函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

体罰と憲法改正

2013年02月01日 16時28分49秒 | えいこう語る
オリンピックの女子柔道強化監督が、暴力とパワハラで訴えられた。
国家の威信が前面に出がちなオリンピック、国民の期待に、選手はもちろん、監督やその関係者のプレッシャーは想像に難くない。しかし、世界一を目指すのであれば、選手には想像を絶する精神力の強化と練習が繰り返されるのだろう。
指導が行き過ぎて体罰になるというならば、私たち国民の過剰な期待というものも、体罰を後押ししていたのかもしれないと思うと、監督ばかりにその責任を押し付けているようで、なんだか後味が悪い。
教育関係者、政治家、詳論家など、口をそろえて体罰はいかなるものも認めないという。
最近聞こえてこないが「愛のムチ」なるものも、認められないのだろうか。
「腹が立ったら拳骨」そんなのも絶対だめというならば、感情の動物といわれる人間は、感情が表に出ない無味乾燥な存在になってしまわないかと心配する。
女子レスリングの金メダリスト吉田さおり選手が、試合後監督を猛烈な勢いで首投げする光景はおなじみだが、私がその場面を見て感じるのは、鬼のような監督の4年間の指導に対し、感謝を込めた“仕返し”のように感じるのだ。
もっといえば、吉田選手の監督に対する愛情溢れる「体罰」のようにも見えるのだ。
この「体罰」は、世界中の人が認めていると思うけど。
「体罰」が絶対だめだという世論が圧倒的だが、漁師見習いの私としては、簡単に納得していない。
沖では口の悪い漁師の方が、漁もするし安心感もある。身体に叩き込まなければ、命を失うのが漁師だからだ。
私の知人に家具職人が居る。手作りのテーブルを作成した時、実に感心するアドバイスをしてくれ、難しい箇所を手伝ってもらうと、さすがプロの技術と感動する。
「若い頃は、親方や先輩たちから、その辺のものが飛んできたから」と笑う。
私の「体罰」に関する理解は、こんな程度である。
※昨年6月7日の朝だ。こんな平和な朝が続いてほしいものだ。


スポーツでの体罰ばかりが問題視されているが、アベちゃんが叫ぶ「九条改正」の方が、私は国民すべてに対する「体罰」だと思う。
戦争をする国にして、人殺しを許し、自らも死ねと強制するのだ。
こんな人間には、国民全員で拳骨を食らわしてやらなければならない。
何を一体「取り戻す」というのか。資源のない国が、昔奪った領土を「取り戻す」というのだろうか。
「取り戻す」のは、昭和20年8月15日、戦争が終りほっとした日本人のその心ではないだろうか。
アベちゃんの家庭教師、自民党の平沢勝栄さんの「体罰」が厳しくなかったのが原因のような気がしてならない。
国民の皆さん「アベちゃんに体罰を」。
なんだか私までもが「取り乱す」そんな精神状態になってしまったようだ。


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2 コメント

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Unknown (TESTUDO)
2013-02-11 13:06:15
御無沙汰しています。アマチュアスポーツとプロの世界をいっしょにしてしまってはまずいです。所詮、アマチュアはアマチュアです。プロの場合は命と経営がかかっていますから。ただ、無能な指導者が「愛の鞭」と称して、ストレスを発散している現状はいかがなものか、と感じています。
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Unknown (■かわぐち えいこう)
2013-02-11 16:22:07
体罰を行う教師は、家で奥さんに頭が上がらない方が多いではないでしょうか?弱いものは弱いものを探しいじめる。綾小路きみまろがいってましたよ!
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