメガネを買う羽目になる。
食事関係は、新規のとところも結構あるが、高崎イオンで「値段が高い」「不味い」「量が少ない」という三拍子そろった「イタリアン」の店も出ていた。
兎に角、田圃の中の高崎イオンとの大違いは、街の中にあると言うことだろう。
車で来れば、食料品は安そうなものだけ買って帰りにイトーヨカドーに寄っても、ベイシヤに寄っても間に合う。
食事も、もっと安くて美味しい店など周りに幾らでもある。
だから、夕方6時をまわると屋内駐車場はガラガラだ。
アピタの部分も食料品はともかく、生活雑貨のところは「閑古鳥」だ。
では、二回の服飾品はというとここも同じく、パラパラの客。
なぜかって、それはバーゲン品が無いからだ。
オープンセールなら何か「目玉」商品を並べるのであろうがそんなものは見あたらない。
少なくとも、高崎イオンの「サテイ」はバーゲンをやっていた。
だから、足を止めて色々と見たものだ。
アピタの広告は、木曜日あたりに出だが何やら地味なものだった。
色調から一瞬、「クラシード」の広告かと思った。(クラシード‥‥地元資本の高級?スーパー部門・一般店はフレッセイ)
だからそんなに目だだない広告なのだ。
そしてなんといても、めぼしいものはないと言うことだろう。
今回、ウォークカードというハウスカードを作った。
水用のポリタンと600円割引券をくれるというので作ってみたが、600円というのは、2000円分カードで買うと200円分割引するというもの。
それが3枚綴り。3枚いっぺんに使えるというのはましな方だが、サティのように10%引き券でないところがみそ。
イトーヨーカドーでカードを作ったら、昔のことだが500円の商品券をくれた。
一般に、ハウスカードを作ると1,000円分の商品券など、当たり前だからケチったものだ。
事実、丸の内カードを作ったら1,000円のDC商品券。それで20,000円使ったら又、1,000円の商品券をくれた。
カードには、家族カードとETCカードも申し込めるが、誰も申し込む人がいなかったのだろう。
何も聞かなかった。ETCカードは何枚も持っているから今回「家族カード」も申請しておいたが、あまり意味がなかったかもしれない。
家族カードも一杯作りすぎて眠っているものもあるからだ。
前橋市の駅から500mのところに「けやきウォーク前橋店」が出来た。
元々ダイハツ車体の工場跡だから街路の一区画分の広さだ。
中の様子は、色々なプログで紹介されている。
プレオープンは、7日だが、グランドオープンの翌日の日曜日の16時少し前に行ってみた。
このダイハツの周辺は、昔前橋高校が近くにあったから昔の通学コースである。
いわば、ホームグランド。
それで駅側の道が混んでいると見て、直ぐに南道路に迂回して室内駐車場に入った。
正直、多少駐車場を探すのに苦労するかと思ったから拍子抜け。
いずれにせよ、高崎イオンの様に田圃の中にポツンと出来たわけではない。
だからあちこちに道があるが幸いしている。
さて、店の印象は個々の店が、高崎イオンに比べて多少大きい気がする一方、同じ店も幾つかあって何やら感動が少ない。
又、高崎イオンのように街路として細長いのにこちらは纏まっている。
何やら小規模に感じるのだ。
なぜ3階まで売り場にしなかったのか不思議だ。
実は、けやきウォーク前橋店の売りは、「書店」と「映画館」だということはそのスペースから見ても分かる。
筆者としても、わざわざ「伊勢崎Movix」まで行かなくて済むというのはありがたい。
それで、まずこの紀伊國屋書店に最初に行ってみた。
そこで、どれだけクラシックCDがあるのかと「女房殿」が品定めをしたのである。‥‥例の老舗「喚呼堂」の本屋に勝ち目があるのかである。
結論は、カンコウドウの完敗。
それなら筆者は「紀伊國屋書店」で本を買うのかと言えば、一般書は100%買わない。
なぜなら、ヤマダ電機の本屋は3%ポイント還元のうえ、電気類と共通で来店ポイントが付くのだ。
そして、専門書はブックマンズアカデミー、ここは文真堂系列だがやはりポイントカードが導入されている。
又、ツタヤはTカードだ。
あえて、「紀伊國屋書店」で本を買う必要もないわけだ。
日用雑貨や食料品は「けやきウォーク前橋店」、アピタ・ユニーで買うのか??
取りあえず、食料品や雑貨など一通りの値段を見てみたところ、オープン2日目のセールなのに特に安くなっていないのだ。
以前から、アピタ・ユニー系は「高い」との前評判があったがその通りだ。
それだから、食料品はやはり西片貝の「ベイシヤ」かなと思う。
そして、果物の良いものは「イトー・ヨーカドー」、困ったときの「サティ」。
まあ、人によってはボイントカードが発達している「フレッセィ」ということもある。
すると、食料品はダメ、本屋もいろいろなら何があるのか。
兎に角、値段で勝負できないショッピングセンターの末路は決まっていると思うのだが。
それにしても、オープンセールの広告は小さかった。
ヤマダ電機などのオープンセール広告は畳半畳もあったものだ。
いずれにせよ、今後の様子見であると思うが、前橋に開店する以上、今までの店舗展開のノウハウは全く使い物にならないと思った方が良いのではないかと思う。
なんと言っても、伊勢崎出身の「ヘイシヤ」、前橋の「ヤマダ電機」、高崎の「ビックカメラ」だ。
安く売ってナンボの世界だ。
逆に言えば、安くなければそれで終わり。
それは好調だった「西友」が「西武」に鞍替えしたとたん、「閑古鳥」が鳴いたことを思い浮かべなくてはならない。
「昭和という時代のアイドルビジネスの舞台裏」の特徴は、事務所がタレント管理を厳格にし始めた‥‥奔りであると言うことだ。
1970年代を代表するアイドルと言えば、今でも実力を発揮している小柳ルミ子につきるが、当時は、天地真理、南沙織らとともに1970年代前半を代表するアイドルだった。
この三人組は当時一世を風靡したかと見えたが、デビュー暫くして南沙織がマネジャーがとのトラブルで、引退を宣言して突然沖縄に逃げ帰る。
その真相とは、当時の週刊誌によれば事務所管理という名目で南沙織はマネジャーの「女」にされた事と言われている。
そして、○痙攣によって二人一緒に救急車で運ばれる常連だったことが暴露された。
芸能界復帰はなったものの一時の人気は醒めてしまった。
同様に、天知真理は「ソープラント嬢」疑惑が週刊誌で報じられ、又何も知らない「アイドル面」をしながらヘビースモーカーであることが暴露された。
後年その時の事を小柳ルミ子が暴露している。
「せりふを覚えていなくて、楽屋に帰った後、中々出で来ない。」それで小柳ルミ子が覗きに行くと、「ふて腐って、タバコを吸っていたとか」当然「台詞の練習なぞしていないのだ。」
即ち、天知真理は「大スター」だと周囲が持ち上げていたわけだ。
1974年になると、こんどは小柳ルミ子がI.Hとのトラブルに見舞われる。
これは、浜松のガマ産婦人科での処置でけりが付いたが、1970年代前半に「新三人娘」と呼ばれた三人がこれでアイドルを卒業した証拠になった。
一方、浅田美代子は順調に「芸能界」の水に完全に染まり、沢田研二とのツーショト写真が週間明星の誌面を飾るようになった。
そして、1975年の頃には浅田美代子ボロボロになって打ちひしがれていたのである。
一節には、浅田美代子と夜を共にしなかった芸能人はいないとも言われたが、実態は不明。
「1975年頃からフォークシンガーの吉田拓郎との噂が流れ、1977年7月に21歳の若さで結婚。芸能界を引退し主婦業に専念する。」
‥‥車のドアに挟んだとが浅田美代子が怪我をしたとき、見舞いに来たのが吉田拓郎だったという。
この吉田拓郎との交際は、浅田の家族が一致して反対した。
これもいつもの通り、浅田美代子が押し切る形で決着したのだ。
こう見ると、浅田美代子はバカに見えても決断力はある。
それはさておき‥‥‥
1975年
そして、このアグネス・ラムがやってくる。
即ち、浅田美代子、天知真理のアンチテーゼだ。
色気のない、童顔で若手時だけの浅田美代子に対して、巨乳のアグネス・ラム。
そして、不安定な歌唱力に対して、例の荒井由美・ユーミンだ。
荒井由美は、マスコミには深夜放送で初めて登場し、あっという間に‥‥‥大ヒットだった。
1975年10月発売のシングル『あの日にかえりたい』‥‥アルバム・ミスリムMISSLIM (ミスリム) (1974年10月5日)
このことによって、似非アイドルの時代は去り、アイドルである以上歌唱力、演技力すべての実力を要求されることとなった。
そして、アグネス・ラム。
所詮巨乳アイドルは一時的なもの。
結局芸能界の常識にあって敢えなく撃沈。
アグネス・ラムと夜を共にした芸能人も沢山いたかどうかは定かではないが、突然ハワイに帰国。その後、日本での芸能活動は一切不問とし暫く隠し通した。
一方、1976年頃浜松で一つの火事があった。
不審火とは言われなかったが、この火事で浜松の芸能人御用達の産婦人科。
がま産婦人科の病院長・医学博士・蠣崎要が死亡。ガマ一家全滅したかは不明。
これで一つの時代が終わった。
これ以降、例のキャンディーズの時代となる。
尚、1978年(昭和53年)4月4日にキャンディーズは解散なのだけどね。
「昭和という時代のアイドルビジネスの舞台裏」
アグネス・ラムというのは、第一次石油ショックの直後に日本に現れた20歳のハワイ出身のモデルである。‥‥1975年・昭和50年。
そして、この1975年というのは芸能界でいろいろな出来事が起こった年でもある。
はっきり言えば、反・浅田美代子現象である。
浅田美代子と言えば、今ではれっきとした女優さんだが元々はスーパーアイドルだった。
東京女学館高等部2年在学中の1972年夏、街頭でスカウトされて芸能界入りする。
この芸能界入りは、家族は大反対だったという。
ところが、浅田美代子本人が勝手に退学届けを出して高校を止めてきてしまったから‥‥仕方がないと言うことだったと言われている。
金ボタンのブレザーにミニスカート、そして金具のついたブーツの浅田美代子。
当時のアイドルに比べてどれほど可愛かったか。
同じ頃デビューしたのは、巨乳の「ノーテンキな(当時でも巨乳はバカの象徴だった)」18歳の水沢アキだった。
後年、水沢アキ本人が暴露しているとおり、18歳の「お中元・お歳暮」の「抱かれる女」になっていた。
この単なる「可愛い子」アイドルだった浅田美代子は、ドラマ「時間ですよ」の新人オーディションに何故か合格してあっという間にスーパーアイドルになってしまう。
そして、歌手デビューしたのが「赤い風船」だった。
「1年で50万枚近くを売り上げオリコンの年間セールス10位の大ヒット(この年の新人歌手のシングルでは最大のヒット)となり、1973年の日本レコード大賞で新人賞を受賞する。」
浅田美代子の歌は最低だった。
音程もバラバラ、気持ち悪いの一言だったが只「可愛い」の一語でなんでも許された。但し、歌はひどかったが、バックのアレンジは最高だったね。
ここで飛び出すのがNHKオーディション。
即ち、大人気の浅田美代子をNHKは出演せざるおえない事態になったのだ。
「また当時NHKに歌手として出演するためには局のオーディションに合格する必要があったが、通常1~2回で済むところ、彼女は5回目でようやく合格した。」
とあるが、10回程度目ではなかったかと記憶するで合格。
その後10回目で合格ではみっともないと言うことで、事務所が5回と言うことにした。
では何故落ちたのかというと、歌い始めて歌詞を間違えてか歌うのを止めてしまうのだとか。
結局NHKは、途中で止めても最後まで「歌え」と言い渡して合格させたという。
この浅田美代子、東京女学館高等部時代どんな感じの「娘」だったのか?
当時の関係者の伝聞から、いわゆる「クラスに必ず一人いる変人」又は「バカ」という表現につきる。
それは、現在でもその片鱗はよく分かろう。
そして、悠木千帆(樹木希林)が一番心配していたのが、浅田美代子が男を知らない「処女」だったと‥‥何かで言っていた。
浅田美代子以後に、西城秀樹の妹(役)として募集して芸能界入りしたアイドル。
愛知の友人の話では、学生時代「彼氏」がいて充分「男」は知っていたというから浅田美代子の例は珍しかった様なのだ。
確かに、「私の城下町」でデビューした有名歌手は、デビュー前後に山梨で二回アウスをしていたと‥‥山梨出身の友人。
20歳で「コーヒーショップで」で歌手デビューした元FM愛知のDJは、高校時代の松坂では「男性問題で」有名な存在だったとか‥‥松坂出身の友人の話。
だから皆、芸能界にテビューするアイドルというのは「男性に関しては」結構強者揃いだったわけだ。
結局、「時間ですよ」に出演している間は未成年・悠木千帆の監視下にあって、何と言うこともなく過ぎたのである。
そして、降板後が例のとなりのお姉さんが「天知真理」だ。
今日建国記念日の11日は、例年恒例の書道芸術院展の表彰式・祝賀会・作品鑑賞会の日だ。
だから、この日は書道芸術院では一大イベントの日なのである。
11日は上野に9時半すぎに着いての東京都美術館に向かったのであるが、人の多いのには驚き。
実は、盆栽展とオルセー美術館展が同時開催されていたのだ。
だから貸しロッカーは満杯。
それでも10時半の作品鑑賞会には間があったと言うようなものの一挙に、第1室が参観者が増えて満杯。
作品鑑賞会、昨年は審査副主任だったから公募室にいただけで気がつかなかったが、かっての作品鑑賞会スタイルが復活した。
だから今回は、香川先生を中心にして、審査会員候補室から順次第1室に向けて回って批評する。
批評して貰いたい人は、作品の前に立って‥‥‥と言うことだ。
今回準大賞を貰った作品は、女性が書いたものとは思わなかった。‥‥「書の世界」に限らず、顔を知っていていても誰だか「名前」が分からない事が多い。今回のケースもそうで、以前の創立記念日(11月23日)に、書について散々質問を浴びせられた人であった。
普通、作品の前とか又は、批評を聞いてなら分かるが全く関係ないところで聞かれると「何を話すべきか」答えに窮する事もあるのだ。
今回、名前と顔が一致した。今後注目されるから駄作は書けないよ‥‥‥!
駄作を書けば、批判されるのが落ちだからである。
‥‥と言うわけで、作品鑑賞会は30分以上超過しまだ終わらない、批評、論評を加える事もない注目作品も沢山残ってしまった。
今年も評論家の「目」が3人分あった。
「○○○○の目」は、例年の事ながら変わり映えしない。
何故かと言えば、「○○○○の目」は毎年ほとんど同じだからだ。
筆者から見れば、評論家の目は「其れしかないのか」、通り一遍、全部を見ていないなと思う。
評論家も「商売」だから「ああなるほど」、と思わせてしまうのは「裏読み」し過ぎか!!
15時から帝国ホテルで表彰式。宴会場の半分を使ったからことしは随分と余裕だ。
筆者が大賞を貰ったときは、帝国ホテルでも妙な小さな部屋だった。
逆コの字型の部屋だったから、末席では正面が見えず、来賓席からは末席が見えなかった。
この様な、部屋で受賞者の写真を撮るというのは、いろいろテストが必要だ。
一昨年のPentax*istD+ズームレンズは、露出とピントを外すことがあり、昨年のα7D+αSweetDではピントの外しまくりだった。
今年は、PentaxK100D、K10D+FA31mmLimited、FA35mm、D70Limitedの単焦点レンズで臨んだ。
何故かと言えば、DA16-45mmF4はストロポとのアルゴリズムの相性が悪いからだ。