団塊の世代のつぶやき

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★最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム

2020年06月12日 | 朝日新聞

  朝日新聞が何故あれ程に腐り切っているのか不 思議で仕方ありませんでした。ところがやはり根本が腐っていたようです。

  宮崎さんが、面白い書評を取上げてくれています。奥山篤信さんの『最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へ のレクイエム』という本の書評です。
  タイトルからして興味深いものがあります。この書評が又面白い。なる程、こんな腐った一族が経営していた新聞社なら 腐った社員が育って当然でしょう。

  兎に角、庶民には計り知れない腐り切った世界が凄まじい。やはり、人間金を持つと腐るしかないのでしょうか。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和2年(2020)6月4日(木曜日) 通巻第6521号 

  書評    

 村山龍平が創立した朝日新聞はその後、婿養子と長女の三代にわたって
非常識の限りの考え方や異常なエリート意識はなぜうまれたのか?


 樋田毅『最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム』(講談社)

                        評 奥山篤信

 深窓の令嬢、波瀾万丈の人生 関西有数の高級住宅地・御影。阪急電鉄の駅を降り、東に5分ほど歩くと、ひときわ他を圧 す る豪 邸がある。石造りの塀に囲まれた敷地は6000坪を超え、華麗な洋館と趣溢れる和館のふた棟が木立の奥に垣間見える。
村山龍平が創立した朝日新聞はその後婿養子の長挙そしてその長女の美知子と三代にわたり大株主として社主として複雑な意 味で <君臨>した。
この本は朝日新聞の記者として最後は大阪秘書役を務め、その後はこの書物などで最後の社主と取材のために関わりのあった 桶田 毅著(元赤報隊事件の取材班キャップ)によるものだ。

 関西とは大きく分けて京都、大阪、阪神間に分けられる。いわゆる関西商人たちが活躍したが、それぞれの地域での気質は 全然 異なることを頭に入れてもらいたい。この村山家は阪神間に立地するものであり、最後の社主美智子はまさに阪神間で育った。谷 崎潤一郎が関東大震災後に阪神間に住みつき、例の『細雪』など大阪のイトハンを描いたが、このイトハン文化は阪神間とは 異質 のもので大阪文化だ。
同じように大震災で阪神間に移住しきたのが小林一三や怪物久原房之助など慶應福澤門下生がいる。

 僕の祖父も慶應福澤門下生で、その関係からか名古屋を経て大阪に移住し阪神間に居を構えた。阪神間は神戸という国際港 も あり この頃から西欧かぶれした<舶来>
好みのハイカラ族がブルジョワ階級の特質であった。学校といえばまさに小林や久原がスポンサーとして絡んだ甲南学園があ り、 かたやプロテスタントの神戸女学院やカトリックの小林聖心とともにブルジョワ界にそのハイカラ性を誇りとしていたのだ。 (言っておくが当時菊正宗によって創立された灘高校などはレベルが低くあの遠藤周作や楠本健吉など今の灘高のエリート意 識で はなく独特の劣等感があったこと言添える)

 そんなエレガントな阪神間ブルジョワジーの基礎知識が頭にないと、この主人公の美智子の非常識の限りの考え方や異常な エ リート意識は理解できないだろう。
僕も最後の香りを浴びて育ったものだが、この甲南を中心とする独特の世界は、まさに自分たちの唯我独尊、甘えの構造、馴 れ合 い、エリート意識、差別主義、この本
にも書かれているがその甲南同士しか面白くもおかしくもない会話があるのだ。そして西欧美術や音楽がそのステータス・シ ンボ ルとしてあった。主人公美智子が自らも有名音楽家の個人レッスンを受けてその道の耳を鍛え、湯水のようにカラヤン、バーン シュタイン、ワイセンブルグ、バイロイト招聘そして小澤征爾や井上道義などと交流を持ち、自ら大阪フェスティバルホール を建 立したのだ。さらに村山家の財宝を中心に香雪美術館、香雪病院などを建設した。

 村山家の創始者はまさに仕事師であり富山の米騒動などを紙面に発表し物議を醸した反骨精神はあった。
だが二代目婿養子の長挙、彼はあの緒方竹虎の飛び抜けた優秀性で朝日新聞を改革していくことを妬みを持って妨害活動まで しだ した。これこそが朝日新聞と村山家の経営と資本の対立の発祥点なのである。緒方は満州事変以後の軍人主導型の政治には迎合し つつ朝日で緒方の弟子だったコミュンテルンの尾崎などもいたが、誌面は戦争讃歌の論調であり、朝日を批判する昨今の人々 よ り、<戦前は戦争謳歌、戦後は掌を返したように反日左翼>と言われる所以である。

 さて先ほどの阪神間のハイカラ性と言ったが、それとも共通するのだが甲南高校の学生にはまさにブルジョワ界の子弟が共 産党 や社会主義運動に走ったものが多くいたことも事実だ。ハイカラ=社会主義的リベラル的な要素もあることは理解できるだろう。

 そんな意味で村山家の天皇に対する敬意がないと思われる事件が起こった。1963年3月、朝日新聞社と東京国立博物館 が共 催した「エジプト美術五千年展」の場内で、当時の朝日新聞社長養子村山長挙の妻(村山於藤)が天皇・皇后に近づこうとした 際、宮内庁職員に制止されたことで転倒して骨折したとし、同社編集部に宮内庁糾弾キャンペーンを指示したことがあった。
これが尾を引き村山社長は辞任した。この時の村山於藤の宮内庁への罵詈雑言は何か朝日の反日報道の起源じゃないかと冷笑 しな がら読んだ。

 この時村山家は同社の株式40.5パーセントを保有する大株主だった。後任社長には同年11月17日、元常務取締役で 朝日 新聞社顧問の美土路昌一が就任し、同日付で専務取締役に昇格した広岡が、論説主幹の森恭三らと組んで実権を握った。広岡は 1967年7月21日に社長となり、朝日新聞社の経営から村山家を排除する路線を推進したのだ。

 関西のブルジョワは中央政治に口を出さないのが特色。商売による金儲けが関西人の哲学であり、政治に関わらない、政治 家は 阪神間では馬鹿にされ、権力に密着する政商三菱を嫌う気質が関西にはある。

 そんな気風から村山家は編集方針には口出しをしなかったと想像される。そして広岡爾来朝日の現在の流れが由来するの だ。株 主と経営の激突はこの本を読んでのお楽しみとしたいので割愛する。

 そんな基本を頭に置いてこの本を読めば、常識では考えられない<お前は一体何様(なにさま)だ?>と席を蹴ってやりた い と思 う通常の人間の常識に反した美知子の
行動さらにこの著者のゴマスリ体質は驚くばかりで、独裁者の下でサラリーマンを過ごした哀れな男の<蕁麻疹が出そうなゴ マス リやらこの本の書き振り>さらに
指揮者井上道義の異常なゴマスリ(美知子のためだけに1人だけに全員燕尾服でフェスティバルホールで演奏し、井上のこれ ほど 人間がゴマをすれるのかというお世辞の数々)小澤が嗚咽したというエピソード(NHK事件で小澤は演奏者か総スカンされた事 件で美智子ミッチーに恩があるらしい)などなど関西人いや阪神間で育った僕も、何かこの本を読んで、僕は今更アレルギー を感 じるあの界隈の風習や特権主義に、とても赤面しながらこの本を読んだものだ。
果たしてこんな本が村山家の記録として記憶されるのだろうか?

  日本のシラス国という素晴らしい国体を知らない社主に率いられていた日本を代表する信実を報道すべき新聞社が全く逆のことをしているという歴史的恥を残すのは村山家にとっても朝日新聞にとっても日本への警告となるのですから名誉なことでしょう。
  是非、日本人だけでなく世界にもこんなことをやっては行けない例として知ってもらいましょう。
   

こんな名誉はないでしょう!

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