▼3月18日の朝日新聞。天皇制を研究する政治学者、原武史放送大学教授の、陛下の退位をめぐるお言葉についての視点が興味深い。国政に関与しない天皇が退位発言したことで、国政を動かしているという。このこと自体は憲法違反なのだが、国民の8割以上が退位に賛成しているので、天皇の地位は主権の存する国民の総意であるとすれば、それは可能なことではないかとみる。
▼だが、退位は国民から総意として発せられたのではなく、天皇のお言葉が特例法制定まで動かしたことに注視している。これは昭和20年8月15日の昭和天皇の「玉音放送」で、戦争が終結したということに似ているという。戦争に負けるに違いないと思っていても、誰も口に出せなかった。当時の鈴木貫太郎内閣も、天皇の聖断を仰ぎ、天皇のお言葉で、国民はすみやかに敗戦を受け入れたからだ。
▼高齢でハードな公務をこなす天皇をテレビで観ながら、大変だなと思いながらも退位を口にする国民も政治家もいなかった。そこには昭和20年と同じ「恐れ多い」という空気が流れていたからだという。いったん天皇からそのお言葉が示されるや、圧倒的多数の国民は受け入れる。これが天皇と国民との関係で、何ら変わっていないという。
▼昭和天皇は人間宣言で「現御神=アキツミカミ」を否定したが、象徴となった天皇を国民はどう考えていたのだろうか。戦後生まれの私たちも、天皇制についての会話は、御法度のように思われていた。1999年の国旗・国歌の制定についても、私たちの周辺では、ほとんど話し合うこともなかった。だが、教育現場ではそれが強制され、自殺に追い込まれた教育者も出た。それにもかかわらず、この問題も徹底究明しないのが、我が日本の国柄なのだ。
▼今回の天皇のお言葉により、国政が動いた。内閣はお言葉に従い、天皇の地位を動かす特例法を作る。特例法は現天皇のみの適用だという。だがこの事例、天皇家側は、お言葉は有効ととらえるだろう。反対に、特例法は内閣が作れるという、前例になったのではないか。今後どう展開していくかわからないが、現憲法に規定されている、天皇は国政に関与しないという制限は薄められ、天皇を内閣が特例法で規定できるということが許されるということのように思われる。
▼アベ内閣は、憲法改正を政策に持ち込んだ。自民党改憲案では「天皇は日本国の元首である」と定義する。元首とは、国政に責任を持たせるということで、国政に口出しできるという解釈にもなる。さらに改憲案では「君が代」を尊重しなければならないと記す。今回のお言葉に対する特例法は、憲法改正に大きな流れを作ったように私は考える。
▼アベ内閣の改憲の本丸は「九条」の改正だ。軍隊を持つ普通の国家には、国民に恐怖を抱かせ暴力をふるい従わせるという、あの制度の復活も、予測されはしないだろうかと、入道雲のように、いらぬ心配も持ち上がってくる。原教授の視点、1945年8月と現在は変わっていないというのは、注目に値する視点ではないかと思いながらも、戦後生まれの私の頭は、大きく混乱している。
▼さて、今日のテーマは「お言葉と忖度」だが、気がつけば忖度を忘れていた。痴呆症の前触れなのかもしれないが、気が付いたので、最後で失礼至極だが「忖度」とは、天皇のいる国に生まれた国民すべてが持つ、DNAに組み込まれた美意識の様に思う。だが、美意識が醜悪化しているのが、今の日本のようだけど。
▼だが、退位は国民から総意として発せられたのではなく、天皇のお言葉が特例法制定まで動かしたことに注視している。これは昭和20年8月15日の昭和天皇の「玉音放送」で、戦争が終結したということに似ているという。戦争に負けるに違いないと思っていても、誰も口に出せなかった。当時の鈴木貫太郎内閣も、天皇の聖断を仰ぎ、天皇のお言葉で、国民はすみやかに敗戦を受け入れたからだ。
▼高齢でハードな公務をこなす天皇をテレビで観ながら、大変だなと思いながらも退位を口にする国民も政治家もいなかった。そこには昭和20年と同じ「恐れ多い」という空気が流れていたからだという。いったん天皇からそのお言葉が示されるや、圧倒的多数の国民は受け入れる。これが天皇と国民との関係で、何ら変わっていないという。
▼昭和天皇は人間宣言で「現御神=アキツミカミ」を否定したが、象徴となった天皇を国民はどう考えていたのだろうか。戦後生まれの私たちも、天皇制についての会話は、御法度のように思われていた。1999年の国旗・国歌の制定についても、私たちの周辺では、ほとんど話し合うこともなかった。だが、教育現場ではそれが強制され、自殺に追い込まれた教育者も出た。それにもかかわらず、この問題も徹底究明しないのが、我が日本の国柄なのだ。
▼今回の天皇のお言葉により、国政が動いた。内閣はお言葉に従い、天皇の地位を動かす特例法を作る。特例法は現天皇のみの適用だという。だがこの事例、天皇家側は、お言葉は有効ととらえるだろう。反対に、特例法は内閣が作れるという、前例になったのではないか。今後どう展開していくかわからないが、現憲法に規定されている、天皇は国政に関与しないという制限は薄められ、天皇を内閣が特例法で規定できるということが許されるということのように思われる。
▼アベ内閣は、憲法改正を政策に持ち込んだ。自民党改憲案では「天皇は日本国の元首である」と定義する。元首とは、国政に責任を持たせるということで、国政に口出しできるという解釈にもなる。さらに改憲案では「君が代」を尊重しなければならないと記す。今回のお言葉に対する特例法は、憲法改正に大きな流れを作ったように私は考える。
▼アベ内閣の改憲の本丸は「九条」の改正だ。軍隊を持つ普通の国家には、国民に恐怖を抱かせ暴力をふるい従わせるという、あの制度の復活も、予測されはしないだろうかと、入道雲のように、いらぬ心配も持ち上がってくる。原教授の視点、1945年8月と現在は変わっていないというのは、注目に値する視点ではないかと思いながらも、戦後生まれの私の頭は、大きく混乱している。
▼さて、今日のテーマは「お言葉と忖度」だが、気がつけば忖度を忘れていた。痴呆症の前触れなのかもしれないが、気が付いたので、最後で失礼至極だが「忖度」とは、天皇のいる国に生まれた国民すべてが持つ、DNAに組み込まれた美意識の様に思う。だが、美意識が醜悪化しているのが、今の日本のようだけど。