▼多様性が良とされた時代から、二極化の対立構造が顕著になった感じがするこの頃だ。多様性が尊重される時代は、誰もが存在感を持て自由な空気を味わえるが、二極化となれば、どちらかに所属しなければ疎外感を覚え、息苦しい時代になってきたような感じがしてくる。二極化が進むと、表現の自由が徐々に制限される時代がくるかもしれない。
▼ 憲法の中でも、最も国民に愛されていた「九条」を改正しようとするアベ総理が出てきて、二極化に拍車がかかっているのは間違いないようだ。「他国から攻められたら、戦うか戦わないか」というような選択を国民に投げかけると、総理の発言に国民は選択を迫られる。さらに「戦後レジュームの解体」を叫び、平和ボケ国家から自衛国家への変貌を叫ぶと、国民の意識もいやようなしに二分されてしまう。日本人とは何かの「踏み絵作戦」のようにみえる。
▼ 電力を確保し国富を守るに、原発は必要だと主張する。経済の低迷という重荷を背負うのなら、脱原発を選べばいいという。どちらかを選ぶという単純な選択を提示し、多様性は曖昧で国富に欠けると声高に発言し、決断が総理としての、重要な要素であることを国民に浸透させる。そのための外遊は、世界の中で日本のアベを印象付けるには、格好の材料だ。
▼ という私も、アベ総理を支持するか支持しないかの選択に迫られると、アベ不支持と即答する。私も多様性を失っているのだ。宇宙人といわれる、後に総理になった鳩山由紀夫さんと、話したことがある。原発・国旗・国歌などについて、普段考えていることを尋ねてみた。国民という同レベルで話し合えたのが印象的だった。その後の鳩山さんは、物議をかもす発言や行動が多かったが、いまだ、好感を持っている。アベ総理なら、私の意見を否定するに違いない。こちらがアベさんに、迎合する姿勢を見せない限り、対話は成立しないに違いない。
▼ アベ総理の訪米前の今日、翁長知事と総理の会談があるという。翁長知事は「米国に行ったら、辺野古基地は作らないでほしい」とお願いすると話している。知事は補助金で日和るタイプではない。さて、総理はどんな奇策を練っているのだろうか。聞き分けのない知事はには「恫喝」を試みるのか、会談が注目される。
▼ もうひとつ、注目することが今日行われる。NHKとテレ朝を政府が呼びつけ、報道の在り方に注文をつけるそうだ。アベ総理がテレビで堂々と「戦う国」発言をする。これだって公共の電波を使い、憲法を軽視する行為だ。これを一般的には「アベこべ」という。
▼ 二極化は、選択肢が狭まり「冤罪」を作りだす状態によく似ている。多様性は即断にはならない代り、良いものを見極める可能性を有している。自衛のためといえ、戦争すれば人殺しをする羽目になる。人を殺してはならないというのが、人間であることの資質だ。
▼私はアベ総理が嫌いだ。もちろん、アベ総理だって私ごときは大嫌いに違いない。そこで、私はアベ総理の脳みそを解剖してみようとおもい、総理の著「美くしい国へ」を読んでいる。私が多様性を失っているかいないかは、アベ総理の考え方次第だが。