▼ 地方自治法第1条=「・・・国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体に健全な発達を保障することを目的とする」。私がこの条文を解釈すると、地方公共団体はそこに住んでいる国民のために、民主的で能率的な行政運営をし、国は健全な発展を保障しなければならないと解釈する。
▼ 米軍基地の辺野古移設で、国側が沖縄県民の要望を無視した行動が目立ってきた。国の横暴であり、地方自治の危機であり崩壊ではないかという、そんな感じがしてくる。昨日の菅官房長官と翁長知事の会談は、そんな印象を国民に植え付けたのではないだろうか。
▼ 芝居「沖縄辺野古土地収奪の下り」でいえば、菅さん演じる安倍一家の沖縄地区最高組頭が、長ドスを振りかざし泣き叫ぶ女・子供を“ガマ”の中に放り込むというような、無慈悲な場面を国民に見せ付けているというような感じがする。最近の菅さん、血も涙も無いような悪党顔をしているようだ。
▼ 裁判には「統治行為論」というのがある。高度に政治的な問題は裁判所の審査権が及ばないという考えらしい。つまり、国家安全保障に関わるようなものは、原告却下という判断が下されるという考えのようだ。「統治行為論」の旗を振りかざす菅さんの顔には「翁長のじじい、なにをグタグタぬかしていやがるんだ」という、捨て台詞が見え隠れしているようだ。
▼ 統治行為論で言えば、沖縄の基地問題と函館市の大間原発差止め訴訟には、希望が無い。92年の伊方原発訴訟での最高裁判決だ。「原発の審査指針は専門家が高度の知見を持ち寄って作ったものであり、その審査の過程に見過ごせない誤りがない限り、行政の判断は適法」とした、国の裁量を広く認めた判例だ。
▼ 原発も基地も国策だ。沖縄県が訴訟を起しても、函館市が訴訟を起しても「原告不適格」の烙印を、最高裁は押すに違いない。そんな裁判所を「最低裁判所」と傍聴席から野次が飛んだ裁判があったと記憶しているが、どこの裁判か忘れてしまった。
▼ 地方自治法にもどろう。国は、沖縄県も函館市も第1条の適用外の考えのようだ。大間原発の訴訟は、自治体には「人格権」が無いから「原告不適格」という、判決が待ち受けられているといわれている。沖縄も函館も、国民が住んでいるので、健全な発達を保障して欲しいものだ。まさか政府は、沖縄と北海道には、縄文人が住んでいると思っているのではないかと、思いたくはないが。
▼ 一度「被告不適格」という、最高裁の判決の夢を見てみたいものだ。そして、アベさんとスガさんが肩を落とし入牢する夢だ。南と北で国を挟み撃ちにする計画を立てたいが、今朝の新聞では、わが知事選は、元通産官僚のはるみさんがリードしているという。4期目のはるみさん知事の最終目標は,泊原発再稼動と高レベル放射性廃棄物の幌延埋設だと思うが、これって思い過ごしなのだろうか。
▼国民に思い過ごしをさせてしまう国というのは、果たして健全なのだろうか。「安心・安全な国」とは、夜毎、我が国の総理がちょび髭をたくわえ、夢に出てこない国のような気がするけど。