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書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

ブログを書く気力もなくなる最近の閉塞感を思う

2009-11-10 22:42:48 | 雑感・どうでも良いこと
ブログを書く気力もなくなる最近の閉塞感を思う

この頃の世情を見てみると、何もかも留まって動かないようないような雰囲気がある。
日本も民主党政権になってから、何が変わったかと言えば未だに何も変わっておらず、妙な「似非の正義」と普通の常識からは全く理解できない事が起きている様にすら思える。
そして、護憲だと行っている政権与党は「革命」とでも言うような憲法無視の政策に出る節がある。
その上国民がそれは違うと思っても、マスコミは取り上げず民主党は「白を切り、居直り」国会議論すら一行も出ていない。
そして実際の閉塞感というのは、自民党政権時代後半からの国民に対する締め付けのようなものを感じていることである。
それは、本来日本人は神道からなのか従来性善説に立つ政策だった。
しかし、数年前から宗教観なしの米国並み「性悪説」へと転化して、締め付けを始めたきらいがある。
人権擁護法案??
元のナチスの秘密警察の様な所行が憲法違反すれすれに行われる。
しかも、その人権擁護委員会という秘密警察(思想警察)は、逮捕権を持ち、国籍を問わず、責任も問われないし警察権よりも強大な権力を持つという。
その目的が「人権擁護」に名を借りた言論弾圧を簡単にできるというのは、戦前の共産主義者を摘発した特別高等警察より高度な権限を持つ秘密警察。
その他、地方参政権は定住外国人のうち中国人にも無条件で与えると言うのだから、韓国との相互主義は全く関係ないようだ。
あの長野善光寺前で行われた聖火リレーの時、乱立する中国国旗と一時の超法規的治外法権。彼らに参政権を与えたらどうなることか。

それにしても、「茂木健一郎氏、所得4億無申告…印税や出演料など」(読売新聞web)とあって、‥‥
「茂木氏は、著書が売れ、メディアにも頻繁に登場する一方で、確定申告をしていなかったことから、2~3年前に税務署から申告を求められたこともあった。それでも申告を行わず、税理士に税務処理を依頼することもなかったという。」

TBSの動画によるインタビューによれば、「仕事がずっと忙しくて書類もたくさんあるので、なかなか自分で整理する時間がとれなくて。税理士にお願いしていなくて、自分で全部やっていたので遅れてしまった。領収証もほとんど経費にあたる部分はないです」(茂木健一郎さん)」http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4279667.html
まあ、それならば申告など簡単だろうにね。
「現在、NHK番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』のキャスターを務める傍ら、『感動する脳』『脳を活かす勉強法』『ひらめき脳』など脳科学関連の多数の著書がある。平成17年には『脳と仮想』で第4回小林秀雄賞を受賞している。」(産経新聞)と言う割にはお粗末ではないか。
この不況の世の中、何やら後味の悪いものである事よ。

この秋10月の日本の激変に驚く・でも書の世界では‥‥

2009-10-04 23:05:37 | 雑感・どうでも良いこと
この秋10月の日本の激変に驚く

今日は、「中川昭一元財務・金融相の急死」と言う記事が昼過ぎに駆け巡ったが、誰でも驚く事だった。
選挙後の急死というのは、あの東京都知事選。
落選した著名な建築家の黒川紀章氏が亡くなった2007年のことが思い出される。それも供託金没収という大惨敗。
平成20年2月17日執行前橋市長選挙(2008)では、今の大沢群馬県知事当選の最先端にたった自民党群馬県幹事長だった金子泰造氏が、知事選の余勢を駆って出馬、6,000票の差で落選後同じく亡くなった。
この選挙では現職市長が当選後、不動産がらみのスキャンダルが新聞紙上で明らかになり、市長が県議だった頃の疑惑でも持ちきりになった。
実際その問題は解決されず疑惑として残ったままだが、選挙前に明らかになっていれば現職市長の当選はなかったのではないかと思われるほどだった。
いずれにせよ、黒川紀章氏は自分では当選すると思っていたらしいし、前橋市長選の時の金子泰造氏も当選しそうだった。
人間世の中一寸先は闇とはよく言ったものである。

さて、何やら激動の年となった今年もとうとう10月のになり、また一段と変化が現れてきた。
前橋の玄関口のイトーヨーカドー前橋店は、来年撤退か大幅な賃料値下げによる存続かを迫られているとは、10月1日の地方紙一面だった。
新聞に書かれていたのは、毎年契約更新ごとに賃料の値下げをしているらしいのだが、近年のイトーヨーカドー前橋店の凋落も急激なものがある。
それは3年前の2007年3月、駅から歩いて5分のところにケヤキウォークという大型ショッピングモールが出来た事だった。
実際のところケヤキウォークが出来た頃は、元々規模が小さいアピタ(ユニー株式会社)経営であったために食料品も衣料品も何もかも貧弱だった。
それが、ここ一年くらいの間に食料品が充実してきたと思ったら、イトーヨーカドーの食料品が「がくりと落ちた」と言う。
パン屋も気がついてみれば無くなっていたし、旅行会社のテナントも撤退していた。
小生などから見れば、昼に行って買いたい弁当がドンドンなくなって、と思っていた矢先だった。
一方、ケヤキウォークでは品揃えが充実してきた気がするのである。
但し、衣料品は「なんだかな」と言うものばかりでイトーヨーカドーの方がまだよい。
ここで、男性用の衣料品がなくなってきたら「終わり」の感じである。
なぜならダイエーが撤退した時などはそうだったからだ。
そして今日駅へキップを買いに言ったついでにイトーヨーカドーによってみたら、「えっ」という年寄り向け??の女性秋物の服オンパレードだった。
最近は、日曜日でも閑散としている感じがする。
また、ネットで種々の価格情報を見ていると10月は値下げの秋だった。
かといって、最安値と思われるサイトの価格はシルバーウィークに瞬間的に動いた物もあったが変わらず。
逆に、価格サイトとは関係なところでそれより大幅に値を下げていた。
中には瞬間風速で売り切った商品もあった。
9月だったがデパートの革製品のバーゲンに、封筒の景品欲しさに誘われて行ってみたら、有名ブランドの男性の靴が半値だった。
よく見ると元々外国のメーカーブランドなのだが全て外国産の輸入品。そして、当然履き心地は「そのメーカー」のものかなという良い感じ。
製品自体は中国製だから有名ブランドでも「中国製か」と思ったりもする。
その値段だったら以前は、ブランド名も知らない靴ばかりだった筈だった。デパートの革製品担当者は、今は安くないと売れないので‥‥‥と。
「だったら、もっと前から安くしろい」と言いたいところだか、昔はなんでも高かったものだ。
30年前に日本橋三越のバーゲンで買った背広は25,000円だったが、今の水準で行けば3流品にもならない代物だった。
9年前に出初めだったアイワの15インチ液晶テレビを約50,000円でネットで買って、今度買い換えた液晶TVが16-9型の20インチ。
安物家電の象徴のような銀色ペナペナな外装の15インチテレビと比べて、AQUOSは「ASV液晶ハイビジョンパネル〈水平1,366×垂直768 画素〉」、「地上デジタル、BS・110度CSデジタル放送が楽しめるチューナー」、「HDMI入力端子3系統、PC入力端子」パソコンも繋げて高品質。
これをほぼ最安値で買ったから45,000円を切る。
こんなに安く物を売っていたら儲からないとつくづく思う。


それで一転振り返って「書道」を見てみれば、何も変わらない。
当然出品料も、表具代も安くならない。
そして悪いことに書道人口も増えない。
例によって、秋の時期が来れば県展が始まってそれで今年が終わり、続いて市民展、院展と続く。
10年一日のごとくなのだが、友人と顔を合わせてみれば互いに「ジジイ」になったと思うし、「おばさん」だった人は、「おばあさん」になっていて驚愕するものだ。
明後日から書道芸術院の秋季展が始まる。
こういう展覧会というのは「みんなでワッとやって、驚かせてパッと終わる。」とは、誰が偉い先生が行っていたような気がするのだが詳細は覚えていない。
まあ、自分の作品は何やら会心作とも思えないものの、フォトブックで作った自分の作品集を見てみれば今年は、少しはマシかと思う程度。
表具が出来上がって会場で見てみれば、「なんたこりゃ」という作品かもしれないと、戦々恐々の今でもある。
ダメだったら、今回墨が悪かった、失敗したとか言わずに「多少心境の変化」、こうしてみたかったとか言って誤魔化すのが習い。
但し、自信を持って書いた作品が評価されずに、「失敗だった」思う作品が評価されたり出して見なければ分からない世界である。

衆院選の投票日前夜に思う

2009-08-29 22:45:17 | 雑感・どうでも良いこと
衆院選の投票日前夜に思う

今日の夕方、毎月の行事で青少年育成委員で市内のパトロールをした。
今回のパトロールは、何故だか酒とタバコの自販機を見回って、店の人に未成年に売っているかどうかなど‥‥コンビニ、酒店、ヤマザキストアなどを廻る少し時間の掛かることたった。
土曜日の夕方、夕立の雨がポツポツ降り始め子供などほとんど見かけない。
だいいち新型インフルエンザの影響で子供は朝体温計で熱を測ると学校から決められている。
その上、人混みの多いところに行くのは事実上禁止なのである。
それで今回はそんな調査だったのかも知れないが、自販機などはもっと別のところのものがあるのではないかと思ったりもする。
そんな夕方、地元の衆議院議員候補者は「候補者が自転車で廻っています」と大音量で呼びかけをして、その候補者は自転車の後ろに真っ赤な「本人」とデカデカと書かれた幟を立てて悠々と通り過ぎ去った。
もうこの候補は、余裕すら見られる切迫もしていないユックリしたウグイス嬢の声だった。その少し前には、別の候補が候補者の名前を連呼してあっという間に過ぎ去った。
選挙というのは、投票する前の選挙戦から何やら結果が分かってしまう様なこともある。金曜日に市役所に行ったら期日前投票所はいつになく一杯だった。
やはり、マスコミが宣伝しているとおり投票率は、相当高くなるかも知れないと思うものだった。一節には70%近くなる予想とか(静岡大学情報学部)。
何故なら、選挙にはあまり関心がない女房殿が今回は行くつもりになっているからだ。
それにしても、群馬の自民党候補者はあの「小渕」大臣を別として全員70歳以上だ。
実際、日本の中枢で何か民間から「社長」を選ぶと行っても不思議と70歳以上の人物であった。あの郵政の社長だって70歳を超えている。
その他の人物もそんな年齢の人達が多い。
又、今回の選挙に関連して「最高裁判所裁判官国民審査」が行われるのだがここでも高齢というか、70歳定年らしいからサスガ70歳以上の人達がなる事はないが、新任でほとんどが60歳以上だ。
中には、官僚の成り上がりの人達もいていつまでやるのかと思ったりもする。
要するに、今の世の中というものは日本の戦後・高度成長時代を上手く生き抜いた、成功体験のある年寄りが未だに日本を牛耳っていると言う事だ。
そのお年寄りの時代は事業をやれば10年で事業は2倍になり、ポストには不自由せず、リストラにもあまり遭わなかったはず。
その上の世代は、戦争やらGHQのパージで少なくて「老害」など感じず思った通りの仕事がやれた人達だ。
そう言う人達というのは、今や何処にでも存在して不思議なことに益々元気と来ている。
一般の民間では、趣味の世界という目立たないところにしか生息しないが、日本を動かす政界、実業界の上の方はこの人達で充満している。
役所も、終戦直後に計画した公共事業を見直すこともせず時代が変わったのに、未だに続けようとしている体質というのは「老害」と同じだろう。
若い人達から見れば、生活が良くならないのに一部の「あるところ」ばかりは美味しい蜜を吸っていると思われている。
当選何回、大臣もした衆議院議員候補者は、傍から見れば何十年も議員をやってこの体たらくか、何も変えられなかったではないかと皆思う。
自民党は、テレビCMなどに30億円も掛けたという。
今更自民党と言われても、「あの口の曲がった総理の顔」とか「高そうな背広とか」を見ると逆効果だという意見だとニュースに出でいた。
それは自民党候補が自分の名前を連呼しても全く無駄なのと同じだ。
庶民の反応は、自民党は何も変えられなかったではないかでしかない。
こういう風に、国民の感情・雰囲気が読めないというのが今の自民党でしかない。

日本の国の国民の「空気が読めない」と言うのが今の自民党だった。
かといって、民主党が国民の空気を読めているかと言えば、自民党より読めていない。

一番の問題は、日本の国をどうしようというのかという問題につきる。
要するに、安全保障だ。
外国人参政権問題も「税金を払っているのだから」参政権をやっても良いのではないかと言う議論が民主党、公明党などにある。
もしそうするなら「税金を払っていない人」から選挙権を剥奪しければならない。(田母神氏)
要するに、参政権問題は国籍に関することで、最高裁でも「外国人参政権」は違憲であると言っている。
何を考えいるのか、こういう人達というのが国を誤らせる。
そして、こういう問題を抱えながら「空気」という訳の分からない雰囲気で民主党に政権が渡ることになろう。

その国民の意図しない「空気」と言うものが、先の戦争に導いたと言う事は肝に銘じておく必要がある。
そして、そんな空気を導いてしまった政官の利権に群がった自民党の年老いた首脳達に最大の責任があるというものだろう。
その年老いた古い思想というものは民主党も同じおなの狢。
仮面が剥がれ、国民が失望するのにどのくらい掛かるのだろうかと思案するものでもある。
何故から、民主党は「政権交代」としか言わないではないか。

サイゴンの火焔樹・副題・もうひとつのベトナム戦争 ・牧 久 (著) を読む その1

2009-08-09 22:37:52 | 雑感・どうでも良いこと
サイゴンの火焔樹・副題・もうひとつのベトナム戦争 ・牧 久 (著) を読む

その1

ベトナム戦争に関する著作はたまに気がつくと読んでいるのだが、それは自分の青春時代に散々騒がれたことからだろう。
大学時代どこかの講習室の廊下に「反戦のポスター」が貼ってあったのを今で思い出すのである。どんなポスターだったかの黒地に「No!Nixon」だったかも知れない。
しかし、1975年(昭和50年)にどこかの赤い国旗を掲げた北ベトナム軍の装甲車が大統領官邸の門を壊して侵入し、国旗を掲げたのはTVでも散々報道された。
そして、その後のポートピープルの報道。ベトナムのカンボジア侵攻。
北ベトナムがベトナムを統一してのその後、ベトナム戦争の実態が明らかなにるにつれ、TVでも二夜連続に亘る特番がなされた。
米国を非難した米国マスメディアは沈黙を守り、逆にベトナム戦争批判を繰り返したジェーン・フォンダは自己批判をする羽目になった。
そして、日本ではあれほど騒いだ「べ平連」は、南ベトナム陥落以降全く知らぬふり。正に蛙の顔に何とやらであった。
思えば1970年頃は、小田実氏は東大助手で代ゼミの英語講師をしていた。
聞くところによると、英語授業より米国批判の講義の方が多かったと当時の受講生から聞いた。但し、小生は講習を受けたことがないので確認しようがない。
いずれにせよ、そう言う似非反戦家の扇動にも乗らなかった。
1970年と言えば、70年安保で大学紛争が激化した頃だった。

そして、今回某ブログの紹介もあってこの「サイゴンの火焔樹・副題・もうひとつのベトナム戦争」を読んでみることにした。

以前に読んだ本は、「ベトナム革命の素顔・タイン ティン(著)、中川 明子(翻訳)」(2002)であって、ドイモイ政策後であっても共産党の特権階級としての腐敗。
何の知識もない共産党員の妻が突然大病院の院長になったり、各種の搾取。ベトナムという国の共産革命とは何であったのかの疑問を解くものであった。
その他は、 ベトナム戦争の「戦後」中野 亜里 (編集)2005。
この中では、「第2部ベトナムの戦後と関係諸国、第1章日本から見たベトナム戦争とその戦後(渡部恵子・読売新聞英字新聞部記者)」では、ベトナム戦争を知らない世代による「推測」。
どう考えても、小生などの認識とは全く別なベトナム感。そして日本の歴史に対する無知が日本断罪を行っている。

「サイゴンの火焔樹」は、牧久という当時日本経済新聞記者が1975年3月陥落直前の南ベトナムへ「サイゴン・シンガポール特派員」となり、9月29日朝国外退去命令が出て、10月31日朝強制退去した8か月の記録である。
持ち出せたものは、身の回りの衣類、アオザイ人形と小さな漆塗り2点のオミアゲと30米ドルのみ。
その間、陥落後記事を南ベトナム臨時革命政府の目を盗んで日経新聞に送り届け、その日経新聞に送った記事が300ページまでの主要な内容になっている。
実を言うと、ここまでの記事というものは実際本を読まずとも以前TV特集で充分おさらい済みであった。
だから、読んでいてその内容を再度確認すると言うものだったのだが、南ベトナム臨時革命政府との折衝、記事は概略掌握していたものの牧氏のスクープ記事だから初めて聞く話もあった。
実際、その南ベトナム臨時革命政府の首脳の希望とベトナムの真実の姿を報道してしまったために「危険人物」「スパイの嫌疑」をかけられ強制退去になった。
しかし、あとで判ったことかも知れないが南ベトナム臨時革命政府としては、牧氏の報道をかばい通して、最終的にはハノイの共産党本部の命令によったらしい。

そして、後半第2部「歴史に翻弄された人たち」に書かれている在留元日本兵について言及している。
感じるところ前半の第1部は、自身のベトナム特派員としてのメモワールとして当然としても、100ページもある第2部が本当は書きたかったのではないかと思う節がある。
それは、ポートピープルの真実とその背景であり、出会った元日本兵(第2章元日本兵と民族解放)である。
その中で、元日本兵は南と北に別れて存在していることを述べ、その人達が元日本の特務機関出身だったりすることを明らかにしている。
それによって、日本経済新聞の牧氏の日本で掲載された記事は全てハノイでチェックされていたことが明にさせている。

1940年9月日本軍が仏印(フランス領インドシナ)に進駐するのは、ヴィシー政権(親独)下のフランス領である。日本は、このヴィシー政権と協定を結んで「蒋介石への援助ルートを絶つ」(蒋援ルート)と言う名目で進駐した。‥‥軍事に関しては日本、政治経済はフランスが主導する。
日本が降伏した2日後の1945年8月17日以降、ベトナムではベトミン、フランス軍、中国雲南軍、国民党軍がベトナム北部で戦闘が繰り返され、日本軍の将兵と武器の争奪戦が行われた。
この中で、ベトミン軍の中核になった脱走日本兵は約4,000人だという。(大森実・「ホー・チ・ミン不倒の革命家」)この日本兵は、ベトミン士官学校の幹部養成に関わり、軍事教練もした。その後暫時引き上げが始まって、最終的に残ったのは7-800人といわれている。(サイゴン寿関係者)

この辺のところは、小生としては断片的にしかよく知らない。
しかし、イントネシアにしろベトナムの初期のベトミンにしろ中核となって戦ったのは旧日本兵だったし、日本軍が残した大量の武器弾薬、物資だった。
この軍事物資によって中国共産党八路軍は強力な軍隊を組織できたし、ベトミンは民族解放の助となった。 ベトナム戦争の「戦後」中野 亜里 (編集)2005
「第2部ベトナムの戦後と関係諸国、第1章日本から見たベトナム戦争とその戦後(渡部恵子・読売新聞英字新聞部記者)」
では、○年表の出来事ではなく
で「また、私事になるが、ベトナム人の義父(筆者の夫はベトナム人)が、私の友人に問われるままに、『仏印進駐時代に日本軍が、米の徴発の猶予を願い出たベトナム人を軍刀で袈裟懸けに切ったのを見た』というのを耳にしたことがあった。」と言う部分がある。

戦後日本の教育として、反戦と共に旧日本を嫌悪する教育を行った。
それと同時に、日本の過去の歴史というものをある種の一辺倒の考え方に固定した。
それは、あたかもGHQが日本人に与えようとしたWarGiltProgramそのままに過ぎない。
しかも、日本人の軍事に関する無知というのは救いようのないレベルまでに達してしまっている。
「軍刀で笠懸斬り」‥‥例の虚構「100人斬り競争」を思わせるではないか。
軍人の持っていた軍刀とは、大方指揮刀でなまくらだったのは有名である。

そして、ベトナム共産党のなどの共産主義者に共通なのは、人に助けてもらっても助けてもらったとは決して言わないことだ。

穂村弘氏の「『受け取らない』重圧…」の「気くばりのなさ」の疑問

2009-08-08 12:13:50 | 雑感・どうでも良いこと
穂村弘氏の「『受け取らない』重圧…」

の「気くばりのなさ」の疑問

読売新聞平成21年8月4日(火)夕刊「いま風・火曜日」に穂村弘氏の「『受け取らない』重圧…」・配られるマナーという記事があった。

最近の読売新聞を見ていると、尻尾を出さない朝刊に比べて、あまりたくさん見ていないと思われる夕刊に時々妙な事が多い。
毎週金曜日には、例の「紫舟」という自称女流書家が見るに堪えない題字を書いて、悦に入っているし、鈴木美潮記者のdonnaでは度々カリスマ記者の馬脚を現したりする。
読売新聞2009/07/14夕刊掲載「鈴木美潮のdonna」というコラムでは、読売書法会の先生方は事実上コケにされて見るも無惨だった。
それで今回は「マナー」と言う事なのだが、穂村弘氏は「駅前などにティッシュを配っているひとが立っていると、緊張する。」‥‥そして、「受け取らない決意を固める。」とある。
内容はたわいもない事で、ティッシュをもらっても「花粉症でもない私はティッシュを使う機会がほとんどない。」
それで、「鞄の底に放置されたティッシュは半年もかけて、少しずつぐじゅぐじゅになってゆく。捨てるにも気合いがいるのだ。」
こんな事は、文章に書いて人に見せるなど馬鹿馬鹿しい事だ。子供が夏休みの宿題での作文だったに間違いなく良い点は付かない。
もらったティッシュは、必要がなければまとめて箱にでも入れておけばよいのであるし、最近ではこのティッシュを使った日常使用に使えるケースだってある。
何も「鞄の底に」詰め込んで持ち歩く必要もないのだ。
小生など実際、ティッシュはかなり使う。
パソコンプリンターのインクの詰め替えには新聞広告を下敷きにするとしても、最終的にはティッシュ。そして、このインクの詰め替えこそ「エコ」だ。
その他、CD・DVDの清掃なら何やらそれこそ「鞄の底に放置されたティッシュ」の活躍の場は大きい。但し、ティッシュにはローションが入っていることもあるので注意。
まあそれは兎も角も、穂村弘氏はそんな事を言っているのではない。

「普段ティッシュを配っているひとが、渡される立場になったとき、どうしているのだろう。正解を教えてもらいたいものだ。」
という実に馬鹿馬鹿しいことなのだ。
この歌人でもある穂村弘氏と言うのは、簡単なバイトでもやったことがないのだろうかと不思議に思うことである。
何故なら、「ティッシュ配り」というのは、大方バイトだからだ。
大きなダンボール、2-3箱全部配れとかいうもの。全部配ってそのバイトは終わる。
配れなければ、何時までも立ちん坊をしていなければならないというものだ。
そうであるならば、気軽にもらってあげると言うのが「親切心」と言うものだろう。
だから、穂村氏の質問の回答は迷うことなくは、「喜んでティッシュをもらう」なのだ。
物事を考える時、常に他人の立場において考える。
その昔NHKの鈴木健二氏が「気くばりのすすめ」の本を書いていたが、実際「気くばり」が出来るようになるというのは、欲がなくなってある程度年を取ってからなのかも知れない。
逆に言えば、「気くばり」が出来ない人というのは若いのかも知れない。

この文章では「マナー」を説いているのだが、実は「気くばり」というマナーを欠いてしまっていることを暴露したお粗末なものだった。

名将の采配・第4回 「真田昌幸“懐の深さ”が勝利のカギ」

2009-07-15 23:59:37 | 雑感・どうでも良いこと
NHK・名将の采配・第4回

「真田昌幸“懐の深さ”が勝利のカギ」

2009/07/15放送・

以前テレビ批評で話題になっていた「名将の采配」と言うものを何とか忘れずに見てみた。ゲストは、清水圭、高橋和。
高橋和とは、良く分からなかったのだが将棋番組にNHKお気に入りの解説者として出ていた「女流棋士タレント」と思い出すくらい。
最初はアシスタントの単なる元「お天気お姉さん」かと思った感がある。
しかし、今回はこの一見ノーテンキな無知を装ったゲスト、清水圭、 高橋和が「名将の采配」の番組をぶち壊した感がある。
何と言って、初めから真田昌幸なんて知らぬと「ドッ白け」なのである。
清水圭は、その上無理に何やら台本通り忠実に馬鹿を演じてるように見える。
そして、城攻めの家康方・鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉は兵約7,000。真田方は兵約1,200人‥‥‥フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。
‥‥と放送で真田方と徳川方の兵力の差を聞かれるのだが、高橋和に至っては、兵力差を将棋の駒の差で言うバカバカしさ。
少なくとも、戦力は兵力の比の二乗に比例するくらい言えなかったものか。
だから、平地で対戦した時の戦力差は1対10~34倍になる。
しかし、城攻めの場合は3倍ないし4倍の兵力が必要と言われているから、7,000でも実は充分ではない。
何故なら、戸石城の信幸、矢沢城の昌幸の従兄弟矢沢頼康の出撃も許してしまうからである。
但し、NHKの筋書きでは、真田信幸、幸村が斥候隊兵300となって、徳川方を城に誘い込む事になっている。

そして、その何も知らないはずの清水圭、高橋和が不思議なことに、名将真田昌幸の策をことごとく見抜いて行く。
そして、今流行の「バカタレント」宜しく、ハイタッチだ。
これは、NHKが筋書きを書いた「馬鹿タレント」風の味付けに違いないが、何か視聴者を馬鹿にしているのではないかと思えてくる。
それだけでなく、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で見る、この「第一次上田合戦」・神川合戦の模様は、NHKの城攻めの状況と微妙に違う。
はっきり言えば、徳川方の攻め手が甘すぎる。
NHKの城攻めだと名将と謳われる徳川家康の旗本衆の「鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉」の立場がない。
名将を破ったのだから、真田昌幸は希有な名将・策士と謳われたのであって、NHKの説明だと城攻めの家康方が間抜けとしか見えない。
それにしても毎回清水圭、高橋和のノーテンキな無知に付き合わされなくて良かった。
そして、日本人は、平和呆けで如何に軍事音痴になってしまったのかつくづく思わせるものがある。
次回のNapoleonの「アウステルリッツの戦い」をどう説明するのか見物である。

戸田恵梨香とHighway Walker

2009-06-14 23:33:25 | 雑感・どうでも良いこと
2009/06/14は、またまた北関東道と東北高速道を使って、小旅行というより法事だった。
岩槻インターまでの約1時間40分程度の旅である。
何時もの通り、日産のカーナビというのはデーターが古くで北関東道は太田桐生インターが掲載されていない。
これは、今度の定期点検でバージョンアップするから良いとして、2011年には東北道に繋がる時はどうしたらよいのだろうかと思ったりもする。
それで、最近GPSのドライブガイドのようなものを購入した。それでサービスエリア程度ならカーナビがなくても案内してくれるというのは便利になったものだ。
今回も、羽生PAでHighway Walkerという地図の載っているドライブガイドを貰ってきた。



5月に貰った時は、ロングスカートで良く分からなかったが、今回の表紙は綺麗。
最近女優さんというのはほとんど見なくなったりして、名前だけ知っているというか、最近の女優さんの名前というのは似たり寄ったりだったりする。
1988年生まれ、20歳なのだなぁ~~~~。
女優さんは、一般人より4-5歳精神年齢が高いと言うから、一般人なら24-5歳の感じなのだろう。
フリーペーパーのこのHighway Walkerは、今年から戸田恵梨香になったのかも知れない。
兎に角、昨年はカンフーパンダだったそうだ。
そんな感じで、用を足しての帰路。
カーナビが言うこと聞かないこと。
設定では、絶対に東北道のルートを示さないし、東北道岩槻インターに乗ると外環から関越自動車道へ回れと出る。
それに反して、宇都宮方面に車を向ければ、次のインターから下りろの指示ばかり。
カーナビがうるさく言っても、そのまま走るというのは気分が良くないものだ。

あとから地図を見たら、国道16号をひたすら走って、川越インターから関越道に乗った方が速かったかも。
次回からは考えよう。

前原光榮商店の・皇室もご愛用16本骨傘

2009-06-09 23:16:40 | 雑感・どうでも良いこと
前原光榮商店の・皇室もご愛用16本骨傘

昨日から「皇室もご愛用16本骨傘紳士用ジャガード・ネイビー」というメールマガシンがJustsystemから届いた。
これは父の日の企画というもので、色々なところから届くメールの一つである。

この「皇室もご愛用16本骨傘」というのは、TVで紹介されていたのを見た事があった。
傘に関しては、不思議と昭和天皇が黒い「16本骨傘」と言うのを差しているのTVで見た記憶があって、「あれか」と言うものだった。
但し、昭和天皇の持っていた16本骨傘と言うものはかなり大きかった気がする。
その実はその「16本骨傘」というものを二つ持っている。
ホームセンターで中国製のもの(手開き)を見つけて一つ、それとまだ景気の良かった時代に車屋で貰ったもの(ジャンプ傘・中国製)が一つ。
共に黒地で寸法は、60cm×16本。
今確認すると、どうも前原光榮商店の傘のレプリカを変形したような作り。
だからジャンプ傘の方は、結構立派げに見えて未だ使っていない。
Justsystemで販売しているものは、「皇室もご愛用16本骨傘 紳士用 ジャガード・ネイビー」と書かれているが、「皇室御用達 前原光榮商店 オンラインショップ」によると「ジェントル16」という普及品タイプ。
製品仕様は
手開き、親骨の長さ/60cm(紳士仕様)×16本
閉じた全長/87cm、重さ/565g
素材:布地/ポリエステル100%、ジャガード織中棒/国産樫
価格は、Justsystemと同じ税込 \17,850 (楽天店も同じ)

又よくよく見てみると、中国製のジャンプ傘型レプリカも似たような「メイプル(楓)ハンドル版」風だった、但し比べるとかなり安っぽい。
それは、1,000円程度と17,850円では違って当たり前なのだが、本家本元が大きさが60センチというのにはがっかりした。
HPによると、Premiam Grande という上級仕様は65センチで60センチ級というのは一番小さい方なのだろう。
そのJustsystemでの昨日販売では残り7、と見たら夕方には売り切れ?、直ぐに残り14になっていた。それが今は残数5。
結構よく売れているのだなぁと思う。
どうでも良いことだが、「前原光榮商店」のオンラインショップなら納期は不明と言うものの選択の幅があった。

もう梅雨に入って良さそうなものなのだが、今年はまだ良い天気の日が続く。
学生の教養部時代、6月1日が開学祭(開校記念日)で休みだった時、晴れた日というものをあまり見た事がなかった。
実はクラスの誰かが、教育学部国語科の女子学生と話をつけて模擬店をやった。そこでは、なぜか首を突っ込んで、当時ポンコツ車を持っていたから運搬係をやった。
小雨の中、開学祭の模擬店と言うものは結構惨めだった。但し、来る方。
やっている方は、他学部の女子学生と話す機会などなかったから、そこそこ後のコンパでは楽しかったものだった。
雨音は「1/fゆらぎ」だった様に思うのだか、その雨音が好きなのか雨の日と言うのは結構好きだったりする。
但し、最近では車で出かけるので、タイヤが滑るし汚れるしであまり好きではない。
そして、雨の日でも傘を差さずに買い物に行けたりする。
よって、あまり傘を使わなくなった。
それでも不思議と傘は今でも好きなのである。
なぜなら、昔小雨が降ると何か縁起が良かったりしたものだったからである。
特に重要な試験の時など小雨か、雨が降りそうな天気だと、受かるかなと思ったりして。
逆に、大雨や雪でも降った日には最悪と言う事もある。
兎に角、年を取って最近は、感受性が鈍くなり、又感覚が鈍くなった。
だから、そんなことも感じる事も無くなった。

それでも、今日ホームセンターに行ってポリエステルのジャンプ傘を買ってきた。
65センチ(特価)490円、70センチ(特価)490円、75センチ半額で(特価)245円。
ホームセンターで売っている傘は、65センチ程度が標準のサイズである中で、16本骨傘60センチというのはどこか頼りない。
出かけた時500円の傘なら、平気で傘立てに置いておけるが18,000円近くする傘なら怖くてしょうがない。
但し、あまりの高級品だと一目で見て分かるから間違えることはなくても、持って行かれると言う事はありそうだ。
16本骨傘、そろそろ「車屋で貰った」ものでも使う時期が来たかと今思うものである。
それで「皇室もご愛用16本骨傘」を買う物欲を抑えられる。
こんな事で、定額給付金を使ってなるものかというのものだ。

最近の世襲は政治家ばかりか芸能界まで蔓延る

2009-06-07 23:27:27 | 雑感・どうでも良いこと
最近の世襲は政治家ばかりか芸能界まで蔓延る

近年、自民党では世襲政治家、二世議員の禁止などと言うようなことを言い出しているが、芸能界では、二世芸能人ばかりの話題だ。
タレント、明石家さんま(53)と女優、大竹しのぶ(51)の長女という鳴り物入りの話題性で、芸能界デビューしたIMALU(19)(産経新聞)」
いきなり「米映画『ザ・スピリット』では、物語のキーワードとなる“究極のDNA”つながりで、宣伝キャプテンに任命された。」とある。
いろいろと新聞各紙のインタビューでは持ち上げているのだが、写真を見る限り「あっそう」と言う感じた。
以前は、二世芸能人と言う事をマスコミには黙って芸能界進出して、名前が売れて、実力を認められてきてから、誰々の「娘、息子」と言う例が多かった様に思う。
しかし、最近は初めから二世芸能人で名前を売るから、どう見ても実力というものは後から、ダメならバラエティタレントでと言うものなのだろうか。
何と言っても、井上和香が嵯峨京子の娘だとは気がつかなかったものな。
もっとも、最近は嵯峨京子と言っても誰も知らない時代にはなった。
そして、二世タレントだと紹介する時に、プレゼンが要らないから楽なのだと言うが、実は二世タレントで成功している例というのはあまり多くない。
少し前にTVかラジオで、加山雄三の娘「梓真悠子」はモデル(女優)だと言うが、ほとんど売れていないモデルだったと酷評していた。
梓真悠子も既に結婚して二人の男の子の母(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)と言うから、今ではあまり活躍していないのは確かである。
政治の世界のように今まで政治に関して全くの素人で、父親の地盤を継いで何年も経たずに国務大臣になるなど、国民から見れば素人でも大臣は務まる。
官僚の言いなりかと、苦々しく思ったりもする。
それに比べて、芸能界は本当の実力の世界。
今有名な司会者業でプロダクションもやっている関口宏。
この関口氏の父親は、名優佐野周二。大昔、俳優としてTVにも出たが大根役者でどうしようもなかった。
子供は、父親の仕事に関して門前の小僧で、ずぶの素人とは常に違う。だから、二世芸能人と言えども、全くの素人から見れば大分違うしチャンスも多い。

そして、芸術の世界というものは耳学問、「門前の小僧」と言うものは、全くの素人とは確かに何倍も違う。だから、書家の二世とは書作の次元が違ったりして、中々太刀打ちが出来ないと言う事が多い。その上偉い先生から見れば、誰々先生の子と言う事でそれこそ「プレゼン」、紹介が要らないと言うものである。
本当に、血縁も縁故もない全くの素人からと言うのは、どこの世界でも苦労するものだ。

2009元旦・ボチボチくる年賀状を考える。

2009-01-03 23:58:25 | 雑感・どうでも良いこと
2009元旦・ボチボチくる年賀状を考える。

今年も元旦には、結構ドサッと年賀状が来た。
それも、分厚い新聞と一緒だったとは驚いたものだった。例年は、10時頃だったりお昼頃だったりした事もある。
そして、平成21年1月3日(土)も昨日も何時も来る昼頃には、10枚単位で届く。
昔は、元旦に届いたら後は3日か5日かと言うものだったが民営化されて変わったからなのだろうか。
そして、元旦に届いたものに宮城県の佐々木先生から送って頂いた「お屠蘇」袋には「屠蘇散」。発送日消印は、暮れの27日なのだが、なんと元旦に届いたのでは来年用になるというもの。
何故なら、これを清酒に混ぜて一晩おく‥‥うちには清酒など何故か小瓶で沢山あって、正月にもお寺で300ml瓶をもらってきたところ。
ところが、小生は下戸と来ているし、女房殿は大の「めんどくさがり屋」。
リンゴさえ、面倒と皮をむかないというか、果物を食べる習慣がない。
だから、正月に酒類は出ないし「おせち」などはお皿に申し訳程度に乗せるもの。
ついでに言えば、お餅も嫌いと来ている。
だから毎年、正月気分というのは元旦の朝だけのお雑煮1杯と恒例の行事となっている。
今年は、ヨーカドーも500本引きとケチったから、急いで朝10時にヨーカドーに行ったら「抽選会は終了しました」とのアナウンスが‥‥
でも、駐車場はガラガラ、店内も人は疎(まば)らなのにねぇ。
今年は、例年出かけていた「初売り」も全く行かず、3日も論文指導に明け暮れる。
論文・作文などの書き方は塾で教えてくれるのでは‥‥と思っていたら、なんとほとんど教わっていない!!!それで限りなく0点に近い成績か‥‥納得。
それでは、試験にに間に合わないではないかという事で、付け焼き刃をつけることにしたわけ。
一方、年賀状はなぜか出していない人物からが多い。
本当は、元旦にメール年賀状というJustsystemのソフトがあったので、それを使おうと思ったところ、最近添付ファイルにVirusが紛れ込むという情報が入った。
それで、もらった方が用心するようでは、正月から縁起が悪いではないかと止めてしまった。
実際のところ、今年は年賀状が足りなくなってしまったのが真実で、気がついたら「インクジェッド紙」用が底をついていた。
家族用に残して於いた分にも食い込み、後は事務所のカラーレーザープリンターでと言うものだが、少しだが時間とトナー代がバカにならない。
それで、名簿の最後の方にあった書道の先生方、その他の方々ごめんなさいという事になった。
「年末に出していなくて、今日までに頂いた方は、カラーレーザーの豪華版??でお出ししました。」
あともう少しで、普通の年賀状の在庫切れ‥‥今売っているけどね。
それにしても、何時も出している人から年賀状が来ないのか不思議なもの。
来年は、3ヶ日に来る年賀状の人を優先しようと毎年思うのだが、年末には忙しくて又年賀状の名簿を印刷してそのまま書いてしまう。
但し、昨年はパソコンで宛名を印刷したのだったから、データーが残っていた。
今年は、ペン書きだけど一応手書き。
又来年用は、忙しかったらパソコンに任せるかも。
今年に届いた年賀状の宛名は、パソコンが使える人はほとんど全てパソコン印刷。
当然書家の先生も同じ。
確かに、宛名書きを印刷すれば1日で仕上がるというもの。
少し前、暇なとき50-100枚は手書きで絵を描いていたときもあった。
そう言えば、プリントゴッコもどこへ行ったのやら‥‥
最近部品もほとんど売っていないという。
時代の流れというものは早いものだ。

うちの玄関には、近代詩文を書いて額に入れて飾ってある。

その言葉は
希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ何事も成就するものではない。」
(ヘレンケラー)
但し、書として書いてあるのは、半分まで。
今年は、何と書こうか‥‥と思ってよく見たら昨年「種田山頭火」の句に変えていたのを忘れていた。
今から正月ぼけなのかいな!