▼今日が6年前の東日本大震災だ。現在、病上がりの私は、体力が完全に回復していないせいか、あの大津波の光景がテレビで再現されると、今まで以上に心身の疲労を覚える。私の家も海が目の前にある。今朝は6時に起床したが、2階の窓からは、養殖昆布の間引き作業する磯舟が数隻、凪いだ海にいて、まるで日本画のような風景が広がっている。窓を開けると、春はまだ遠いと感じる、肌に突き刺さる寒気が入り込んでくる。でも、この空気に、間引きされた昆布の匂いが、程よくブレンドされているのだ。
▼「いやなことがあっても、この潮の匂いが忘れなくて」という、被災地の人々の声を思い出す。故郷とは、母の胎内にいる時の安堵感なのかもしれない。もしかして、羊水にもちょっぴり塩っ気のある、昆布の匂いが混じっているのかも知れない。「サドンデス」とは、ゴルフの競技方法だ。一位の同スコアでラウンドを終了した選手が、勝敗を決するため次のホールに向かう。そのホールで勝負がつけば終了だ。直訳すると「突然死」ということなのだろうが、言葉が不適切ではないかと言われたこともあるようだ。この大津波で、存在が突然失われた人々や残された家族のことを考えれば、魂が穏やかさを取り戻すには、まだ歳月を要するだろう。
▼今年に1月に、ベルギーに永住している高校時代の友人が亡くなった。昨年10月に函館市内で、飲んだばかりだ。手術して間もなく亡くなったらしい。詳細がわからないので、私としては彼の死は「サドンデス」なので、死んだ実感がないというのが今の心境だ。彼は家族に亡くなったら、ベルギーと生まれ故郷に分骨してほしいと話していたので、夏にも長男が来日する予定だ。
▼彼の故郷は、函館市内の郊外にある漁業の町だ。彼も高校時代、朝のコンブ漁を手伝ってから、登校したという。彼の遺骨は今ベルギーにあるので、私の中で、彼は大津波でベルギーまで流されたという思いだ。彼が故郷へ戻ってくる頃は、前浜は、たぶん昆布漁の最盛期だ。彼はその潮風の中に、先に旅立った両親や兄弟、それに竹馬の友たちの笑顔に接し、微笑むに違いない。彼は、バカンスは地中海によく出かけていたと話していた。そこで大きな深呼吸をして、故郷の昆布の匂いを嗅ぎ取る仕草をしたのは、想像に難くない。
▼ふと「サドンデス」という言葉が浮かんだ、3月11日の穏やかな早朝の海だ。