電気、水道、電化製品、究極は我が人生の全てとなったパソコンでしょうか。子供の頃この中であったのは電球一つだったのじゃないでしょうか。
とは言え、その子供の頃に不便だったとか貧乏が嫌だとか思ったこともなかったのは案外幸せだったのじゃないでしょうか。
何時のころからか金が全ての風潮となり生き辛くなったような気がします。やはり、金に使われる時代は考え直す必要があるのじゃないでしょうか。
そんな子供の頃を思い出させてくれるのどかな時代をねずさんが取り上げてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/03/07
ピンチはチャン ス
・・・略
明治の始めに来日したイザベラ・バードは、まだ江戸時代の様子を色濃く残す米沢を訪問したときの印象を次のように記してい ます。
「米沢平野は、
南に繁栄する米沢の町があり、
北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、
まったくエデンの園である。
『鋤で耕したというより
鉛筆で描いたように』美しい。
米・綿・とうもろこし・煙草・麻・藍・大豆・
茄子・くるみ・水瓜(すいか)・きゅうり・
柿・杏・ざくろを豊富に栽培している。
実り豊かに微笑する大地であり、
アジアのアルカディア(桃源郷)である。
自力で栄えるこの豊沃な大地は、
すべて、それを耕している人々の所有するところのものである。
(中略)
美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域である。
山に囲まれ、
明るく輝く松川に灌漑されている。
どこを見渡しても、豊かで美しい農村である」
(イザベラ・バード著・高梨健吉訳『日本奥地紀行』平凡社)
当時のアメリカ・ヨーロッパが「農業は農奴が行うもの」であった時代に、我が国ではそれらは自立した農民が所有し、自分たち の生活のために耕作するものでした。
そしてその様子は、まるで「エデンの園」か「桃源郷」のようだと、イザベラ・バードは書いています。・・・中略
今年は、世界的な大混乱の中で、日本が本来の意味での独立を回復できるチャンスの年です。
変わらなければならないときは、一瞬にして変わることができるのが日本です。
そして変わるためには、単に現状への不平不満だけでなく、日本が目指すべき理想が必要です。
その理想とは、「安全で安心して暮らすことができる豊かな日本」にあることは、論を待たないと思います。
日本は、世界で唯一、それを実現してきた実績を持つ国です。
もちろん、江戸の昔と現代日本では、情況は大きく違っています。
けれど、我々日本人が、真面目に「安全安心豊かさ」を求めことで、日本は必ずそういう国を実現できます。
ピンチはチャンスです。
今の文明と江戸時代の心があれば最高の幸せでしょう。それも望み過ぎかもしれません。もしかしたら縄文時代の人達の方が幸せに生きていたのかも。
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