函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

教育と戦争

2015年04月07日 12時17分00秒 | えいこう語る

▼ 私は、学生時代に日本史が好きではなかった。たぶん漁村生まれで、狭い範囲での生活圏に圧迫感を感じていたせいによるものだろう。反面、世界史が好きだった。目の前に太平洋が広がっている環境が、無限大の開放感を与えてくれたのが、世界史に惹かれる要因だったと思っている。こんなことを初めに書いたのは、北海道に生まれながら、アイヌ民族の歴史を勉強しなかったことへの弁解なのだ。

▼ この頃のアベ政権、旧帝国日本に先祖帰りをするのではないかという危惧を国民に与え続けている。そんなアベ政権の意向を国民に浸透させるには「教育」がもっとも有効だ。戦争中に学校内まで軍人が居座り、軍国主義を徹底強制し生徒を戦場に送り込んだ事実は、低学年からの教育が人格形成にどれほど左右するかということを物語る。

▼ 終戦直後、学校で子供たちに作文を書かせた或る学校の教師の話だ。「絶対敵討ちをしてやる」というように書いた男子生徒が、多かったということを聞いている。「国家のために命をなげうつという思想の定着には、まず教育から」というのが政府のキホン的な考えのようだ。それを「教育基本法」という、などとはいわないだろうけれど?!。

▼ 教科書検定にも、強制力がかかって来たようだ。私が特に注目するのが、アイヌ民族に関する記述だ。1899年(明治32年)制定の、アイヌ民族に和人との同化を強いた「北海道旧土人保護法」の記述に関し、現行教科書は『アイヌの人々の土地を取り上げ、農業を営むようにすすめた』を『土地を与えて』に修正したという。これは改正ではなく改竄ではないか。

▼ 普天間基地移設は、まちの中心地にあるので危険を回避するためと菅官房長官は主張するが、翁長知事は、敗戦後、銃剣を突きつけブルトーザーで土地を取り上げたものだという、認識の違いを強調した。収奪した土地であるという歴史的事実を歪曲化させ、危険回避の為に速やかに返還し、安全を与えるというのは、アイヌ民族に関する記述に似ているような気がする。

▼ 「取り上げる」と「与える」は正反対のことで、政府は教科書に嘘を書かせたということになる。先の戦争を自衛のための戦争という人もいるが、日本軍に攻め込まれたアジアの国々は、侵略というだろう。このアイヌ民族への教科書への記述は、国際的な人権問題と領土問題に発展しそうな恐れを感じる。

▼ 琉球王国は、日本が攻めて自国の領土とした土地だ。その土地を外国の軍隊に無償提供し、危険な軍事基地を固定化しようとする。そこの住民が基地に反対している。アイヌ民族には、奪った土地を与え農業を奨励したと、教科書に書き込んだ。沖縄県民には、土地収奪の代わりに「振興資金」で、県民に豊かな暮らしを保障したと、後世の歴史に記述するのだろうか。

▼沖縄の米軍基地問題、原発問題、さらに、アイヌ民族の今回の教科書問題は、共通性があるように感じる。そこには「国民主権」ということを完全に無視しようという、アベ政権の高慢で強硬な姿勢が見えるからだ。