団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

建築デザイナー

2010年08月13日 | 日本再生

  第3182回第3970回で書いたように、一年中落葉や虫の糞の掃除に草抜きと雑用に追い回されています。何でも良いから木を沢山植えれば良いんだみたいな後のメインテナンスを考えない設計にデザイナーに対する怒りを覚える毎日ですが、そんな私の気持ちを代弁してくれる投稿が何時もの頂門の一針にありました。

  頂門の一針 2001号  1086(金)

  “胡散臭い”建築デザイナー:平井修一

  フランク・ロイド・ライトから安藤忠雄まで、建築デザイナーを“胡散臭い人々”と思っている。偏見といえば偏見だが、利用者無視の奇をてらったようなデザインが小生は大嫌いだ。

びっくりさせてこそだと彼らは思っているが、小生は気分がよくて快適ならそれでいいと思っている。車は移動の手段、時計は時刻が分かればいいという人で、建物も快適で効率性があればそれでいいという人にとって、鬼面人を驚かすようなデザインをされると不快である。…中略

  デザイナーは利用者のことよりも「作品」優先で、それはホテルのフロント階で「トイレ」の表示がほとんど見当たらないことや、玄関のあるフロント階が1階ではなく実はB2だったりして利用者を戸惑わせることにも通じている。

建築デザイナーは一種の詐欺師ではないかと小生はひそかに思っている。

  デザイナーは奇抜な設計で名を売ることに必死なのでしょうからその気持ちは分からなくは無いのですが、後でそれを使う者にとってはたまったものではありません。植木を植える方は緑があれば綺麗だ程度の安易な気持ちで植えたのでしょうが、その後、何十年にわたって、代々落ち葉の清掃をやってきた人達がいることを考えたことがあるのでしょうか。
  前の仕事で病院を廻ることが多かったのですが、その時も、ロビーなどを絨毯仕上げにされたため、汚れが目立って清掃に困り、結局何年か後にタイルに張り替えたなんて話を聞いたことがありました。
  それでもそうしたデザイナーが評価されるとすれば日本の建築業界がまだまだ洗練されてない途上国ということなのではないでしょうか。
  使う人間が一番使いやすい何気ないものが高い評価を受けるようにならないと駄目でしょうね。やはり、政治の世界と同じで国民の程度以上のものは期待できないということかもしれません。

今の日本に会っているのかも!