"四季折々 この一枚″

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18年ぶりに「いとこ会」

2018年04月17日 15時34分11秒 | 報告

16日、JR新神戸駅南側の「ANAプラザホテル」
34階の
「なだ万」で「いとこ会」を開きました。

18年ぶりの集まりです。

上の写真は、その34階から西方向を見下ろした
北野付近です。

参加者は7人の予定でしたが、
1人、体調が悪く欠席が出ました。

年齢は、90歳代前半から60歳前後まで、6人です。

2枚目の写真は、明治の半ば、
石川県から神戸に出てきて商売を成功させた祖父が、
最初に足場を固めた三宮界隈です。

出席した6人は意外に元気で、久しぶりの近況に
花が咲きました。

私たちは大家族でした。

その中で、戦死したのは一人。叔父になる祖父の五男です。

彼は大正5年8月4日生まれ、
京都の「現 京都芸大」を昭和16年3月に卒業、
翌月、4月に出征。間もなく旧満州の牡丹江に赴任します。

その後、野戦重砲隊に配属になったそうです。

この叔父が出征した時、私は9歳だったことになります

戸籍によれば、彼の欄には、
『昭和拾九年拾貮月拾七日時刻不明比島レイテ島
ルピーオルモック東南六十二粁ニ於テ戦死 
兵庫縣知事岸田幸雄報告 仝貮拾貮年拾月参日受附』
と、あります。。

戦況不利で北部戦線の兵力を南方海域に異動させた
日本の犠牲になったものとおもわれます。

最後のこの写真は、平成28年に写した
神戸メリケン波止場付近の現在です。

祖父の子供(私たちの親)も
全員、鬼籍に入りました。

私たちも、「今は亡き人たちの冥福を祈る」黙祷から
始めました。

終戦後だったでしょうか、私の父親が
「戦死を知らせる箱には何も入っていなかったなあ」と
嘆いていた言葉を思い出しました。

 

 

 

 


 


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