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"四季折々 この一枚″

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奈良・東大寺を見る 2

2012年04月28日 14時16分46秒 | 紀行

奈良時代、聖武天皇によって創建された東大寺は、大仏殿が完成した翌年の
天平勝宝4年(752)に大仏開眼供養が行われた、といわれている。

東大寺は、南大門、中門、金堂(大仏殿)、講堂と南北に一列に並んで建てられた。
これは、「中門」。

その後、何度か兵火にあい、現在の大仏殿は、江戸時代、18世紀初頭(元禄時代)に
再建されたものと伝えられている。

この大仏殿の高さは、46.8m、間口は、再建前の3分の2で、57mと言われている。

本尊は盧舎那仏。
大仏さんの座高は14.98m、蓮華座高は3.04m。

掌の長さは1.48mもあるそうです。

(つづく)


奈良・東大寺を見る 1

2012年04月27日 15時59分28秒 | 紀行

華厳宗大本山 東大寺。
先に見えるのは、その「東大寺」の南大門(なんだいもん)です。

1199年に上棟され、1203年、左右の仁王像とともに竣工した。国宝です。

門の高さは基壇上25.46m。わが国最大の山門。
奥に見えるのが金堂(大仏殿)です。

南大門の左右にある「金剛力士立像」。
大仏殿に向かって右が「吽形」(うんぎょう)、左が「阿形」(あぎょう)。

高さ8.4m。これも国宝です。

この日、修学旅行生が多く、引率の先生が声をからしているのが気になった。

(つづく)  

 


わらじや

2012年04月21日 10時04分02秒 | 紀行

京都市東山区七条通本町東入ルにある「わらじや」。

  

  

   創業400年余りという老舗。

   豊臣秀吉がここで休憩をとり、わらじを脱いだと言い伝えられている。

   玄関脇の大きな「わらじ」の飾りもそこから来たらしい。

   場所は、三十三間堂の西北側になる。

  

   料理は、「う雑炊」のコースのみ。

     抹茶にらくがん、先付け、う鍋、う雑炊、漬物、果物と 出てくる。

     伝統の「う雑炊」一品だが、味も逸品だった。

  
 

 

 

 

趣のある建物は、京都風の料理屋さんで、2階からも中庭が見え、風情がある。

歴史のある店だけに、ご存知の方はともかく、「京都の旅」を楽しまれたついでに、
一度、味わってみられるのも、「話のタネ」になるかとおもいます。 


洛東遺芳館 2

2012年04月19日 16時13分53秒 | 紀行

洛東遺芳館については、先の 1 で詳しく説明しましたので、ここでは、
邸の内部の写真を見ていただきます。

部屋は、よく手入れがされておりきれいだった。部屋の数が36と聞いて驚く。

 

 洛東遺芳館が収蔵する遺産は、婚礼衣装や調度品など8,000点、
古文書や古書籍など 1万冊に及ぶという。

ここに写っているのは、この日、部屋に出ていたものだけで、季節によって並ぶものも
異なってくるのだろう。

玄関脇の井戸。金属製の水桶も、さすが、と言った感じ。

とにかく、豪商の「夢のあと」、とでも言うべきか。
これを維持していくだけでも大変なことだろう。

それにしても、屋敷内を自由に見学させてくれるおおらかさ。
ひと時、目の保養をさせてもらった。


洛東遺芳館 1

2012年04月18日 11時05分31秒 | 紀行

洛東遺芳館(らくとういほうかん)。

あまり聞きなれない建物ですが、たしか、新聞で読んだことがあり、せっかく、
京都の洛東へ来たことでもあり寄ってみました。

京都の豪商の屋敷跡というだけに、問屋町通五条下ルに面した玄関は、間口も広く、
立派な門構えの屋敷でした。

この遺芳館の母体、柏原家は、肥後熊本の藩主加藤清正公の家臣、柏原郷右衛門を祖と
すると言われ、初代、三右衛門が1645年に、この地に居を構えました。

最初は「京小間物」や「扇子」などを商い、元禄のころからは江戸へも店を出し、木綿や
漆器、紙なども扱い、「江戸持ち京商人」として豪商の列に加わったと言われています。

柏原家の家訓は薄利多売がモットーで、三世紀半を経た今日も、木綿店を除いて
「柏原紙商事㈱、㈱黒江屋」として堅実な経営がつづいているという。

その「先人たちが蓄えた文化遺産を散逸させず、社会に還元したい」と、昭和49年から
この柏原家旧邸に「洛東遺芳館」の名前をつけて、春秋二回、屋敷や所蔵品を
一般に公開してきました。

訪れたときは、「平成24年春季展」として「美人画展」が邸内に造った収蔵庫の
「展示館」で公開されていました。

 1、2階の展示場には、鳥居清長や喜多川歌麿ら18人の作品、
48点が並んでいました。       

(つづく)


宝厳院の紅葉

2011年11月28日 10時19分39秒 | 紀行

天龍寺から同寺の塔頭、「宝厳院」へまわった。

天龍寺から距離にして数十メートル。
2007年11月30日には、素晴らしい紅葉が見れたので、
今年も、と期待したが、やはり、少し早かった。

それでも、赤と緑の織りなす庭の風情は、なかなかの趣がある。

今年の紅葉見物も、もう、おしまい。
街は、冬のたたずまいへと姿を変えてゆく。

(写真は、いずれも、11月25日に写したものです)


天龍寺の紅葉 2

2011年11月27日 10時07分32秒 | 紀行

天龍寺の大方丈から見る「曹源池」の眺めは素晴らしい。

本堂の入口では大きな達磨図の屏風が参拝者を出迎えてくれる。

それにしても大勢の観光客ではあった。

宝厳院へとつづく。
(写真は、いずれも11月25日、13時ごろ写す)


天龍寺の紅葉

2011年11月26日 14時29分18秒 | 紀行

11月25日(金)、朝、9時30分に家を出発。電車で京都の嵐山へ出かけた。

阪急電車、四条大宮から京福電鉄の嵐電で嵐山へと向かう。

嵐山は、観光客でいっぱい。
天龍寺も駐車場は満車で入れないありさま。

世界文化遺産に登録されている庭園、「曹源池」を見ようという観光客は
長い列をつくっていた。(つづく)


紅葉 ようやく

2011年11月21日 15時42分01秒 | 紀行

今年も「紅葉」の季節がやってきました。
毎年、どこか、よい「紅葉」は無いものかと探しますが、なかなか、これといった
紅葉風景は撮影できません。
と言うのも、光線がかなり大切な役割を持っているからです。

今年は、近場で、天気を見ながら出かけました。
大阪府池田市伏尾町にある「久安寺」です。

725年、行基菩薩の開創、と伝えられるお寺です。
関西花の寺12番霊場にも数えられています。

境内にある、一本の「大銀杏」。
もみじの紅葉と良いコントラストを見せてくれています。

(写真は11月21日、午前撮影。お寺の話では25日ごろが見ごろとのことでした。)


コウノトリの郷 4

2011年06月09日 14時40分12秒 | 紀行

コウノトリの郷がある豊岡市は兵庫県でも面積が最も大きな市です。
市の中央部には円山川が流れ、鞄の街としても知られています。

室町時代に山名時氏が出石に拠点を構えたことから、山名氏の繁栄とともに豊岡もその歴史を刻んだ。
町に古い建造物が目立つのも、この歴史と関係があるのだろう。


明治の時代に建てられた豊岡中学校の「達徳会館」。豊岡市の指定文化財。

図書館を裏から見たところ。

 豊岡には、市の中心部から南西に約5k離れたところに「コウノトリ但馬空港」がある。
(おわり)

 

 


コウノトリの郷 3

2011年06月07日 14時25分14秒 | 紀行

コウノトリの郷への最寄り駅はJR豊岡駅です。
マイカーで出かける人が多いが、駅からバスでも15分足らず。

豊岡の地場産業である鞄を模したバスが、駅前から郷公園駅まで運んでくれる。

ところで、きょうは郷公園ではなく、豊岡市内を見ることにする。

市役所の庁舎は、本庁舎建設のため、現在の庁舎を保存する工事を始めたところ。

1925年(大正14年)この地方を襲った北但大地震は震度6を記録、428人の死者を出した。
木造の建物はほとんどが倒壊、被害を大きくした。
市の庁舎は復興建築の建物で、今、それを後世に残すための作業がすすんでいるのです。

旧豊岡郵便局庁舎。現在は、市役所の南庁舎。

旧県農工銀行豊岡支店。今は、市役所南庁舎別館。

豊岡の駅前通りには、こうした昭和初期の洋風建築が目立つ。
このほかにも、木造で古い家が残っているところがあり、訪れる人に懐かしさを
感じさせてくれる。(つづく)

 

 


コウノトリの郷 2

2011年06月05日 10時46分41秒 | 紀行

この公園のコウノトリは、3月下旬から4月上旬かけて産卵し、約1ヶ月で孵化。
6月下旬から7月上旬にかけて巣立ちをむかえます。

公園近くの農家も、コウノトリがいつ舞い降りてくるかわからないので、農作業にも
「人と自然の共生」に気をつかって作業をするという。

コウノトリは、開いた翼の長さ、2.0~2.2m。体重、4~5kg。一般にオスの方がメスより大きい。

結局、この日、公開ケージの中に、12羽を数えることはできたが、大空を舞うところは見えなかった。

 

(つづく)

 

 


コウノトリの郷 1

2011年06月04日 11時33分18秒 | 紀行

6月3日、かねてから行って見たいとおもっていた、兵庫県豊岡市にある
「県立 コウノトリの郷 公園」を訪ねた。

日本の空からコウノトリの姿が消えたのは、1971年(昭和46年)という。
最後の生息地であった豊岡市では、もう一度、コウノトリを大空に羽ばたかせたい、と
「野生のコウノトリを捕獲して人工飼育する道」を選びました。

そして、1999年(平成11年)、「コウノトリの郷公園」が開園しました。

公園の入口、「豊岡市立コウノトリ文化館」は、「人と自然が共生できる地域環境の創造」などを
テーマに、コウノトリの普及啓発のための資料を展示しています。

その、文化館を抜けると公開ケージがあり、この日は、12羽のコウノトリが餌をついばんだり、
水浴びをしていた。
囲いの高さは、2mぐらいだろうか。

人工飼育を始めて25年目の1989年(平成元年)、待望の雛が誕生。
現在までに、約100羽のコウノトリの繁殖成功している。

(つづく)

 


南禅寺

2011年05月19日 16時08分40秒 | 紀行

臨済宗南禅寺派大本山。山号は瑞龍山、寺号は太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)。
ご本尊は釈迦如来である。


三門(さんもん)


法堂(はっとう)


新緑の季節。修学旅行生も多かった。


境内の右手奥、南禅寺塔頭(たっちゅう)、最勝院高徳庵。(5月15日写す)