団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★47の戦争宣伝の内幕

2023年06月13日 | 中国

 広大な宇宙から見ればちっぽけな地球ですが、人類にとっては大きすぎるようです。
  詰まりは、世界平和なんてのは一つの言語とか文化を統一するのは所詮夢でしかないようです。

  ねずさんがその困難さを書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より  2023/06/07

  47の戦争宣伝の内幕

  ・・・略

  ただ、同じ日本人同士の親しい友人であっても、やはり、違いはあるものです。
早い話が、隣の家と我が家では、家風が違います。
ましてや国や民族や言語が違えば、その風俗習慣も、歴史伝統文化も、まるで異なるものであるのは当然です。
それを、あたまから「日本人と同じ」として、違いを理解したり区別したりすることさえも否定してしまうのは、それは傲慢です。

 他国には、他国の文化があるのです。
たとえば南洋のある島では、男性同士が親しくなった時、たがいの下半身を撫で合うという習慣をもった民族がいるそうです。
普通の日本人なら、まさに「たまげて」しまいそうな風習ですが、彼らにとっては、それはそれで意味のある立派な風習です。
日本式の礼がただしくて、その民族の礼は間違っているなどと、どうして決め付けることができるのでしょうか。

 アフリカには、親しみを込めた挨拶に、たがいに唾をかけあうという風習をもった民族があります。
これまたびっくり仰天ですけれど、彼らにしてみたら、体を接してキスをすることのほうが、よっぽど異常に思えるのだそうです。

 日本人はよく風呂に入りますし、温泉とか大浴場とか大好きです。
けれど、国や民族によっては、風呂もシャワーも、一生に何度か経験する程度という民族もあります。
おとなりの47では、民衆は起きているときの服装のまま寝るのがあたりまえです。
 パジャマに着替えるということが、奇妙に思えるそうです。
危険が迫った時に、着替えなければ逃げれないからです。

 家族が隣家と自家が異なるように、民族にも違いがあります。
だから国境があります。
「違いがある」ということを、ちゃんと認識して、お付き合いをする。
その距離感は、関係を円滑にしていくのに必要なことです。
なんでもかんでも受け入れれば良いというものではありません。
  
  やはり狭い地球も統一するのは無理があるようです。所詮人間なんてその程度なのかもしれません。
  地球にとっては人類滅亡こそが最良なのかもしれません。今の混沌とした世界ではその日も近いのかも。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿