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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

日本人の気質

2016年01月24日 13時06分21秒 | えいこう語る

 

アフリカの女性が、日本の「もったいない」という言葉を世界中に広めたのは、つい最近のことだが、この運動も、すでに記憶の外に追いやられたようだ。「もったいない」という日本人の特性が世界中に理解されそうになったのだから、それを国策として何らかの行動を起こして欲しいものだと思ったが、「流行」というジャンルの中で流されてしまうのは、実に「もったいない」ことだと思う。大事なものが簡単に流されるというのが、今の日本人気質というのは「もったいない」を通り越して「情けない」という現状なのではないだろうか。

戦争をしてはならないと決め、世界中から信頼されていた「日本国憲法第9条」。70年の歳月を重ね守ってきたものを、アベ総理というたった一人の人物が変えようとしている。実に「もったいない」ことだが、国民がそう受け止めるとすれば、実に「情けない」ことだ。日本人初のノーベル文学賞の作家川端康成さんが「美しい日本の私」とスピーチした。二人目の大江健三郎さんは「あいまいな日本の私」に変わった。時代の変化と共に、日本人の気質も変わってきたという意味なのだろう。3人目の受賞者が出たら「情けない日本の私」になるのではないかと想像できるぐらい、気質すらあいまいな、今の我が国だ。

廃棄しなければならない食材を、横流しした廃棄物処理会社の実態が大きな問題となっている。この事件の問題に潜むものは「もったいない」という日本人の気質だ。戦後の食糧難を体験した人なら、食べれるものなら捨ててはならないというのは、DNAに染み込んでいるに違いない。私たち戦後生まれでも「飯粒を一つでも残したら目が潰れる」といわれたものだ。だが戦後の高度経済成長は消費が美徳だとし、「古いものは捨てる」というのが世の流れとなった。「賞味期限」という概念もそんな時代背景に生まれたものだろう。

「賞味期限」という言葉、食の安全・安心という内容を含んだ言葉だが、経済効率向上する言葉であり、それに違和感を抱いていた国民もいたのではないかと思う。「もったいない」というのは、日本人のDNAなので、そう簡単には消滅てしまわないのだ。コンビニで捨てられる弁当を「あたりまえ」と考えること自体が、異常なことではないかという議論に、我が国は欠けていたのではないかと思う。コンビニ業界が、地域に存在していた商店を、絶滅にさせた張本人だという議論と共に。

「便利」という概念が「もったいない」という日本人の優れたDNAを破壊していることが、今回の食品廃棄回収業者の問題で、考えなければならない、本質的問題ではないかと思う。廃棄業者の、食べれるものなら開発途上国に転売するというのも、犯罪の延長ということではなく、飢餓状態にある世界の人々を救うという観点に立ち、それらを解消するという発想の転換が求められるのではないだろうか。もしかして「世界一便利」という国に住んでいて「進化」という名のもとに「真理を見極める」目が曇っているのが、今の私たち日本人ではないだろうかと、考えされられるのが、今回の食品廃棄の報道だ。

世界の食物の3分の1ほどが廃棄されている実態があると報道されている。日本の一部業者の違反問題としてではなく、日本からこの問題を国連に提起し、世界から飢餓をなくすことが「積極的平和主義」ではないか。「古くなった」「使い勝手が悪い」「賞味期限が切れた」などということで「憲法まで廃棄処分」にしては、日本人だと胸を張っていえないのではないかと思う。

「もったいない」という日本人気質、それを維持することが、国際社会で名誉ある地位を確保することでないかと思うのだが。それにつけても、大相撲の日本人優勝に、身体が熱くなる今日の千秋楽だ。私はこんな自分に、愛国精神のDNAを感じるのだ。日本力士の優勝を神仏に祈りたい。だが、内閣総理大臣杯の授与に、アベ総理が現れないことも、併せて神仏に祈ることにしたい。


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