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"四季折々 この一枚″

ブログのタイトルを上記に変更しています。アドレスは同じです。
右端にカレンダーが出ればご覧いただけます。

マイ カー よ さらば

2014年01月10日 16時27分00秒 | つぶやき

きょう、11年間乗った「イスト」を廃車にし、47年に及ぶ「マイカー生活」に
別れを告げました。

免許証を取得したのが昭和41年(1966)6月30日。
たぶん、その年に車を購入したとおもいます。

最初は小さな車でした。知人から車のセールスマンを紹介してもらいました。

それが、間もなく電信柱で左横腹をコスリ、すぐに嫌になったことを覚えています。

当時は、神戸市の東灘区の高台に住んでいました。
こどもが二人になり、電車に乗るにも駅は遠く、
バスしか駅へ行く足がありませんでした。

会社も吹田市内にあり、不便で、ついつい、マイカー通勤が日常化しました。

あれから何台目の車になるのでしょうか。
私の記憶では、この「イスト」が7台目ではないかとおもっています。

最近は、会社へ行く必要も無く、遠出は避けて近隣への用足しに使う程度。
昨年の10月ごろから、近いうちに、車を手離そうと考えていました。

家内とも相談し、車の無い生活にも耐えるよう、
バスの定期を買うなど、あれこれと訓練?を重ねてきました。

それが実際に、今日、動き出したのです。

さあ、これからどんな生活が待っているのでしょうか。期待と不安が交錯しています。

47年余りのなかで、幸い、車の大きな事故はありませんでした。

これからも大きな事故にあわずに、残る人生を元気に過ごせたらと思っています。


 

(ブログ「春夏秋冬 75」も更新しています)

 


映画「少年 H」を見る

2013年08月18日 11時44分49秒 | つぶやき


                                       (映画 「少年 H」公式サイトからコピー)

昭和20年前後の神戸を舞台にした「洋服店の仕立て屋さん一家」の物語。

原作は「妹尾河童」氏の「少年 H」を映画化したものです。

昭和の初めから、空襲で焼け出され、終戦に至るまで、映画は、少年の
成長を追いながら、当時の社会を克明に描いていきます。

主人公の少年 「肇」の頭文字をとった「少年 H」は、私より2歳、年上ですが、
ほぼ、同年齢。

映画に描かれている筋も、私の経験と、ほぼ、同じで、
小学校から国民学校へ、そして、教育の軍国化と社会の変化、
敗色濃く、空襲、そして、終戦、食料不足、等々。

どれも、私たちが神戸で経験してきたものです。

特に、「焼夷弾」爆撃を受ける空襲のシーンなどは迫力がありました。

洋服の仕立て屋さん役の「水谷 豊」も、母親の「伊藤 欄」も、
主人公、少年役の「吉岡竜輝」も、皆、好演で2時間余りを
飽きさせずに見せてくれました。

ただ、「現代の若い人たちがこの時代を、
はたして、理解できるだろうか」と、いささか疑問にはおもいました。

映画としてはよくできていたとおもいます。

それにしても、今年は、テレビ、映画と戦争ものが
多かったようにおもいました。

 

                                    ブログ「春夏秋冬 75」も更新しています


きょう 「大寒」

2013年01月20日 11時31分43秒 | つぶやき

また、また、天気、暦の話で恐縮です。

きょうは、一年で一番、寒さが厳しいとされる「大寒」です。
大寒は、小寒から数えて15日後とされており、今年の小寒が1月5日だったので、きょう、
20日が「大寒」ということになります。

ところで、前回の当ブログで「寒さも峠を越した」と書きましたが、なんの、なんの、あれから
寒い日がつづきました。いささか、私の早読みだったかもしれません。

大寒のきょう、関西地方は明るい日差しに恵まれ、風は、やや強いものの、穏やかです。
ここ数日続いた屋根の霜も、けさは、見ませんでした。

札幌では、今年に入ってからずっと、最高気温が0度を下回っていたそうですが、きょうは、
ひょっとしたら、0度を上回るかもしれないと某気象情報に書いてありました。

とにかく、早く暖かくなってほしいものです。


中学校の同窓会

2012年11月12日 13時35分48秒 | つぶやき

今年の同窓会シリーズの最後を飾るとでも言うべき、中学校の同窓会が、
11月11日、三宮の神戸国際会館10階のレストランでありました。

参加者は先生一人を含めて、13人。だいたい、毎年これくらいの人数です。

あいにく、雨の日曜日でしたが、集まった人は、それなりに元気そうな表情でした。

あれは、もう、65年も昔のことになります。

同窓会は、毎年、開いていると言うのに、いつも、健康の話しか出ない仲間なのに、
普段は、それほど付き合いも無いのに、
なぜか、国民服?を着てクラス全員で撮った写真のことが思い浮かびました。

あの当時は、食べるものも少なく、生きるのに一生懸命だったのですね。

会場の外は雨。

10階から見下ろす下界は、色とりどりの傘が行きかっていました。

 

(私のもう一つのブログ、「春夏秋冬 75」も更新しています)

 


台風シーズン

2011年09月18日 07時14分50秒 | つぶやき

毎年、秋口には台風がやってくる。
今年も、すでに16号を数える。皆がみな、日本本土へ上陸するわけでもないが、
何らかの影響を受ける。

12号は紀伊半島に猛烈な雨をもたらし、大きな被害を出した。
その状況もしっかり把握できないまま、15号が沖縄のの南東海上で停滞している。

これからどちらへすすむのか気にかかる。
ただ、台風が過ぎ去ってしまわないと残暑が去らない。

20日は、前立腺がんの検査を宝塚市内の病院に予約している。
だから、ここしばらく、体調回復のため、自分の行動を抑えてきたが、それにしても暑かった。
キット、検査の済むころには、台風の動きもわかり涼しくなってくれるだろう。

(18日 午後3時半 東の空を写す)

 


久しぶりです

2011年09月06日 09時43分43秒 | つぶやき

久しぶりに、この「デジカメ ネット」のページを開きました。
と言うのも、体調不良から、文字どうり入退院を繰り返し、きのう、ようやく帰宅。
写真を撮る間もなかったので、とりあえず、写真なしで、パソコンのキーをたたたいた次第。

私の体調については、申し訳ありませんが、私のもう一つのブログ「まい フォトブログ 75」を開いてみてください。そちらに、詳しく書いておきました。

このページの右側、ブックマークの「まい フォトブログ 75」をクリックしていただければ、ページが
そちらへ変わります。

体調が戻り次第、デジカメ写真にも精を出すつもりです。


夏 本番へ

2011年07月02日 10時24分52秒 | つぶやき

6月11日に入院してから、入院10日、退院静養10日と、もう20日が過ぎ去った。
この間、季節は梅雨から、一気に、夏本番へと移り変わった。

関西地方でも、今年の梅雨明けは、早そうだとのこと。

家に居る時間が長く、庭を眺めていたら、「木賊(とくさ)」 (砥草とも書く)がグングンと伸び、
夏の夕日に輝いていた。

何の変哲もない木賊だが、夕日を浴びるとやすり目の茎が力強さを感じさせてくれる。
シャッターチャンスの少ないこのごろだが、できるだけ、チャンスを見つけたいとおもっている。


がんばれ 東北関東

2011年03月21日 16時31分31秒 | つぶやき

地震・津波と原発で未曾有の被害を出した東北地方。
遠く離れた関西からは「がんばれ」としか言いようがないが、なんとか早く立ち直ってほしい。

それには、緻密な復興計画が必要だ。速やかに計画を軌道に乗せ、日本の底力を示してほしい。

写真も、しばらく休刊状態でしたが、きのう、孫たちと梅田に出たついでにビルの建設現場を
撮影しました。完成間近かと見られるビルの仕上げの工事と見うけました。


東北地方太平洋沖地震

2011年03月14日 10時02分30秒 | つぶやき

3月11日、東北地方太平洋沖を震源とするM9・0の大地震が発生した。
それからの経過は、被災地以外の人たちはテレビやラジオ、新聞を通じてご承知のとおり。

津波の猛威をはじめて経験することになった私たちは、その被害の大きさに固唾を飲むばかり。

特に、原子力発電所の被害は、これまでに経験したことがなかっただけに、恐怖を感じた。
東京電力の対応は、関西に住む私たちにとっても、もどかしく、イライラさせた。
政府や東電は、もっと早く、的確に情報を発表すべきではなかったのか。

反面、私たち自身も原子力発電について、もっと勉強しておかねばならなかった、とも感じた。

それと、電力不足による節電計画。これも、東電の対応、計画発表はなっていない。
今朝の東京都内の電車の運行状況などは、東電が混乱を起こさせた、と言っても過言では
ないようにおもった。

ライフラインに携わる会社やその社員は、もっと、普段から訓練や研究をしておく必要がある。

 

 


ベトナム戦争

2011年01月23日 10時18分37秒 | つぶやき

きのう夜、NHKのBShiで「叫び声が聞こえる ジャーナリストたちの ベトナム戦争」とい
ドキュメンタリーを見た。
昨年の12月に放送したものを再編集し、1時間30分番組にしたものである。

ベトナム戦争を取材したジャーナリストたちをテーマに「サイゴン ハートブレイク・ホテル」という
本を書いた「平敷安常」氏がかっての戦場に同行取材していた。
取材班は、アメリカや日本でも、かっての記者やレポーターから取材をする。

そこからは、「あの戦争がなんであったか」というよりも、ただ、「戦争とは恐ろしいものである」
と言うことが伝わってくる。
作品としては、もう少しインパクトの強いものができなかったかと残念におもった。

ハノイに住む、もと北ベトナム軍のカメラマンが印象に残った。
あの戦争から35年が過ぎ去った今、日本で、ベトナム戦争に関心を持つ人がどれぐらい
いるだろうか。そこが気になった。


ハートブレーク・ホテル

2011年01月16日 13時36分47秒 | つぶやき

今回のハートブレーク・ホテルは、昨年の12月28日の私のブログ、「まい フォトブログ 75」に
書けなかった「サイゴン ハートブレーク・ホテル」の読後の感想です。

表題の本は、著者が10年を越えるベトナム戦争の取材で知り合ったカメラマンや記者たちを
とおして、ベトナム戦争が何であったか、何をもたらしたかをを問いかけたもので、大宅賞を
もらった第一作、「キャパになれなかったカメラマン~ベトナム戦争の語り部たち~」につづく
第二作です。

内容は7章からなっており、今回は、「フォトブログ」で書けなかった、第6章、「日本人記者群像」と、
第7章の「記者たちの戦争症候群」について書いておきます。

ここで、彼が言う、日本人記者は、主として新聞記者であり、著者の経歴からも毎日新聞の記者
がしめるスペースが大きい。
どの記者も、著者の質問には丁寧に答え、自分の意見を率直に語っている。
その受け答えが、テンポよく整理され、読む者には歯切れよく、あの戦争が何であったかを語り
かけてくれる。

戦争症候群については、それぞれの記者の中に、35年を経て具体的には残っていないようだが、
「何かを書き残したい」という気持ちが強くあるのを感じた。
しかし、その人たちも、もう書くだけの多くの時間が残っていない年齢になっている。著者の問い
合わせに、「自分のおもう真実を語りたい」という気持ちが読むものの心を打つ。

著者にとって、ベトナム戦争がなんであったのか。その答えを探す旅が、まだ、終わりでないこと
を強く感じさせてくれた。
とにかく、著者と出版社の語らいが、うまくかみ合った、素晴らしい出来映えの一冊になったとい
える。


(写真は、本の表紙と講談社の新刊案内のパンフレットから借用しました)


おせち料理

2011年01月02日 11時27分46秒 | つぶやき

我が家では、今年はじめて、「おせち料理」を、ある放送局の「テレビショッピング」を見て購入した。
12月30日に「冷凍」で届いた料理は、冷蔵庫で解凍後、元日に食べたが、本当においしかった。



「三段重」、「63種類」も詰めあわされた料理は、鳥取県にある会社が作ったものだが、
どれも味がよく驚くばかり。
もちろん、放送局を信用して購入したものではあるが、これまで、他で買ったものより味が
よかった。
ただ、二人で食べるには量が多すぎて二日に持ち越した。

「料理人の腕」もさることながら、「PR方法」、「冷凍技術」、「配送技術」そして、食料品の
「管理技術」の進歩などが、正月料理にも生かされてきたのだろう。

正月の祝い膳としてのこる日本の「おせち料理」も
スーパーやコンビニが元日から営業し、デパートも二日から開店する時代。
はたして、これからどうなっていくのだろうか。


立会演説会

2010年09月06日 09時23分24秒 | つぶやき
民主党代表選挙の街頭での立会演説会が5日、午後3時過ぎから大阪は梅田のヨドバシカメラ東側で行われた。

選挙は、ご存知の通り、小沢一郎と菅 直人の一騎打ち。
この日は、菅のどこか頭の中を素通りするような口調と小沢の丁寧な力強い口調が印象に残った。また、演説の前後に起った「小沢コール」には驚いた。

それにしても、大阪の繁華街に、もっと、こうした演説会に向いた場所があってもよいのにと考えた。

冷却ミスト

2010年08月18日 09時17分31秒 | つぶやき
     最近、関西でも「冷却ミスト」が目に付くようになってきた。
     こんなに暑さが厳しいとそれは、より目立つ。
     
     水を霧状に噴射して、付近の温度をいくらかでも下げようと言う装置。
「ドライミスト」と呼んでいる製品もあるらしい。
     霧状だけに、洋服にあたっても濡れないという。
     
     今年のような夏には必要かもしれない。