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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

沖縄と北海道

2015年04月06日 10時16分52秒 | えいこう語る

▼ 地方自治法第1条=「・・・国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体に健全な発達を保障することを目的とする」。私がこの条文を解釈すると、地方公共団体はそこに住んでいる国民のために、民主的で能率的な行政運営をし、国は健全な発展を保障しなければならないと解釈する。

▼ 米軍基地の辺野古移設で、国側が沖縄県民の要望を無視した行動が目立ってきた。国の横暴であり、地方自治の危機であり崩壊ではないかという、そんな感じがしてくる。昨日の菅官房長官と翁長知事の会談は、そんな印象を国民に植え付けたのではないだろうか。

▼ 芝居「沖縄辺野古土地収奪の下り」でいえば、菅さん演じる安倍一家の沖縄地区最高組頭が、長ドスを振りかざし泣き叫ぶ女・子供を“ガマ”の中に放り込むというような、無慈悲な場面を国民に見せ付けているというような感じがする。最近の菅さん、血も涙も無いような悪党顔をしているようだ。

▼ 裁判には「統治行為論」というのがある。高度に政治的な問題は裁判所の審査権が及ばないという考えらしい。つまり、国家安全保障に関わるようなものは、原告却下という判断が下されるという考えのようだ。「統治行為論」の旗を振りかざす菅さんの顔には「翁長のじじい、なにをグタグタぬかしていやがるんだ」という、捨て台詞が見え隠れしているようだ。

▼ 統治行為論で言えば、沖縄の基地問題と函館市の大間原発差止め訴訟には、希望が無い。92年の伊方原発訴訟での最高裁判決だ。「原発の審査指針は専門家が高度の知見を持ち寄って作ったものであり、その審査の過程に見過ごせない誤りがない限り、行政の判断は適法」とした、国の裁量を広く認めた判例だ。

▼ 原発も基地も国策だ。沖縄県が訴訟を起しても、函館市が訴訟を起しても「原告不適格」の烙印を、最高裁は押すに違いない。そんな裁判所を「最低裁判所」と傍聴席から野次が飛んだ裁判があったと記憶しているが、どこの裁判か忘れてしまった。

▼ 地方自治法にもどろう。国は、沖縄県も函館市も第1条の適用外の考えのようだ。大間原発の訴訟は、自治体には「人格権」が無いから「原告不適格」という、判決が待ち受けられているといわれている。沖縄も函館も、国民が住んでいるので、健全な発達を保障して欲しいものだ。まさか政府は、沖縄と北海道には、縄文人が住んでいると思っているのではないかと、思いたくはないが。

▼ 一度「被告不適格」という、最高裁の判決の夢を見てみたいものだ。そして、アベさんとスガさんが肩を落とし入牢する夢だ。南と北で国を挟み撃ちにする計画を立てたいが、今朝の新聞では、わが知事選は、元通産官僚のはるみさんがリードしているという。4期目のはるみさん知事の最終目標は,泊原発再稼動と高レベル放射性廃棄物の幌延埋設だと思うが、これって思い過ごしなのだろうか。

▼国民に思い過ごしをさせてしまう国というのは、果たして健全なのだろうか。「安心・安全な国」とは、夜毎、我が国の総理がちょび髭をたくわえ、夢に出てこない国のような気がするけど。


盛り上がらぬ選挙

2015年04月05日 10時30分04秒 | えいこう語る

▼ 市議30の定数に対し、立候補者33の函館市議選。無競争といわれたが、ようやく対抗馬が現れたという感じの市長選。市長選にあっては函館出身でもなく、知名度ゼロに近い新人が戦いを挑む。それでなくとも投票率の低さが毎回問題になる函館市、来年の新幹線開業への市民の期待感と同様、盛り上がりに欠ける。

▼ ここに来て、人口が27万人を割ったという報道と、青函トンネル内での列車の発火事故が発生したことなどが、投票率に影響しないかと心配する。ここ数年の函館市を振り返ってみても、自治体初の大間原発建設差止め訴訟が唯一の市民の関心事で、他にこれといったものが浮かんでこないというのが、市民の一般的な感情だろう。

▼ 国に対する提訴は「勝てはしないだろう」というのが、高齢化が進行する市民の一般的な思いかもしれない。新幹線の新駅周辺の活性化がまったく低調というのも、心が晴れない理由のひとつだ。観光ばかりではなく水産都市としての顔も、ここ数年、漁獲高が低迷しているのが、投票率に影響しないかと心配だ。

▼ 選挙を盛り上げるため、何かよい智恵はないかと考えてみた。今人気の「ふるさと納税」だ。好きな地域を応援するというのが本来の趣旨だったが、今や「地域特産品お買い得クーポン券」のような繁盛ぶりだ。これにあやかってはどうだろうか。

▼ 投票に行った人には抽選で「お米券」や「宝くじ券」が当たるというものだ。自治宝くじで当選者がでて来ない時は、そこの自治体に引取りの無い当選金が支給されるというということを聞いている。そのお金を、自治を活性化させるため「投票率促進費用」として充当してはいかがなものだろうかという提案だ。

▼ 「お米券が当たる」「宝くじ券ももらえる」。なんだか楽しい選挙になりはしないだろうか。選挙民が当選し、その人が投票した候補者が落選するなんて、そんなハプニングがあるかもしれない選挙だ。自分の推薦する候補が、いつも落ちるという人もいると思う。でも自分が当選するかもしれない可能性があればければ、投票場に足が向きそうな気がする。

▼要は、自分が託す候補者がいなくて、人に頼まれてしぶしぶ行くという選挙も多い。仕方が無く投票場に行くという選挙が、投票率低下の最大原因のような気がする。「投票者も当選するかも知れない選挙」。こんな選挙があってもいいと思う、低調ムード漂う毎回の選挙だ。


アベ総理を解剖する 

2015年04月04日 11時24分39秒 | えいこう語る

▼ 今朝の北海道新聞一面は「青函トンネル特急発煙」だ。思わず、テロか!と新聞に釘付けになる。モータ付近からの発火で事なきを得たようだ。今まで考えたことが無かったが、海底トンネルもテロの標的にもなりうるかもしれないということに、背筋の寒くなる思いに駆られる。

▼ ケニアでも大学が襲撃され、147人が死亡するテロ事件が起きたばかりだ。我が国だけが、テロの攻撃の対象外だと思っていたのはつい最近で、イスラム国の攻撃国に“認定”されているというのは脅威だ。なぜ、不名誉な認定までされてしまったかというと、イスラム国に攻撃されている国にアベ総理が、多額の資金を援助すると言ってしまったからだ。テロと戦う有志連合に仲間入りしたい、アベ総理の決心からだ。

▼ イスラム国は最終戦争で、核使用も考えているようだ。そうなれば、東京オリンピックが「恐怖の祭典」になりはしないかと心配する。それまでには「テロは完全にコントロールする」と、アベ総理は言い切るに違いない。だが、米国にコントロールされる我が国の首相の言葉は、今後、世界への説得力は、ますます失われていくような気がしてならない。

▼ アベ総理の“お仲間”に、京大国際政治学者の中西輝政教授がいる。中西さんの著書「本質を見抜く考え方」の中にこんな記述がある。中西さんは京大卒業後、長期にわたり英国に留学し、その時に日本を研究したという。

▼ 「民意とは間違ったものもある。民意の暴走に対し、安全装置を持たなければ国は滅びる。英国でこの役目を果たしているのが「変わり者学者」という存在だ。普段大衆世界とはかかわりがなく、大衆に評判が良かろうが悪かろうが、関係の無い人たちだ。彼らは、世の中とマッチングせず常識外のことを言うことがある。常識と思われていることや固定概念の中には深刻な間違いもあり、しかもそれを「間違い」と認めない風潮が世の中に常にある。彼らは、民意がどうとか、常識がどうだなどとは考えず、周囲の評価も気にせず発言する。時にはそれが、社会に風穴を開けるような安全弁としてはたらくことがある。

▼ さらにこう結論する。「国民はあえて栄達を求めない真剣な専門家や政治家の意見にも耳を傾け、自分の頭で謙虚に考えていかなければならない。それが「古代ギリシャ以来の民主主義の大問題である「衆愚」にブレーキをかけることになるのです」。この考えに、アベ総理は心酔したに違いない。私が真っ先に顔が浮かんだ人物は、NHK籾井会長だ。皆さんはアベ総理のどんな“お仲間”の顔を思い浮かべたでしょうか。

▼ 「食」という言葉はギリシャ語の「放棄」という意味に由来するという。自然の秩序が乱れ、食物もなくなる恐怖があったからだという。憲法第九条の「戦争放棄」とは「食」を守るために軍隊を放棄するということになる。

▼そういえば、先の沖縄県知事選で米軍基地反対の候補を応援した俳優の故菅原文太さんの言葉だ。「戦争は絶対してはいけない。国民を飢えさててはならない」。戦争体験者の国民に対する遺言だ。


たかが署名活動というけれど

2015年04月03日 09時26分47秒 | えいこう語る

▼ 大間原発建設反対を求め、函館市町会連合会が行った署名活動が、道内外を含め14万6184人の達した。この署名を持って、3月25日に経済産業省と電源開発(株)に対し、反対の意向と市民説明会の要望をした。経済産業省側は説明会に応じる姿勢を示したが、電源開発側は検討するという発言にとどまった。検討するというのは、実施したくないというのが本音だろう。

▼ その後、経済産業大臣が「原子力規制委員会の新基準審査が終了後(今年の12月予定)に説明会は行う」との、極めて消極的発言を行った。大臣の発言となれば、これは従わなければならないのではないかというのが、町会長の大方の考えのように思う。だが市民は、もし事故があったら福島原発の比ではない「フルMOX燃料」を使用する大間原発は、何がなんでも阻止しなければならないのだ。ころころ代わる大臣の言うことなど、聞いていられないというのが市民の声だ。その思いが、14万人超の署名の重みだ。

▼ 世界最高基準と豪語する規制委員会の審査をクリアーすれば「何を持って安全でないか」という強気発言が出てくるのが予想される。しかし、こんな声も聞こえてくる。現時点で市民説明会を要望すると、国や電源開発の思う壺になると。その理由は、どんなに地元から反対があっても「安全であるという説明を十分に行った」という、執行者側に既成事実を与えてしまうのではないかという考えだ。この考えには、承服できない。安全説明終了後に、市民による「危険宣言」を発表すればいいだけだ。

▼ 私はむしろ、説明会は安全審査を終了する前に行わなければ、後の祭りという考えだ。国側の思惑に追従するのは、単なる古典的な感情の表れだと思うからだ。沖縄県の基地問題は、そのことを県民が、全国民に身体を張って訴えているのではないか。函館の原発訴訟に関わっている河合弁護士は、被告側のいやがることを攻めるのが、この裁判を勝訴に持ち込む作戦だという。市民側(市町連)としても、生命・身体・財産の保全に向け、死守するのだという心構えが必要ではないかと思う。

▼ 突然だけど、初代、横綱若乃花の言葉を思い出した。「自分が疲れ切っている時は、相手も疲れ切っている。そこで攻め込むしかない」と。時間を稼がれてしまったら負けだ。間断なく攻め込む気概が無ければ勝てない。象の足に蚊が刺すような戦いだが、14万を越える蚊の集中攻撃には、さすがの象も驚いているに違いない。

▼署名活動など無意味だといわれたこともある。だが、町会連合会の署名活動の影響力は、知事選を含めた地方選挙にも影響を与えているようだ。マスコミでの取り扱いも大きい。市民が主役という民主主義の基本をあらためて実感し、国民主権ということも自覚もしなければならない。さらに、国民の表現の自由も発揮しなければならない、何かと市民にとっては、自覚することの多い戦後70年ようだ。