黒船で日本中が騒いだことは教わりましたが、ペクサン砲というのはねずさんに初めて教わったものでした。
こうなると、明治維新が何故行われたのかも全く意味が違って来るようです。つまりは日本を貶める教育はこんなところまで浸透しているということかもしれません。
アメリカが日本が二度と立ち上がってアメリカに向って来ないようにと考えたのは理解出来ますが、それを戦後利得者が利用して来たことがどうにも許せません。
つまりは、日本人とはそれ程に卑怯でこすっからい人種だったということになるからです。とは言え、ここに「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達が紛れ込んでくると状況は一変します。果たして信実はどちらなのでしょうか。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう 日本より 2021/02/22
黒船来航とペ クサン砲
・・・略
では、どうして幕府は、ペリーの黒船に、あれだけ大きな衝撃を受けたのかというと、実は答えは「大砲」にあります。・・・中 略
PS:
ちなみに時代がすこし後になりますが、黒船来航のあとに戊辰戦争が起こりました。
このとき、幕府の旗本の若者たちが彰義隊をつくって上野のお山に陣取ったことは有名な話です。
彼らは重たい大砲をお山の上に運びあげ、そこで薩摩と長州の軍勢を待ち受けました。
薩摩と長州の軍がやってきたとき、彼らはお山の下に陣取りました。
彰義隊は上野のお山の上にいます。
官軍がいよいよ攻めてきたとき、彰義隊は大砲を曳き出しました。
そして鉄球の弾を詰め、官軍に撃ち込もうとしました。
敵は坂の下にいます。
よほど緊張したのでしょう。
砲弾を入れた大砲を、下にいる敵兵に向けて発射しようとしてしまったのです。
すると、中に仕込んだ鉄球の砲丸がコロコロと。
慌てた彰義隊員が、その砲丸を追いかけました。
けれど弾の転がる速度の方が速い。
その砲弾を、下にいる官軍の兵士が拾あげると、追ってきた彰義隊員に手渡してくれました。
彰義隊員は丁寧にお辞儀をして、お礼の言葉を述べて弾を受け取ると、またお山の上に戻って行ったのだとか。
笑い話のような話ですが、どれだけ当時の旗本の若者たちがモノを大切にし、礼儀正しく、真面目な人たちだったかということです。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《黒船来航とペクサン砲》です。 当時の武士たちにとって、ペクサン砲がもたらす被害がどのようなものになるか。 それは簡単に予測がつくことです。 そして予測がついたなら、被害が発生す...
小名木善行さ んの投稿 2021 年2月21日日曜日
この彰義隊の話は日本人の律儀さを証明しているのじゃないでしょうか。こんな人達が戦後利得者という卑怯者になるのが人間というものでしょうか。大半の日本人はそんなことは無いと信じたいものです。
やはり、「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達に感化されたと思いたい。
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