キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

湘南サーフィン

2018年10月06日 | Weblog
今日は5年前に死んだ父の祥月命日で、午後から墓参に行き、そこで弟と落ち合い、平塚にバスで出て「関」で飲む予定にしている。
朝から雨もよいの天気だが、その内雨は上がるだろう。

昨日も一日雨で、朝のうちにJAに行って、銀杏、小菊、無花果を買って、帰って来てからは終日家にいて、映画の時間以外は「経済学原論」を読んで、小室直樹の博識に感じ入っていた。
経済について簡潔な文章で分かりやすく説明しているが、その奥行きは深い、資本主義に最も関わりのあるプロテスタントについて説明するのに、仏教、儒教、イスラム教などの説明から入り、プロテスタントの予定説と資本主義の精神を説明しているのだが、数か月前に呼んだ「イスラム教原論」「宗教原論」と同じくらい詳細に懇切丁寧なので理解が深まるのを感じて、チョット感動している。

昼は肉蕎麦と柿、ヨーグルト。
プレシネは「ジョイラッククラブ」1993年の米映画、中国から米国に渡った女性4人がジョイラッククラブを作り麻雀をやって交流していたようだが、4人とその娘の苦難の境遇をオムニバス風に紹介している。
4つの物語は余りにも多い、1篇ずつを分解して深めて1時間半で纏めて連作にしたほうがいいんじゃないかな。

風呂に入り、妻が朝から作っているおでんを肴に酒を関して呑む、屋台のおでんは安酒のコップ酒が合うが、それに倣って酒だけは安ものにした。
7時半からの「美の壺」が備前焼だったので、それに合わせて徳利とぐい吞みは備前にした。
おでんは種が20種類くらいあったが、それを一通り食べ、さらに好みの大根、竹輪、昆布を食べたので腹がくちかったが、上の息子が買ってきたおはぎを肴に酒を呑んだ。

母の部屋でTVを観ながら話をして、ヘルパーが8時半に来たので送り出し、9時から「新日本風土記」下北半島を観た。
その後二階に上がろうかと思ったが、ザッピングをしていたら大黒摩季が出てきたので、10時半から1時間観てしまった。

男と付き合っていると、お嬢様タイプのかよわい感じの女にみんな持っていかれたと憤慨していたが、歌詞の中にそんなことを歌ってるのがあったね。

読書をしながら松任谷由実の曲を随分聴いたが、知らない歌がかなりあるね、もっとも1枚画から4枚目までのアルバムを繰り返し聴いて、81年にハワイにいたころ日本からユーミンブランドというヒット曲集のテープを持って来てもらったから、アルバムを聴いてゆくと80年の「流線形」までの中に知った曲が幾つかある。
その後に聴いたのは、2012年の「日本の恋とユーミンと」だから、知らない曲が多くても当たり前だけどね。
「波の数だけ抱きしめて」を一昨日部分的に観て「心ほどいて」を冒頭の結婚式の画像と共に見たが、この曲を意識しなかったがやけに気に入って繰り返して聴いている。

多分3年以上前に観たと思うが、一番印象に残ったのは、中山美穂が別所哲也にサーフィンを教えるのに、”湘南サーフィンは甘くないのよ、こうやって沖まで出てきたら、波をじっと何時間でも待ち、きっといい波は来ないからパドリングして帰って来て”という場面だった。
この話、酒を呑んだ席で随分と人に話した。

恋のさや当てや、若さゆえの優柔不断など見え透いた物語の展開だけど、撮影は千倉が多かったとはいえ、1980年代初めの茅ケ崎が舞台なので、服装や人の感じがすんなり分かって懐かしく、特別好きな映画だ。

いつどこで観たのだろうかと気になって調べてみたが、2015年の秋にBSプレミアムで放映されているようなので、なんかの拍子に観たのかも知れない。
その頃は隠居してなかったんで、休日か夜に放映されたのかなあ。

恋については余り言えることも無いけど、大人は恋仲の二人を生木を裂くようにしてはいけない、本人たちは何時まで保つか知れないが、一番好きな人と一緒になったほうがいいってことかなあ。
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