goo blog サービス終了のお知らせ 

書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

外務大臣に空気が読めない(KY)中曽根弘文氏とはサプライズか

2008-09-24 12:48:25 | 読み解けば‥‥

麻生氏の自民党総裁決定後、まだ総理大臣になりもしないうちから組閣の名前が出てくるというのは異常なことだ。
マスコミ対策の揺さぶりという感じもしないではないが、報道に寄れば
外務大臣・中曽根弘文・元文相(伊吹派)、与謝野馨経済財政相(無派閥)、野田聖子消費者相(無派閥)、二階俊博経済産業相(二階派)再任。
小渕優子衆院議員を少子化担当相を新任‥‥
文化放送で社民党の福島みずほ党首は、またまた「お友達内閣だ」と見当違いのことを言っている。
これは、福島氏の政治感覚欠如を露呈したものだが、何やら悪い雰囲気であることは間違いなく、相も変わらず予測されるのは挙党一致内閣という感じではないか。

政治評論家・浅川博忠氏は組閣以前の段階で、「華がない使い古された常連組」と表している。
一方、中曽根弘文・元文相を外務大臣とは実はサプライズ人事ではないかと小生は思っている。
なぜなら、中曽根弘文氏をあの大勲位の父親と同じように「風見鶏」があると思ったら大間違いだからだ。
不思議なことに、この息子の方は定型的な「KY」であの郵政民営化の決議の時参議院で反対した中心人物であることからでも分かるだろう。
それは、多分そうだろうなと予測出来たことなのだが、政治感覚がないという事はかって選挙応援でもあった。
それは、参議院選挙区の新人女性候補を応援するのにあの田中真紀子氏を呼んで選挙演説をさせたとき、新人候補者をさして「こんな人は知らない」と言った事件。

その他、状況証拠を積み重ねてて見ればどう考えても改革派でもなし、先見性もないと言うのは間違いあるまい。
元商社マンの筈だが、なぜなのだろうかというのは不思議なものだ。


トランプの裏返し・サプライズない麻生総裁誕生 その1

2008-09-22 19:08:05 | 読み解けば‥‥

自民党総裁選は、予定通りの麻生氏の圧勝になった。
いわゆる勝ち馬に乗るという勢力ばかりであるというのは、自民党の停滞を思わせるものだが、福田総理より未だましというところか。
今回、トランプの裏を返したような感じであるのは、選挙が近いとはいえ自民党の主要ポストに今までの人物を留任させた事だ。

あとは、閣僚や政府人事について「サプライズ」を起こさなければ、正に「トランプ」の裏返して結局何も変わっていないという印象を植え付けてしまうだろう。
政策としても、総裁選挙に出馬した候補者達の意見を生かさないと福田政権との違いが見られなくなる。
今後福田政権とどのくらい違うことを出せるかが勝敗の行方というか、支持率に上昇に繋がる。

いずれにせよ、今度の自民党総裁選挙は竜頭蛇尾だった。
麻生氏圧勝の予測後は、盛り上がらなかったのが事実。
こんな様子であるなら、就任直後の解散総選挙は無理だろう。
するとするならば、一山越えた人気取りがなければ選挙など出来ないと思うものだ。


無能な教育者の常套句「知徳体、総合力の育成」

2008-09-19 18:11:59 | 読み解けば‥‥

無能な教育者の常套句「知徳体、総合力の育成」

公教育に関して、いつも問題になるのは結果を大切にするのか、又は過程を大切にするのかと言う事である。
わかりやすく、理系大学の卒業論文で例を引いてみる。
‥‥‥と、学部卒の卒業論文はその研究が成功しなくても卒業研究で失敗と書き、卒業研究発表会でその経緯を説明すれば卒業は出来る。
これは、研究をしたという実績を重視するもので、これが教育の「過程」である。
一方、大学院の修士、博士となると「修士論文」、「博士論文」は全てサクセスストリーになる。要するに「結果」重視。
より分かり難くなったかもしれないので、高校レベルまで下げると、上手い授業をする教師と授業中いっぺんでも教科書を開かず雑談ばかりしている教師との違いに見られる。
そして、不思議なことに「有能な教師」は無能な教師によって常に非難されていたりする。
なぜなら、同じ試験をやって平均点が10点以上違うからだ。
その上不思議なことに、そう言う「無能な教師」ほど発言力が強く、かつ出世をするという事がある。
挙げ句の果てに、「有能な教師」にまともな授業をさせない事にもなる。
それでは困るというので、その「無能な教師」に「良い授業」をやれと意見すれば、「学校は大学受験」の為ではない、学校ではクラブ活動などで情操教育をするものだ、とのたまう。
それでいて、大学進学率には興味津々だから不思議なものだ。

この様に見てくると、当たり前だが、教師として無能な人物ほど教育した結果を公表されることを拒む。それは、ろくな授業をやっていない現れなのだが、彼らは教育は学力ではない「結果ではない」という。
それでその教育によって‥‥というか情操教育なり、体育なりによって生徒、児童が成長したかと言うことに関しては調べようがない。

9月18日、大阪府教育委員の井村雅代氏(北京五輪シンクロ中国代表ヘッドコーチ)と、木戸湊(あつむ)氏(元毎日新聞大阪本社代表)が、今月末の任期満了を前に退任会見を開いた記事を読むと色々と面白い。
基本的には、両人は経歴からいわゆる「左派人士」に分類されると思うが、井村雅代氏は元中学教師を経験後、コーチの他教育委員を12年もやってきたと言うから考えさせられるところがある。
そして、橋下知事への反論として‥‥
「教育委員がお飾りだったら、暇でないのでやめている。実態を知らずに言っている。」「(知事と)話し合う場がないのに、簡単に『ビジョンを言え』『ハイ』とはならない」
としている。(共同)
又、井村委員は「学力テストの結果を公表すれば悪い波紋も出てくる。何でも公表すれば平等という考えは間違い」と主張し、「公表を求めるだけでなく、市町村教委をサポートする策を考えてほしい」と要望した。(産経)
このことからも見ているように、井村雅代などは教育としての「結果」を出すというのではなく、「教育をした」という経過を見ていると言う事である。

不思議なことに、シンクロコーチとして結果重視してきたはずなのに、一転「教育」と言うことになると思考停止するようだ。
いっぺんでも教師をするとそう言う思想が染みつくのかもしれないが、昭和25年生まれという学生運動世代の人の思考は知るよしもないと言うところだ。

この「学力」より「知育」と言いながら「自由放任主義」として何もしないのは、例の「ゆとり教育」に通じる。

吹田市の阪口市長は「吹田市の阪口善雄市長が19日、田口省一教育長に、非公表を支持する考えを伝えた。阪口市長は『限られた教科の点数だけでは公教育の成果は計れない。(点数公表をめぐる)ばかげた議論には付き合えない』と橋下知事の姿勢を痛烈に批判した。」
「点数至上主義よりも知徳体、総合力の育成に力を入れていきたい」と強調。(産経)
‥‥とあるように、この学力より「知徳体、総合力の育成」というのは、以前からの学力不振に時に使われる、逃げ道の常套句だというのが図らずも証明された感がある。

昔から言われているのは、日教組の勢力が強いところは教育レベルが下がると言うこと。以前、文部科学省と日教組は「手打ち」したことが報じられていた。
文部科学省と日教組は「手打ち」は、お互いの共通する思想が似通ってきたと言うことであり、又事なかれ主義というものだ。
そう言えば、それは例の「ゆとり教育」頃だったかもしれない。


激安・崩れる・ユニクロビジネスモデル。

2008-08-22 19:10:08 | 読み解けば‥‥

最近のユニクロは売れているのか?
正直言って、一時期のような売れ方ではない気がしてならない。
数年前、日曜日にユニクロに行くと、広い駐車場で車が止められないことがあった。
しかし、最近の様子を見ているとどうも「そんなようではない」気がしてならない。なぜなら、近年ユニクロはご無沙汰になったからだ。
‥‥‥というのは、数年前からユニクロは商品企画を変えて若い人中心にシフトした。

価格に敏感な年寄りが大挙押し寄せて、若者離れしたと言うのだそうな。
しかし、若者が価格で飛びつくのか?それは疑問な事ではないだろうか。
価格で飛びつくのは、スタイルなど関係なくて、取りあえず着られればよいというジジイ、ハバアの世界だ。
但し、困ったことに年寄りは、品質にうるさい。年寄りに評価されるというのは、実は良いことだった。

だから季節外れになって、ジャケットが安いからと手を通してみたら着られない。
縫製と見たら正に安物というのいい加減なもの。
こんな程度のこんなものなら、最近よく見かけるロードサイド店などの方が製品はズットしっかりしているし安い。
チノパンやTシャツ、ブルゾン程度なら合格点だが、もっとビジネスでも着られると言うものは、ほとんど使い物にならない。
最近は、ブルゾンも細身になって、太めになったおじさんには、スーパーの安売りの方がズット似合っている。
さて、元々のユニクロビジネスモデルというものは、日本で2500円で売っていたTシャツなどを半値の1300円程度で売り始めたと言うことに尽きる。
日本でそのまま売れるまでにして、中国の港を出るときの原価は300円。それを4倍で売るから儲けは充分取れた。
しかし、中国の工場に委託して作らせるから、同じような製品が別系統で輸入されて、衣料品価格は暴落してしまった。
一方、中国の工場というものは、ある種の製品を作らせると同じ物を2倍、3倍と作る。
衣料品ならタグを替えて中国市場に300円で又は、米国に引き取られる。
機械部品ならほとんど本物の偽ホンダのバイクが大量に出で来るように、裏市場に流れる。

だから、ユニクロは中国製品の氾濫する米国でも成功しなかったし、消費社会ではない英国で成功するはずがない。
世界中で、物を買いあさるのは元々日本人と米国人ぐらいしかいないと言うことを忘れていた。
中国‥‥ユニクロはブランドではない。そして、同等品が半値以下、三分の一で手に入るから買う人などいない。
なぜなら、中国の富裕層というのは日本人以上にブランド志向だからだ。
こう言うところが、中国人富裕層が未だ成り上がりの域を出ていないという証拠である。
それで、「ブランド」を買おうと米国でがんばったが買えなかった。
だから、未だブランド品ではない。

ヨーカドーやイオンが中国に進出して、中国富裕層に物を売ろうとしている。しかし、未だに景気の良い話は聞かない。
なぜなら、単価が安い。
インドでタタが車を発売する。価格27万円。
スズキの車が約50万円。日本の車も、昭和45年なら35万円で車が買えた。
但し、安全装置もエアコンもなし。100キロもスピードを出したら止まれない、なぜならディスクブレーキではなかった。
当然排ガス規制もなく、排気は汚いまま吐き出す。衝突したら命はない。
ちょっと山へ行こうと思ったら、途中で休まないとオーバーヒートで上れなかったものだ。

日産も、トヨタも今度インドで激安の車を発売する計画だという。
まさか衝突したらイチコロという棺桶のような車を作るわけに行かないだろう。
今、車は、ロボットで作る。
世界中どこで作っても原価というのは変わらない。

途上国に物を売るというのは、全くやっかいなことだ。


雑誌「正論9月号」東谷暁 著「日本経済の突破口」を読み解く

2008-08-11 19:33:47 | 読み解けば‥‥
2008年9月号の雑誌「正論」に東谷暁 著「日本経済の突破口 第3回」と言うのがあった。
論じているのは「格差問題」
ここで、著者は「格差問題が議論されている間、私が違和感を持ち続けていたのは、いわゆる保守派の論者たちの格差論」と書き始める。
しかし、そこで論じているのは、多くの著書の引用で、非常に脈絡のないものだった。
だから、はっきり何が言いたいのかよく分からぬ事と相成った。
「日本の保守政権における格差論の問題点」の項目になるとやっと論者の言いたいことの本質が見え隠れしてくる。
それは、「私は郵政民営化に反対し、単行本まで執筆して問題点を指摘したが『官から民へ』『民にできるものは民へ』の大合唱に吹き飛ばされ、ほとんど注目されることはなかった。」と言う部分である。
しかし、郵政民営化の本質は、小泉元首相が常々言っていたことで明らかな通り、「財投資金の透明化」である。
当時、財投資金は大蔵省資金運用部が第二の予算として、自由に使いODAに、そして無駄な補助金に消えて何に使われているか分からなかった。
今や、元々の郵貯資金は実際のところ底をつき、自転車操業の上に運用失敗は税金で補填している始末。
そのようなことが明らかになり又官僚のポケットマネーのようにカネを使う事を押さえようとしたのが手っ取り早い郵政民営化だった。
改革には、当然副作用もあり批判もある。しかし、郵政民営化とは、官僚組織の切り崩し行政改革の第一歩だった事は間違いない。

‥‥という視点の違いに焦点を当てて読み進めてみると、要は「木を見て森を見ず」の議論だった。



そして尚も、引用は続き、

米国の経済学者ポール・クルーマンの近書「格差はつくられた」を紹介し、同じく米国の政治学者ロバート・パットナム「孤独なボウリング」を紹介し、解説して行く。
その結論は、米国と日本とは違う。‥‥と「しかし、日本は違う」と長々と日本とは脈絡のない事を述べてきたのが何だというものだが、それを読まされる読者の方が迷惑千万である。
そして、一転「ジニ係数」に移りその比較というものがEU諸国。
その論点を参考のために引用してみると
「ジニ係数は上昇を示し、先進諸国のなかだけでみればデンマークやスウェーデンといった北欧諸国はともかく、フランスやドイツに比べても高くなり、イギリスやニュージーランドに近くなった。それでもなおアメリカほどの極端な格差社会は現出していない‥‥‥」
多少長い引用になったが、この「ジニ係数」が出てくると馬脚を現してしまうから面白い。
なぜなら、この「相対的貧困率」は相対的と言う言葉が明らかな様に実際の貧困を示していない事に尽きる。それは、平均的所得の半分に満たない人が、国民の中にどれだけいるかという指数であるからだ。
‥‥‥即ち、国民のほとんどが低所得者ならば「相対的貧困率」は低くなるというもの。
そして、みんなが高所得‥‥それは全員が公務員の社会であることは間違いない。
即ち、社会主義、共産主義と言うことになる。
スウェーデンの「ジニ係数」が小さいのは、国民の40%は公務員であるからでそれを維持するのに「死の商人」として世界第 11 位の武器輸出国であることを考えれば、論点がぼけてくる。
EU諸国の様に、サッカーのクラブチームを持てるほどの「ほんの一握りの大金持ち」と食料品、日用雑貨しか買わない、平均して所得は低い国民のEU‥‥などでは低くなるのが常識だ。
日本のどこにサッカーのクラブチームを持っている個人がいるのか教えて貰いたいものだ。

そして、「相対的貧困率」というのは、経済発展している「米国」などの経済消費国をコケにするEUが考え出した材料なのだと気づかないのは、「木を見て森を見ず」にやはり通じる。

文章も、10ページにわたる大論文。
実はほとんど飛ばし読みしてもしなくても何が言いたいのか分からない。

そこで、結論じみた部分を抜き書きしてみると、‥…
「今、日本がすべきは、まず踏みとどまることだ。そして正気に戻ることだ。」
いわゆる、グローバル化とハイテク化、マネーゲームを批判している。
それが、極端な格差社会を作り、国内の地域社会を崩壊させて、世界にリスクをばらまきと飛躍した書き方になっている。
しかし、現実問題として庶民は、ほぼゼロ金利に近い利子での銀行預金利回りでは、元が減るばかり。
そこで、それこそ「投機」という博打に走らなければならないのであって、元々のガンが日銀による低金利であると言うことに一切言及していない。
低金利であるために、日本は「サブプライム」の証券にも投資したし、年金資金は5兆円の運用赤字に見舞われ、庶民は金詰まりに陥っている。
その低金利による「円キャリー取引」と思われる投資資金。
安い利回りの日本債券の代わりに、米国債権を買うと言う行為による円安。
それが回り回って、消費の低迷になり工場労働者の賃金低下にも繋がる。
「踏みとどまっては」悶死すると言うのが庶民だ。
やはり、視点の違い。
そして、「保守」の名で行われてきた規制緩和や構造改革を大上段に批判している。
確かに、米国のいいなりに「内弁慶の」日本の官僚が約束してきたのが規制緩和。
その上、英国のようにTOBでは100%まで買い進めなければならないという‥‥様なことがない、不備だらけの官僚、政治家の不勉強は目を覆うものがある。
しかし、それは戦後の官僚支配体制からの政治を取り戻す手段ではある。

そしてまたまた飛躍するのは、
「日本社会の安定性と継続性から考え直せ」で
「戦後日本において、日本の地域コミュニティは激しく崩壊していった。そこでコミュニティ的要素を抱え込んだのが日本的経営の企業だった。‥‥‥中略‥‥‥こうした疑似コミュニティが日本社会全体に安定感を与えたことは否定できない。しかし、いまや日本企業から‥‥‥」
こんな風に、日本的企業コミュニティの復活を求めているが、もしそうであるならば今の日本の社会制度、社会主義的社会保障制度を全廃しなければならない。
そして、逆に社会主義的社会保障制度を奨め、家族の崩壊を助長するGHQMacArthurからの政策を改めなければならない。
なぜなら、最初にそのセーフティネットというものを崩壊させたのが、「農地改革」というものだった。
この政策の無謀さは、ヘレンミアーズの著書「アメリカの鏡・日本」(ヘレン ミアーズ (著), Helen Mears (原著), 伊藤 延司 (翻訳) )に寄るところではなくとも明らかだ。
そして、「農地改革」によって、小作農家が解放され裕福になったなどと教えるのは、「共産主義」の便法というものだろう。

結局、崩壊してしまったものを今何とか取り戻そうと努力しているのが「保守派」であって、その崩壊を奨めようとしているのがフェミニストや社会主義者と中央官庁の官僚たちであることは間違いない。
いや地方でも、「全国学力テストの結果を開示するよう求めた鳥取県情報公開審議会の答申を受けながら、再び非開示を決定した県教育委員会」(産経)という事例がある。
「市町村教委などから、競争をあおり、序列化につながるとの強い反発を受けての結論。」本当のところは、組合が強いところは学力が低く、その事実が明らかになってしまうことに躊躇しているだけだ。

そして、最後にこの論文の結論は、「踏みとどまれ」と言うことらしいが、こんな風に論点がばらけ、しかもピント外れの論点では何を踏みとどまって良いのか分からぬというものだ。

格差社会というものは、本来同質でない才能を持つのに一様に普通高校、そして何の役にも立たない大学へ進学。
大学から就職を夢見たら、適性試験でふるい落とされ、どこへ行っても同じ適性試験で門前払い。
本来の別の能力を試す事になしに、自信をなくして格差社会を恨むしかないと言う現実なのではないだろうか。
日本は、底辺から上にあがれる制度には既になっていない。
そして、米国は日本以上に学歴社会であると言うことを考える必要もある。

R・クー氏が絶対書かない日本の処方箋・『日本経済を襲う二つの波』リチャード・クー著

2008-07-24 17:25:58 | 読み解けば‥‥
R・クー氏は以前経済に関して、妙なことを言っていた。
それは、クー氏が米国籍を持っていたかどうか忘れたが、忠誠心から第一に米国の利益を考え、次に日本経済などをその原則から踏まえて発言すると言っていたことだった。
だから、本来日本の利益になるものの、米国の利益にならなければそう言う助言はしないと言うことだ。
そう言う観点から見ると、クー氏の著書にはすっぽりと何かが抜け落ちていることが分かる。
かって、中曽根元首相とレーガン大統領が「ロン・ヤス」関係を作ったとはいうものの、そんな甘い話ではない。
本当のところは、日本から「金と軍事技術を含む技術」を無制限に米国に供与するという密約(?)であって、その通り日本は米国に言われるままに米国に投資し、技術を注ぎ込んだ。

しかし。現実問題として日本がいつまで米国に資金提供できるのかと言うことである。一方日本と同様に中国米国に資金提供してきた。
ここで、叩けば借金までして金を出す日本より、まだまだ金を出せそうな中国の方が魅力的と言うことだろう。

すなわち、クー氏が言わないことは、日本が米国から資金を回収することである。
米国から資金が逃げれば当然サブプライム問題は長引くし、益々米ドル不安は高まる。当然、ドル安となって事実上投資している金は紙くずに近づく。
そもそも、世界が米国に注目するというのは、米国は消費社会であると言うことに尽きる。
そのために国民は、預金もろくにせず消費に走り、世界にその金がばらまかれたと言うことなのだが、その元々の金が日本の投資資金だとしたら目も当てられないのではないか。

日本に資金が還流すると言うことは、日本の金利が米国より上回ることであって、そのことにより「リスク」を考えれば、一斉に日本の資金が国内に戻ることを意味する。
そして、それはデフレの終了を意味する一方、米国は金融不安から抜けられないことになる。
要するに、基軸通貨として維持することが出来なくなると言うことだ。

クー氏は絶対に米国の不利になるような経済政策は言わないのが分かる。

秋葉原事件の「男性性」・雑誌「正論」と同じ内容にがっかり

2008-07-02 23:09:17 | 読み解けば‥‥
【コラム・断】秋葉原事件の「男性性」(産経)さかもと未明‥‥について


秋葉原の無差別殺傷事件に関して、産経の雑誌「正論」p44コラム「男は男に生まれない」「さかもと未明」とほぼ同じ内容というか‥‥
正論の抜粋のようなものというのは如何なものか。
売っている雑誌の方が、当然のことながら的を付いているのは文章として長いからにすぎない。
昔から、男の子と女の子を育てる時は、男の方が何倍も難しいと言われる。
甘やかせば、「ふにゃふにゃ」の男になり、「引きこもり」など自立出来なくなり、厳しく育てればと言うと、ぐれたりする。
実際のところ、「ぐれる」というのは相当と難しくて、最近の甘ちゃんのお坊ちゃんには中々出来るものではない。

「さかもと未明」氏が雑誌「正論」の中で「戸塚ヨットスクール」の戸塚宏氏の意見を言わせている。
それは、「母親が教育熱心で、父親が弱いというのが問題だね。」‥‥‥
事件後の記者会見その他で、父親が母親より年下というのが分かっていたが、こういう場合、男の子が出来ると不思議と「年上の女性」を求めるようだ。

しかし、こういう「妙にプライドが高い人物」というのは実際どこにでもいた。
それで「プライドが高い」ならば、密かに努力して何かしようとするかと言えば、「結果」が出るのが怖くて何もしないと言うのが普通だ。
要するに、彼らというのは「努力しない」人間だ。
~~「やれば出来る」と言いながら、実は怖くて「することが出来ない」人間。
そして、安きには直ぐに流れて、「アブク銭」を取ろうとする。

昔のように、大家族で兄弟が多いとその兄弟同士で切磋琢磨したりした。
不思議とこういう「気の弱い」ヤツには、面倒を見る親分というのがいた。
日本の戦後教育というものは、日本の家族というものを分解して個人とし、団結をさせないような教育。
即ち、共産主義教育を徹底的にしてきた。
のみならず、東京などでは公教育では未だにその残滓がのこっている。

人間実際は、どこかで「地獄」を見たり、又「バカ」にならないと決してろくな人間にはならない。
人は、「バカ」になれる‥‥「自分は本当は賢い」などと思わずに黙々と自分の職責を全うする。
こういう時期がない限り、まともな人間にはなれないのが本当だが、誰でも「バカ」になれないのは「バカ」というのは「才能のある人間」の別称なのかも知れない。

民間感覚を無視した士気の高い役人達

2008-06-07 23:21:33 | 読み解けば‥‥

6月7日の社説では、「毎日」と「日経」が「居酒屋タクシー」の件を取り上げているが、その本質を突いているのが日経新聞社説「役人の余計な仕事こそ問題(6/7)」
近年、日経新聞というのは割合良い点を付いた社説が多く見直しているところである。
但し、一旦不動産という件になると一転して社会主義者か、マルクス経済学者という認識を示すから不思議なものである。
それは置くとして問題点の本質は、


「そもそも中央官庁では世間一般の勤め人に比べて夜型の人が多い。職位にもよるが、深夜2時ごろ役所を出て、翌朝は10時ごろ席につく人が結構多い。この夜型の勤務を何とかできないものか。」




と言う部分だろう。

バブル崩壊後、民間では残業禁止又は、終電が無くなるまで残業することを自粛させている。
それで実際のところ仕事が出来なくなるかと言えば、そうではない。
仕事をやってみれば解ることだが、限界は9時くらいまでだ。
それ以降は次第に仕事の能率が悪くなって、11時以降は大幅に能率が悪い。
それで、翌朝は何やら調子が悪いというものだ。
だから、そんなことを毎日やっていたら身体が続かない。それでも出来るというのは、ロクナ仕事をしていないと言うことにつきる。
精々、担当者が文書を持ってきたらそれを読んで、訂正させる程度の仕事というものだろう。

昔から、役人というのは民間人並みに仕事をしたら嫌がられるのが常識だった。
中央官庁の役人は、そんなこともないだろうが、日経新聞に書かれているようなことも問題だ。


「もう一つ、役人を夜型にしている原因に、翌日の国会で質問する議員から事前に質問内容を聞き、翌朝までに答えを用意する慣習がある。「大臣に恥をかかせないため」というが、実際は大臣が役人の敷いた路線を踏み外さないよう振り付ける狙いも大きい。」





そんなものなら、夜やらないで早朝から始めればすむというものだ。

そしてもう一つ問題なのは、以前堺屋太一氏が日本を良くするためにはどうしたらよいかで述べていたこと。
それは、日本の中央官庁の役人の士気が高すぎる事の問題を指摘していた。

どういう事かというと、官庁の士気が高すぎると要らぬ規制や法律を作って、国民をある一定の枠に嵌めようとする。
国民は、バカで何をするかも知れないから、役人が筋道を作って踏み外さないようにするという意識だ。

国民間側からすればお節介というものだろう。
それによって、建築基準法の改正などによっての「官製不況」というものが起きている。
中古家電の件もそうだった。
よくよく見れば、要らぬお節介いで国民を愚弄しているのは、中央官庁の役人というわけだ。

税金は無駄でも使うべきものとは、国民は思っていないし、使い方のおかしな事がおきる度に、官僚は「法律に書いてある」という。
しかし、それは常に拡大解釈であって、国民にはどの法律なのか、又法律を見ても条文が解らない。
官僚の目には、法律の文章の最後に附則として、
「この条文に書いていないことは、官僚が勝手に決める」と見えない文字で書いてあるのだろう。

事実、法律条文に書いていない事は、「政令」という法律ではない法律が存在するし、「通達」という民主主義とは相容れない官僚独自のものもある。

あのバブルを崩壊させた総量規制が、法律でも何でもなく単なる局長通達であったとを思えば、今後こういうものは逆に規制する必要があるだろう。
本来それが政治というものだ。


日本人旅行者の「チベット救え」バッジ中国政府没収

2008-06-04 23:26:31 | 読み解けば‥‥

日本人(旅行者)というのは、どうして政治に「ノーテンキ」なのか不思議に思う。
中国に旅行する時は特にそうだろう。今や中国というのは言論に対しては、かたくなな統制を強化し始めた。
いや、もっと昔から統制していた。
だから、中国というのは言論統制をしなければ国が成り立たないような矛盾した国だと言うことだ。
四川地震で解った手抜き工事の抗議は、警官隊によって押さえ込まれ、それを報道しようとしたジャーナリストは拘束する。
中国の恥部というのが嫌と言うほど掃き出で来るというのは、全く異様だ。
本来、有人宇宙船を飛ばすくらいの金があれば、耐震偽装しないで幾らでも建物は出来たろう。

民主主義国家であれば、国民が主権だからまず国民の目線で、国民の安全第一と言うことになる。
そうすればも共産党が絡まない公共建物ぐらいまともに建てる筈。
しかし、共産党独裁国家なら、共産党の「安全第一」となるから、まず車の両輪となる人民解放軍‥‥軍備、宇宙戦争、核兵器。
共産党は、政権批判、政治批判、国家批判などの批判の排除と不満分子の排除‥‥国家、共産党があって国民なし。
国家の拡大は、共産党の成果、威信。
国民と称するのは、共産党の構成員の共産党・共産党幹部が中心で、それ以外はなし。

これでは、北朝鮮のトマト(中まで真っ赤)と全く同じ、独裁政権と言うことになる。


中国の華僑向け通信社「中国新聞社」(電子版)は4日、中国西部・新疆ウイグル自治区の国境で、6月初め、日本人旅行者2人が、荷物検査の際に、「チベット独立」派を宣伝する物品を所持していたとして、相次いで物品を没収され、「教育」処分を受けたと伝えた。(読売新聞Web)


こんな独裁国に行くのに、日本と同じ感覚の日本人は、やはり平和ボケした国民なのではないかとつくづく思う。


国内がダメなら外交でという福田内閣の勇み足

2008-06-04 17:27:23 | 読み解けば‥‥

昔からの政治体質で、国内政治が上手くないと外交で点数を上げて支持率を上げようとする事が目立つ。
今回、福田首相は金もないのに「金の袋」をぶら下げて海外へ訪問中だ。今は、欧州に倣えと金にもならない欧州を訪問して、何をしようというのだろうか。
今欧州はユーロ高を背景に、政治体制として金を取り込むという荒技を始めている。
排出権売買など全くの無から金をひねり出す方策など、その最大の成果だ。

そして、そんな欧州の政治大国化を目指す試みを福田首相はどのように感じでいるのか、又どう対処するのか福田政権の力量が問われる筈なのだが。
しかし、ミイラ取りがミイラになるのような感覚であるのは、欧州主導の「クラスター爆弾」や、地球温暖化の欧州よりの行動を見れば全く「子供のように」扱われていることが分かる。
多分、その本質をよく知っている人は、「馬鹿な黄色い猿」としてか思っていないだろう。
その上、北京オリンピック開会式へ福田首相が参加するとは、恥の上塗りとしか思えないだろう。
はっきり言って、外交というものが分かっていない「物見遊山」の馬鹿なジジイと言ったところだ。
欧州歴訪も北京オリンピック開館式出席も「冥途の土産」などにされたのでは国民にとって全く迷惑な話だ。

実際、政治問題化している中国では、餃子問題、ガス田、チベット問題など何も進展はない。その上、自衛隊機の四川大地震への参加はなしだ。
福田首相が中国にどんな「親切な」ことをしても、事実上宗主国に朝貢にきた程度にしか中国は思うまい。
そして、高らかに宣言する。
「人権問題は、アジアにはアジアの論理がある。」
「その証拠に、日本の首相は北京オリンピック開会式へ喜んで参加して、中国の人権問題に異議を申し立てなかった。」
こんなことを言われたら、福田首相は反論のしようがないだろう。
なんと言っても、言葉より行動の方が重きをなす。

日本の政治に於いて、外交で成功したと言うものはあったのであろうか。
米国との関係でも、その昔の繊維交渉に続く経済では、繊維、自動車と自主規制という枠組みで自らを縛った。
沖縄返還も今では経済水域という重要な意味を持つが、当時は米国にとって負担の大きいものだったはず。
お陰で、駐留米軍は事実上の指揮権のない傭兵という不思議な軍隊となった。

中曽根外交の「ロン・ヤス」など全くの出鱈目宣伝であるのは、その後明らかになった。
中曽根外交の中心は、「思いやり外交」「御用聞き外交」であったということも暴露された。
靖国参拝の是非を中国の首相に必要もないのに問うて、日本の国内問題だったから、曖昧な返事を返したのを政敵に突かれた。
その上、よせばよいのに援護すると言う名目で、靖国神社参拝を取りやめるなど「無駄な思いやり外交」だった。

レーガンが喜んだのも、米国を日本が米国国債を買うという点で、金銭的助けた。
それだけでなく、最新軍事技術の供与という密約をして、軍事素材技術が流出して、湾岸戦争その他で勝利したというのは公然の秘密というものだった。

こんな風に見れば、今までの日本の外交というものは、日本から金、技術を供与するだけ。
事実上の「キャシュディスペンサー」というのは、なんと惨めではないか。

今回の、福田政権も金を国民から取り上げて、タダばらまくだけという「紀伊国屋文左衛門」のようでは困りものだ。
その紀伊国屋文左衛門というのは、事実上破産した。

元々、田中角栄の様にどさくさに紛れて金を手にした人物の末路というものだ。