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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

文化と文明の対立

2017年03月29日 09時30分38秒 | えいこう語る
▼大津地裁で、昨年3月に運転を差し止められた福井県の高浜原発。1年後の大阪高裁で、再稼働容認の判決が出た。この判決に私は腹が立つ。現場の地裁を、高裁が下目に見ているのではないかと感じるからだ。市町村合併を経験して実感するが、市から見れば、村の考えが劣っているのではないかという、感覚に似ているからだ。多少、被害妄想気味のある私だが、では市側が、そんなに上質かということだ。村社会が膨らんだだけの器ではないかと、思うことがあるからだ。森友学園問題で紛糾している国会だって、村議会の内容とさほど変わりがないと思っているからだ。
▼6年を経過した福島原発事故。いまだ炉心部を開けることすらできない。規制委員会の新基準が、相当強化されているのは理解できるが「新基準に基づいて策定しており、不合理とは言えない」という裁判長の言葉に不信感を持つ。「不合理とは言えない」とは、市民の生命の安全性を、確実に保証するものではないという内容だ。これでは、地裁のほうが市民の安全性に責任を持っている。高裁は、地裁よりレベルが低いのではないか。国や電力会社に体裁を保つから『低裁』と言われても仕方ないのではないかと、悪態の一つも付きたくなる、高浜再稼働裁判だ。
▼先日、「観光」と「縄文遺産群の世界登録」という、フォーラムに参加してきた。「北海道・北東北縄文遺産群」の、今年7月の国内登録に向け、道新幹線開業後の観光振興とタイアップしようという内容だ。縄文時代の特徴は「自然との共生」さらに、1万年ほどの期間、戦争がなかったということだ。現在の地球のあり方に、大きな教訓となるものがあるので、それが世界遺産登録への大きなアピールではないかと思う。
▼世界遺産登録で最も必要なことは、地域住民がそれを世界に誇れるものと自覚しているかだ。パネリストも、2020年の五輪。世界中から訪れる人々に、スポーツばかりではなく、日本の良さをアピールすることだという。ロンドン・オリンピックでは、スポーツ観戦後多くの人が、イギリス各地の名所を訪れる企画が功を奏し、世界中に宣伝され、その後リピーターや、新たな観光客獲得につながったという。そのためには、関係者だけでなく、地域住民がその価値を理解し、誇れる存在でなければ、登録にも観光客誘致にもつながらないと、観光ホスピタリティの意義が語られた。
▼そんな内容を聞いて、私はこんなことを考えていた。北海道最初の国宝である中空土偶の故郷は、日本一の昆布の生産地だ。最盛期には寝る間も惜しんで働く。土偶などは「漬物石にもならない」「ただの粘土細工だ」という声も聞こえてくる。そこが登録へ向けての最大関門だと思う。さらに、世界遺産登録となれば「縄文文化と近代文明の対比」が、人類へのメッセージになるだろう。
▼縄文時代は「自然との共生」・「戦争のない世界」。つまり環境保護の精神に貫かれている。片や、我が近代文明。「自然破壊」・「戦争の世紀」。振り返れば、人類の進歩の陰に隠された史上最大の環境破壊だ。原子力発電所から出る核のゴミも、処理できぬ状態だ。核のゴミ処理場と言えば、候補地は、幌延町を中心に広大な北海道が有力候補ではないか。縄文が世界遺産となれば、核のゴミの処分場は、北海道には作れないことになるのではないだろうか。遺産登録前に、核ゴミの処分場ありきで、はるみ知事は最後の大仕事を成し遂げる覚悟ではないだろうか、などと、あらぬ妄想が私の頭を駆け巡った。
▼順調に進んでも、世界遺産登録は2020年頃になるという。日本中が五輪一色になり、ほかのことは思考停止の、年になるに違いない。憲法改正、原発問題。様々な政治課題に、国民は無造作に承認の判を押すことにならないよう、縄文文化の意義をもっと学んでほしいと、土偶が発見されたすぐ近くに住む私は、土偶がこの頃、そのようにぼやいているような気がするのだが。